JR東日本南武線の小田栄駅尻手方面ホーム。同駅は2016年3月に開業した(筆者撮影)

JR東日本南武線の支線、尻手駅と浜川崎駅を結ぶ通称「浜川崎支線」というと、近年は車両の投入が話題になった。

それまで使われていた205系1000番台と入れ替わる形で、2023年9月から走り始めたのは、新潟地区で活躍していたE127系だった。

浜川崎支線を取り巻く環境が変化

首都圏の通勤通学路線でありながら、4ドアの車両に代わって3ドアが導入されることも異例だが、大都市圏で役目を終えた車両が地方に移籍するという通常の流れとは、逆の動きであることも話題を集めた。

しかし近年の浜川崎支線にはこれ以外にも動きがある。2016年3月に小田栄駅が生まれているからだ。

南武線は南武鉄道という私鉄によって開業した。まず川崎―立川間が開業し、浜川崎支線は1930年に走りはじめた。

このときすでに、八丁畷、川崎新町、浜川崎の3駅はあった。八丁畷駅は京浜急行電鉄本線との乗換駅として作られ、浜川崎駅は現在同様、旅客駅が踏切を挟んで貨物駅の手前にあり、当初は新浜川崎駅と呼ばれていた。

昔も今も貨物輸送が主力の区間で、旅客輸送はE127系になっても2両編成のままで、朝は1時間に5本の運行があるものの、日中は40分間隔という、地方のローカル線に近い状況だ。


小田栄駅の浜川崎方面ホームと電車(筆者撮影)

理由として考えられるのは、浜川崎支線の300mほど北東を走る道路「市電通り」に、川崎市交通局および川崎鶴見臨港バスの路線バスが、日中でも5分おきぐらいに走っているからだろう。

ここを走っていた川崎市電は1969年に廃止され、路線バスが後を継いだ。浜川崎支線の起点が尻手駅で、八丁畷駅で接続する京急電鉄は普通列車しか停まらないのに対し、バスは川崎駅から出ており利便性は高い。多くの人がバスを使うのは理解できる。

なぜ新駅が生まれたのか

ではそんな路線になぜ新駅が生まれたのか。これは川崎市が進める沿線の再開発と関係がある。

川崎市の東京湾沿岸地域は第2次世界大戦前から、京浜工業地帯の一部として発展を続けてきた。浜川崎駅の海側には日本鋼管(現JFEスチール)の生産拠点が広がり、内陸側には市電通りとの間に昭和電線電纜(でんらん・現SWCC)の工場があった。

しかし高度経済成長に伴い、大気汚染や交通渋滞などが問題になり、工場移転が始まった。浜川崎駅周辺でもこうした動きが出はじめ、2002年に国から都市再生緊急整備地域の指定を受けたことから、「南渡田周辺地区」整備計画を策定した。

この中でいち早く動きがあったのが、小田栄2丁目にあった昭和電線電纜の工場移転で、跡地に商業施設や集合住宅が並ぶようになった。その結果、小田栄2丁目の人口は2005年の6人から、2010年には3415人にまで増えている。


小田栄の工場跡地に建つ商業施設と集合住宅(筆者撮影)

そこで川崎市は、地域と鉄道の持続的な発展に向けて、2015年1月にJR東日本との間で包括連携協定を締結した。JR東日本が自治体との間で、包括的な協定を締結するのは初めてのケースだった。

川崎市とJR東日本が折半

両者は川崎新町―浜川崎間に新駅設置の検討を進めることで合意すると、7月には新駅に関する協定を締結。3案からの投票により小田栄という駅名が決まり、翌年3月に開業となったのである。

設置費用は約5.5億円で、川崎市とJR東日本が折半で負担した。新駅としては安くて早いことが特筆されるが、新駅協定の資料にも「既存の鉄道ストックを最大限に活用した簡易な構造の駅を短工期で整備する」とあり、目標だったことがわかる。

現地を訪れると、踏切を境にして浜川崎方面が西側、尻手方面が左側と、ホームが千鳥配置になっていることが目を引く。路面電車でよく見られるタイプだ。尻手駅以外の浜川崎支線の駅同様、無人駅で、簡易Suica改札機が用意されている。


踏切を挟んで対角線に配置された小田栄駅(筆者撮影)


小田栄駅のホームは千鳥配置になっている(筆者撮影)

ちなみに踏切は、南北2本ずつの道路が線路上で交差しており、信号はないので、初めて訪れたドライバーは戸惑うかもしれない。南側の踏切近くには臨港バスのバス停があるが、停留所名は「小田踏切」。「小田栄」バス停は市電通りにある。

平日の昼間の様子は?

平日の昼間に乗った限りでは、浜川崎支線の5駅の中では、飛び抜けて利用者が多かった。通勤通学時間帯は異なるかもしれないが、日中に関しては、集合住宅と商業施設の存在が大きいと感じた。


平日昼間の尻手行き電車(筆者撮影)

一方で列車の本数が少ないこと、尻手止まりであることは不便だと思った。ただし川崎市は次の一手も考えている。川崎アプローチ線(仮称)と東海道貨物線の貨客併用化がそれで、国土交通省の計画にも含まれている。

前者は川崎駅から川崎新町駅までの短絡線を敷き、八丁畷駅の近隣に新駅を設けるというものだ。この区間には1970年代まで東海道貨物線が存在しており、一度廃止したルートを復活させることになる。

とはいえ廃線跡を訪ねると、橋脚が残っていたり、駐輪場に転用したりした箇所もあるが、集合住宅が建っている場所もあり、地上に通すのは難しいという印象を持った。


川崎―川崎新町間の東海道貨物線の廃線跡(筆者撮影)

一方、東海道貨物線の貨客併用化は、羽田空港アクセス線(仮称)も走ることになる浜松町―東京貨物ターミナル―浜川崎間、および鶴見駅から東高島貨物駅を経由して桜木町駅に至る東海道貨物線に、旅客列車を走らせるものだ。


浜川崎貨物駅へ向かう貨物列車(筆者撮影)

こちらは線路は存在しており、武蔵野線や山手貨物線のような先例もあるので、川崎アプローチ線に比べれば実現はしやすそうだ。

川崎市が2つのプロジェクトの推進を望むのは、小田栄駅だけが理由ではない。昨年9月、浜川崎駅の海側に広がるJFEスチールの高炉が休止し、100年以上にわたる鉄の生産が終わったことで、南渡田周辺地区の整備計画が本格的に動き出すからだ。

川崎市ではこの地域を研究開発拠点などにしていきたいとしており、貨物駅の在り方もJR貨物とともに考えていくという。

小田栄駅周辺以外も大変貌?

生産拠点から研究開発拠点に変わるとなると、浜川崎駅の人の流れが大きく変わるのは確実だ。そして川崎アプローチ線や東海道貨物線の貨客併用化が実現すれば、浜川崎支線沿線は川崎駅だけでなく東京都心にも直行できる可能性が出てくるわけで、小田栄駅周辺以外でも再開発が進むかもしれない。

2両編成の電車が40分間隔で走るという大都市離れした光景は、この先大きく変貌する可能性を秘めている。小田栄駅はそのための第一歩なのである。


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(森口 将之 : モビリティジャーナリスト)