不祥事が相次ぐ日本テレビにだけ「問題の本質」が見えていないようだ(写真:yu_photo/PIXTA)

日本テレビ系列「24時間テレビ」の募金着服問題をめぐり、規約策定や人員配置などを盛り込んだ再発防止策が発表された。

筆者は問題の公表当初、この事案に触れながら、24時間テレビのスタイルそのものが、すでに今の時代には合っていないのではないかとの見方を示していた。今回の発表内容をながめて、さらにその思いは強くなった。

再発防止策は、あくまで「延命措置」でしかない。むしろ番組終了の決定打にもなり得ると考えている。

そこで本稿では、募金着服問題を改めて振り返りつつ、再発防止策について解説していきたい。

日本テレビ系列「24時間テレビ」募金着服問題

山陰地盤の日テレ系地方局「日本海テレビ」(鳥取県)は2023年11月、同社の元経営戦略局長が、売上金など約1118万円を着服していたとして、懲戒解雇処分を行ったと発表した。着服金には、24時間テレビに寄せられた寄付金も、約264万円含まれていた。

着服は2014年から2020年、そして2023年に行われ、募金終了後に本社内で保管していた募金の一部を、元局長自身の銀行口座に入れていたという。この問題は各社が報じ、「10年間も気づかないなんて」といった驚きの声とともに、番組そのものの信頼感が損なわれたという指摘も相次いだ。

それから約2カ月たった2024年2月、日テレ系31局で構成される公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会は、内部調査の結果と、外部弁護士を含む不正防止対策チームの助言を基にする再発防止策を発表した。

調査は放送局関係者283人に、電話や対面で行われた。結果として、新たな着服事例は確認されなかったものの、寄付金の紙幣を両替に用いた事案と、寄付金入りの封筒の紛失が「不適切な取り扱い」として報告されたという。


(出所:公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会公式HP)

これらを踏まえて、新たに示された再発防止策は、大きく4つに分けられる。

まずは「寄付金取り扱いに関する規約」と「募金活動実施細則」の策定。ここでは、対面会場でのキャッシュレス募金の導入や、寄付金入り容器の規定シールによる封印、対面会場への警備員もしくは監視カメラの設置、2人以上での寄付金運搬作業・台帳管理の徹底などが定められた。

2つ目は、現金の運搬・管理をアウトソーシングする「専門業者への委託」。第3が、放送当日の「募金活動のモニタリング調査」。最後に、外部弁護士による調査を行うため、一定期間設置される「24時間テレビ不正通報窓口」だ。

問題の"本質"が見えていない日本テレビ

これらの対策に対して、SNSの反応は冷ややかだ。「信用回復は難しい」「いったん終了させたほうがいい」などなど。こうした意見に、筆者もおおむね賛同している。どうも日本テレビは、問題の"本質"が見えていないと感じるからだ。

着服が公表された直後、筆者は当サイト(東洋経済オンライン)に「24時間テレビ『募金着服』よりマズい最大の問題 すでに番組そのものが時代に合ってない可能性」(11月30日付)と題したコラムを寄稿した。

ここで筆者は、視聴者が長年にわたって「24時間テレビに対するモヤモヤ」を抱いていて、そこから「偽善」や「感動ポルノ」批判につながっていったと考察。募金についても「貢献の可視化」が求められる時代ゆえに、時代に合わせた形にアップデートしない限り、こうした疑念は拭えないだろうと指摘していた。

そうした前段を踏まえて、今回の発表を見ると、「延命措置を講じただけで、根本的な解決になっていない」と感じてしまった。再発防止策が示されたのは「現金の集金・運搬」のプロセスのみで、これは募金システム全体からすれば、あくまで入り口にすぎないからだ。

視聴者の抱くモヤモヤは、とっくの昔に、その先へ進んでいる。すでに疑惑の目は、ゴールである「使途」に向けられており、「本当に社会貢献に寄与しているのか」「番組制作費に流用されていないか」との問いに対するアンサーは、再発防止策では示されていない。


(出所:公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会公式HP)

性善説に立てばいいのであろうが、そうもいかない背景には、「テレビへの不信感」の高まりがある。故ジャニー喜多川氏の性加害問題を報じなかったことや、ダウンタウン松本人志さんの「神格化」、そして日テレでは『セクシー田中さん』の原作改変も問題視されている。

これらは一見、別ジャンルの事象にも見えるが、通底するものがある。いずれも「資金力にモノを言わせる手法」が背景にあること。そして、その権力構造の中心には、テレビをはじめとするマスメディアがあることだ。

下品な表現で言い換えれば、「札束で頬をひっぱたけば、なんとかなる」かのようなマインドが常態化していたのではないか……というのはやや筆者の主観がすぎるかもしれないが、しかしながら、テレビ局のスタンスや芸能人の神聖化、関わる人に対するリスペクトのない制作体制が、どれも時代錯誤になりつつあるのは、多くの人がうなずくところだろう。

スマートフォンに可処分時間を奪われることで、テレビの権威は相対的に低下した。またSNSの普及により、社会問題の可視化が進んだことで、「テレビが報じない出来事」が日の目を見る機会も増えた。

個人店を訪れた取材クルーが「出してやる」的な、上から目線で来たから断った……という体験談は、毎日のようにタイムラインに登場する。かねて24時間テレビに向けられていた「出演者は高額のギャラをもらっているのでは」との疑問も、このような「ギョーカイの論理」に対するモヤモヤからではないか。

「金で解決するバブリーな時代」を踏襲している

そうした切り口から、今回の再発防止策を見てみると、どうしても筆者には、「金で解決するバブリーな時代」を踏襲しているようにしか思えなかった。

キャッシュレス募金を導入するにしても、決済手数料は別途かかる。警備員を配置すれば、当然ながら人件費が必要だ。セキュリティーに見識のある輸送業者へ委託するとなれば、外注予算を見込まなければならない……。

最大の問題は、一連の対策が「集める側の理屈」でしかなく、思いを託す一般視聴者を意識していないことだろう。

募金する側としてみれば、1円でも多く活用してほしいはず。コストが増えれば、本来社会貢献に使われるはずだった「浄財」は、そのぶん目減りする。

プロに頼むということは、それなりの費用がかかる。さすがに各業者も手弁当で行ってはくれないだろうし、むしろ協力者に「ボランティア」を強いてしまえば、それこそテレビ業界の傲慢さ、やりがい搾取を象徴する出来事になってしまう。

もっとも、こうした外部委託費を募金から出すことはないだろうが、「その分を放送局が上乗せできていれば」とネガティブな感情は残る。視聴者も、例年と同額を募金したとしても、決済手数料で中間マージンが増えれば、地球を救うための「愛」が削られる。

元はといえば、募金着服は「日テレ系列内のガバナンス問題」でしかないのに、視聴者の負担になっている印象を覚えさせる。流通業界であったら、消費者から嫌われがちな「ステルス値上げ」をしているようなものだ。どう考えても、悪手でしかない。

時代の変化のなかで渡されつつある引導

前述した昨年11月のコラムでは、「貢献の可視化」が求められる時代に合わせ、募金システムそのものを根本的に変えなければならないと提案していた。しかし、実際に出された再発防止策は、その要求を満たしておらず、一時的な延命措置にしかならないと感じられる。

金で芸能人やスタッフを動員する時代は、もう終わった。日本武道館のような大箱を押さえ、思いつく限りの人気者を並べた「お祭り」自体は、1年に一度くらいあってもいい。

しかし、そこにチャリティーやボランティアを絡めるのは、そろそろ限界なのではないか。コストを抑えた「アイデア勝負」の番組制作や集金体制に切り替えない限り、テレビを拠点にした社会貢献活動は難しいだろう。

(城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー)