昭和の小ネタが満載「不適切にもほどがある!」(写真:ドラマ公式サイトより引用)

宮藤官九郎がオリジナル脚本を手がける、令和の常識に昭和のダメおやじの尺度で物申しつつ、視聴者に現代社会を客観視させるTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』。視聴率(世帯平均)は、第1話7.6%(個人視聴率4.4%)、第2話7.1%(個人視聴率4.1%)。冬ドラマのなかでも上位に入る好調な推移を示している。

第2話まで放送されたが、毎話のパターンも見えてきた。前半で昭和のあるあるをふんだんに盛り込んだ小ネタや、コミカルな会話劇で視聴者をつかみ、後半ではミュージカルシーンを軸にして、昭和世代が令和のコンプラ社会に感じる窮屈さや不自由さを、昭和のダメおやじの小川市郎(阿部サダヲ)視点から投げかける。

そんな本作は、昭和世代から大絶賛を受ける一方、30歳前後やZ世代とは温度差もあるようだ。令和と昭和を対比しながら、双方の社会を風刺するメッセージの投げかけは、世代によって感じ方が異なるだろう。その世代間の温度差こそ、社会性の高い本作の狙いかもしれない。

※以下、1話と2話のネタバレがあります。ご注意ください。

1話では昭和ネタが炸裂

第1話「頑張れって言っちゃダメですか?」は、1986年を舞台に、妻に先立たれた市郎と一人娘の純子(河合優実)の暴言・暴論をぶつけ合うハイテンションな昭和親子ゲンカからはじまった。

高校野球部の部活動や、不良少年・少女たちの昭和ネタが炸裂する一方、市郎は令和にタイムリープし、逆に社会学者の向坂サカエ(吉田羊)と息子・キヨシ(坂元愛登)が令和から昭和に時空移動。昭和人と令和人が入れ違ってタイムリープしていることが示された。

後半はミュージカル調も交えながら、市郎が第1話のタイトルどおり、令和社会に物申す。過剰にコンプライアンスが唱えられる向きもあるビジネスシーンを題材に、令和と昭和の価値観をぶつけあう。歌って踊りながらのシーンで決して重くはせず、エンターテインメントに昇華させていた。

第2話「一人で抱えちゃダメですか?」も1話と同じフォーマットだ。前半は、スマートフォンやブルートゥースイヤホン、サブスクとVHSなどテクノロジーギャップの小ネタや、昭和の不良ケンカネタなど、コミカルなシーンがもりだくさん。

後半は、令和の“働き方改革”に対して、またしても市郎がミュージカル調で異を唱える。

2話でキーになるのが、テレビ局に務めるシングルマザーの犬島渚(仲里依紗)だ。渚は仕方なく仕事も育児も1人で抱えて働く。


シングルマザーの渚(仲里依紗)の話を聞く、市郎(阿部サダヲ)と秋津くん(磯村勇斗)(写真:ドラマ公式サイトより引用)

「僕にできることがあったら言って」と渚に言う上司を、市郎は「気持ち悪い」と一蹴し、渚に「あんたがいましてほしいことが、俺ができることなんだ」と応え、働き方改革に対しては「馬車馬とがむしゃら以外に働き方なんてあるのかい?」と昭和節全開だ。

渚の会社に出向いた市郎は、時短勤務など“働きやすい職場を整える”建前のもとに同調圧力が働き、自分で働き方を決められない令和の矛盾に一石を投じた。コンプラに染まりきった令和の正論を、昭和の極論でねじ伏せたのだ。

すると、その姿が渚の会社の上層部の目に止まり、市郎の熱き暴論が買われ、カウンセラーとして令和のテレビ局で働くことになった。ここまでが2話までの内容だ。

令和と昭和の社会を相対的に風刺

令和と昭和それぞれの社会を相対的に風刺する本作だが、気になる点も見えてきた。

1つは、前半部分でてんこ盛りの昭和ネタだ。クドカン節の昭和あるあるネタがハマる昭和世代から大絶賛を受ける一方、平成生まれの30歳前後やZ世代にはピンときていない人も少なからずいる。

平成世代は、小ネタがわからないまま、昭和のわけのわからなさや、阿部サダヲや仲里依紗、吉田羊、磯村勇斗らの会話劇によるおもしろさがウケている。Z世代に至っては、劇中で描かれる昭和はファンタジー。リアルだと思っていない人さえいるようだ。

「めちゃくちゃおもしろい、傑作」だと言う昭和世代とは温度感が異なり、おもしろいけどそこまでハマっているわけではないという世代間ギャップが生じている。

もう1つの気になる点は、後半の昭和おやじ・市郎が令和社会へ物申すシーンへの世代間ギャップだ。

それぞれのテーマである第1話の「ハラスメント」も、第2話の「働き方改革」も、それ自体が間違っていることではなく、平成世代にとってはふつうのこと。

ドラマは、そもそも昭和を生きてきた人の視点だ。令和社会の建前的であったり、過剰にコンプラが唱えられている部分への主張は、平成世代にも通じるかもしれないが、昭和世代が肌で感じる窮屈さや不自由さは、世代によって感じ方、受け止め方が異なるだろう。

市郎の問いかけが、昭和世代の心を熱く揺さぶっても、Z世代には「そう言われてみればそうかもしれない」くらいの温度感かもしれない。なかには重箱の隅をつつくような揚げ足取りのように感じたり、違和感を持ったりして、ドラマの主張に共感できない人もいるかもしれない。

しかし、本作が伝えようとするのは、戦後から現代社会の礎を築いてきた昭和人の視点を通すと、当たり前になっている現代社会の常識には、それでいいの?と疑問に感じる点もあるということだ。

昭和を知らない世代に、昭和がどんな時代だったか知ってもらい、その時代を生きてきた人たちから見た令和社会への疑問から、気づきを得てほしい。いまの社会が当たり前ではないという視点も持ってもらいたい。そんなメッセージが、込められているのではないだろうか。

ミュージカル調で、笑いながら楽しめる

本作は、それを社会派ドラマではなく、エンターテインメントとして笑いながら楽しめるドラマに昇華している。そのためのミュージカル調なのだろう。

昭和の暑苦しい人たちにとって、なんでもコスパの令和社会はおかしいけれど、それを言っている昭和人こそ、平成・令和人から見るとおかしい。

お互いに笑いながら理解を深めることで、生きづらい思いをしている人が少しでも楽になる社会になってほしい。そんなことを伝えている気がする。

ゆえに、本作を見た世代による温度差は、生じるべくして生じたものであり、そのギャップから気づきを得ることこそ、このドラマの意義につながる。

第2話までは、令和に迷い込んだ市郎が大暴れしてきた。これまでのパターンはおもしろいのだが、この先も同じフォーマットだとすれば、いずれ飽きられてくるかもしれない。

ネタは違っても同じパターンが続くと“味”は薄くなっていく。4〜5話あたりでの新たなストーリー展開にも期待したい。

昭和にもどった主人公はどうなる?

第2話のラストで、市郎はタイムトンネル(?)に落ちて昭和に戻った。次は、昭和にタイムリープした令和の母・サカエと息子・キヨシが、昭和社会の壁にぶつかるなかの騒動が描かれていくのだろう。

市郎と純子の“ちょめちょめ”を巡る父娘のかけあいは毎週見ていたいが、令和人・サカエの昭和での大暴れにも期待したい。

(視聴率は関東地区、ビデオリサーチ調べ)

(武井 保之 : ライター)