70代の母が入院したことで実家が空き家になり、片づけを始めたライフオーガナイザーの尾花美奈子さん。捨てるのが大変だったものや、スムーズに進めるコツなど、ESSEonlineの記事をまとめました。

70代の母が介護施設へ。布団や衣類、「実家の片づけ」は困難を極めた

「実家の片づけ」や「生前整理」という言葉がよく聞かれるようになりました。自分の親に万一のことがあったときの実家の片づけに対して不安を感じたり、片づいていない危険性を心配したり、多くの方がそういう思いをされているのではないでしょうか。
そこで今回は、私自身が実家の片づけをした経験がみなさんの参考になればと思います。

きっかけは母の入院。介護施設に入り実家が空き家に

きっかけは母の入院でした。既に父は他界しており、ホームヘルパーさんの助けを借りつつひとり暮らしをしていた母。去年10月下旬の定期健診で病気が見つかって入院することになり、その他の身体的問題も考慮して退院後は医療体制の整った介護施設への入所を医師から勧められました。

「勧められた」と言ってももうその選択しかないような内容で、その話し合いから入院まではわずか3日間。母は家族と長年暮らした家をいきなり去らねばならない現実を突きつけられ泣いておりました。娘の私ですら受け入れがたいことだったので本人は尚更です。

実家の片づけ。タイムリミットは1か月

その3日間でできたことは入院準備のみ。退院後に施設で暮らすのに必要な物の準備は私に託されました。入所予定は12月に入ってすぐ。約1か月でやらなければなりません。

施設の部屋はミニキッチンとバス・トイレがついたワンルームの個室。高齢者のワンルーム暮らしとは言え、衣類や日用消耗品、寝具、カーテン、小さいサイズの洗濯機や冷蔵庫など、若い人がひとり暮らしを始めるときと同じようにそろえる必要がありました。

調理器具は必要ないし衣類や趣味のものも最低限になる分、ラクに準備ができるかと思ったらそれは大間違いでした。

「なにがあるのか本人以外わからない」に阻まれる

いちばん大変に感じたのが、準備するものが自分のものではなく母ものだったからです。「衣類はあのタンスに入っている」「寝具はあの引出しの中」と大体の場所はわかっていたけれど、その場所をあけて見たときにそこにあるものが具体的になんなのかわからなかったのです。

たとえば、肌着も長袖なのか半袖なのか畳んでいるからひと目ではわからない。同様に靴下も足首丈なのかふくらはぎ丈なのかわからない。広げて確認できた後はまた畳み直さないといけない。

寝具も敷布団カバーなのか掛布団カバーなのかわからず、とくにカバー類は何枚もあったのでどれを持って行くのか私では決めかねてしまい、入院中の母の携帯電話に電話をかけて聞きました。

そのときも、母の携帯電話はガラケーだったのでオンラインでの会話ができず、写真を撮って送っても写真を見ながら通話ができないので結局言葉だけでのやりとりになり、母も「そんなものあった?」「そこに入ってない?」と記憶があやふやになる場面もあって苦労しました。本人が準備をするならこういったことはなかったわけです。

整理上手な70代の母が手放せなかったもの3つ。空き家になった「実家の片づけ」

施設へ持って行ったのは当面必要なものだけでしたのでいずれ追加で持って行きます。それがすんで、母の新しい暮らしに必要なものがひと通りそろったら実家を売却する方向で片づけを始めました。

まず最初に感じたのは「ものの多さ」です。母は整理整頓が得意な方でしたのでひどく散らかったようには見えません。でもそれは家が広いために収納できていただけで、40代の私から見れば「こんなに持っていたの?」「まだあったの?」と驚きとため息の連続でした。
「もったいない」と言ってなかなか捨てられない世代ですから、自分が使っていなくても今後使う予定がなくても、ものとして使えるならとっておきたがります。

とくに多かったのが「服」「食器」「古い家具」の3つでした。

(1) デザインもサイズも合わない服はまさにタンスの肥やし

母の収納にはサイズが小さい服やデザインが若すぎる服が結構残っていました。タンスに畳んで収納していたため確認しづらかったのかもしれません。また筋力の低下により重く感じるようになった服も着なくなっており、それらを除くとかなりの枚数が減りました。

残った服はクローゼットだけで収納できてしまいました。もっときちんと整理をしていれば、タンスが不要になって安全性も増したはずと少し残念に感じました。

(2) ひとり暮らしには多すぎる。危険性も含む食器

服に続き世代を問わず女性が集めてしまうのが食器ではないでしょうか。母もそうでした。ひとり暮らしになったからといって減らすのはやはり悩むでしょう。もったいないと思う気持ちも強いでしょう。手先の力が弱くなれば食器を整理するのがむしろ危なくなり、仕方ない面もあります。
でも、だからこそもっと早いうちに整理をしていれば、古くてガタつく食器棚も手放せて不安も消えたのではと思います。

(3) 不用品の収納となる古い家具

大きな家具はやはり手放すことが難しいようです。あまり入ったことがない納戸には私が小学生の頃に使っていたタンスがありました。滑りが悪くなった引出しを頑張って開けると、中は昔使っていたカーテンなど不用品ばかりでした。

たしかに大型家具を手放すことは大変です。だからといって取っておくとその中にまたなにかを収納してしまいます。手放す大変さやものへのもったいないという気持ちもわかりますが、それを所有し続ける大変さやもったいなさを感じました。

以上の3つが明らかに多すぎるものでした。

お金や貴重品はまとまっていてありがたかった

文房具や日用品、紙袋やタオルなど一般的にためがちなものに関しては、母の場合は引出しや箱の中などに収まる範囲でキレイに収納されていました。
また、「お金や貴重品」「母のアルバムとへその緒」が整理されてまとめてあり、これらは母に万一のことがあった時に所在がわかっていた方がいいものなのでありがたく感じました。

空き家の整理や不用品回収は専門業者にすべてを頼むこともできます。その分費用はかかりますが、早く片づくし自分の負担もかなり少なくすみます。早急に片づけたい事情がある場合などはすべてを任せる形で依頼するといいと思われます。
ただ私の場合は、母の持ちものは娘の自分が片をつけたかったという思いから自分で片づけました。

70代母の実家のクローゼット整理。不要なはずの服に、10代娘が思わぬ反応を…

母の服をチェックしながら整理をしていると、あることに気づきました。
・年齢を重ねてサイズやデザインが合わなくなった服
・敏感になった肌には肌ざわりが優しくない服
・介護の点からは不向きな前開きではない服
など、仮に施設のクローゼットが広くなったとしても「これから着ることはない」と思える服がたくさんありました。

もったいないけれど、もう処分するしかないのかとジレンマを感じていたとき、以前見たテレビ番組のことをふと思い出しました。

昭和ファッションが人気!若い世代が祖父母の昔の服をほしがる

それは昭和時代を知らない若い世代で「昭和レトロ」が流行っているという内容の番組でした。昭和時代の古い家屋、いわゆる古民家をリフォームしてカフェなどや自分たちの住まいにすることが人気なことは知っていましたが、ファッションにおいても昭和時代の服が人気だそうです。祖父母や両親のタンスの中から昔の服を探し、「オシャレ」「かわいい」と言って喜んでもらってくるのだとか。

昭和生まれ・40代後半の私から見れば、「懐かしい」「昔そういう服を着ていた」と感じる服が、10代、20代の若い世代にはそういったノスタルジックさはなく、むしろ最近の服では見られないデザインが新鮮に感じられて人気となっているらしいです。

母の昔の服を娘たちが喜んで着てくれた

「もしかしたらわが家の娘たちも着たがるかも?」
さっそくどんな昭和ファッションが今また流行っているのかを調べ、母が今後着ないであろう服の中からそれに近い服を持ち帰りました。娘たちに見せたところ「かわいい!」と大喜び。私から見れば奇抜なデザインの服もあったのでかなり意外な反応でした。

心配だったサイズについては高校生の娘はそのままでちょうどよく、小6の娘には7分袖や半袖、サイズ調整ができるブラウンジングブラウスが着られました。

祖母から孫へ。コロナ禍の今、服を通して家族がつながる

母の服を着た娘たちの写真を母に送ったところ「最近の流行りにはついていけない」と驚いていましたが、その言葉からはうれしそうにしている様子も伝わってきて、ほっとしました。コロナ禍でなかなか面会に行けず離れて暮らしていますが、母の服を通して繋がることができたように感じています。

整理上手な70代母でも苦労した「実家の片づけ」が完了。意外な成功ルール4つ

2021年末にひとり暮らしをしていた母が急遽入院し、その後介護施設へ入居したことで始まった実家の片づけ。

少しずつ片づけてきて、とうとう実家はなにも状態になりました。さかのぼってみると父が亡くなったあとの2015年から父の遺品整理と母の生前整理を行ってきました。
今回はそのときのことも含めて、「実家の片づけ」について振り返りたいと思います。

1:母のやる気があった時期は、「捨てなよ」と強要しない

当初は母のやる気があって順調に進みました。父の遺品整理が中心だったので、義務感が原動力になっていたのかもしれません。
ただこのときの母は60代後半で体力の回復が遅くなっていたし、私は実家に住んでいるわけではないので、次のことを心がけました。

<心がけたこと>
(1)「いる、いらない」などの判断は母。物を運んだり体を動かすのは私。
(2)否定やダメ出しなど、ケンカになるようなことはしない。
(3)「いらないよね」「捨てなよ」と強要しない。

とくに(3)の言葉はNGワードでもあります。親子に限らず夫婦間でも、相手の価値観での判断を押しつけられるのはイヤなこと。あくまでも主役はその家に住まう母。私はサポート役に徹しました。

2:母が病気になり体力がなくなってきた時期は「安全」を優先

病気をきっかけに母の体調や気分が優れない日が増えてきて、「だからこそ早く片づけてほしい」と思う気持ちと、「無理をさせたらいけないという気持ち」の間で揺れ動いた時期でした。

<心がけたこと>
(1)貴重品や重要書類の整理を整頓を最優先。
(2)「捨てる」「減らす」より「体への負担が少ない」「安全」を優先。
(3)少し疲れたかな? という程度でやめる。余力を多めに残す。

私から見るともっと片づけた方がいいのではと思うところもありましたが、母はそこまで望んでいません。
「母のため」と言いながら、「いつか最終的な片づけをすることになる自分のため」というエゴが先走らないように、「母が多くを過ごすスペースが安全であればそれでいい。BESTよりGOOD」と割りきりました。

踏み台を使わないと届かないキッチン上の収納は、処分や移動をして空っぽにしました。

3:施設に入居した母の「うれしかった言葉」

その後コロナ禍になり片づけが中断したまま母は施設に入居し、実家の片づけは「家じまい」に向けて私がひとりでやることになりました。

当初は母が洋服や日用品の不足分を取りに戻ってくる可能性があったので、それらをすぐ取れるように収納し直し。実際に母が荷物を取りに戻ったあとで、電話でこう伝えてくれました。

「一か所にまとまっていたので動きまわらなくてすんでラクだった」
「キレイに収納されていたからすぐ見つけられた。」
「こうしておけばよかった」

それを聞いてとてもうれしかったです。母が病気になった時点でこの状態まで片づけられていたら、もっと体への負担が少なくラクに過ごせていただろうなと複雑な気持ちもありましたが、それでも片づけてよかったと思えました。

キッチンの消耗品は整理して4段の引出しにキレイに収納しました。

数か所に分散していた洋服もひとまとめに。アイテムごとに引出しに収納し、ラベリングをしました。

4:高齢者宅の片づけは「より快適に生きるため」に

片づけの仕事をしていて高齢者の場合、このような問題があると感じています。

・片づけようにも片づける体力がない。日々暮らすだけでやっと。
・人に家に入られることを嫌がる。
・場所が移動すると新しい場所を覚えられず、むしろ混乱する。
・子ども世代と価値観が違う。
・そもそも片づける必要があると思っていない。

子どもはよかれと思っても、親が片づけを拒否したらそれ以上は強く言えません。ただ母の口からも出たように、片づけると暮らしはラクになり生きやすくなります。

片づけを「自分のもしものときと向き合うこと」と捉えてしまうと、怖かったり悲しかったりでやる気が起きないでしょうが、そうではなく「より快適に生きるために」と捉えて、できるだけ病気や体に不自由が出る前にスタートさせてほしいと思います。