ESSEonlineで2023年12月に公開された記事のなかから、ランキングTOP10入りした記事のひとつを紹介します。

2011年に加藤茶さんと結婚し、45歳の年の差婚として話題を集めた加藤綾菜さん。結婚当初は「財産目当て」など心ないバッシングが相次ぎましたが、ふたりで危機を乗り越え、今では結婚13年目に突入。おしどり夫婦と言われるようになるまでの12年間の結婚生活を振り返っていただきました。

記事の初出は2023年12月。内容は取材時の状況です。

中学時代のいじめと、結婚当初の大バッシングを経て

「こんにちは〜! 今日はよろしくお願いします!!」

取材に現れた綾菜さんは、背筋をピンと伸ばし、よく通る元気な声であいさつしてくれました。明るくパワフルな綾菜さんを見ているとこちらまで元気をもらえそうだと話すと、こんな言葉が返ってきました。

「私、寝起きからずっとこのテンションなんです。それも幼少期から。物心ついたころからメンタルが安定していて、周りからも感情の起伏がほとんどないって言われています。女性によくある、生理前に気持ちが不安定になる傾向もなくて。多分、女性ホルモンより生命力の方が高いんですよ(笑)。

もちろん落ち込むこともありますが、自分で自分の悩みに向き合い、自分を肯定した上で『よし、がんばろう!』と前に進むことができるんです」(綾菜さん・以下同)

●駅のホームに突き落とされたことも

「中学1年生で受けたいじめは、令和の時代だと事件になるレベル。あだ名は『バイキン』で、殴る蹴るの暴力に始まり、カップラーメンをかけられてやけどになったこともありました。いじめっ子に見つからないようにトイレの個室でお弁当を食べていたら、上からホースで水をかけられ、せっかく母が朝4時に起きて作ってくれたお弁当が水浸しになったことも…。駅のホームに突き落とされて電車にひかれそうになったこともありました」

それでも綾菜さんは毎日学校に通い続けたと言います。その背景には、母の存在がありました。

「いじめを知った母は、『学校は休んでもいい』と言ってくれました。でも当時、母はシングルマザーで、一生懸命仕事している母のことを思うと、学校を休むのが忍びない気がして、自分の意志で通い続けたんです。すると母は、毎日お弁当に長い手紙をつけてくれるようになりました」

そこには必ずこう書かれていたそう。

ーー周りがなんと言っても、綾ちゃんは素晴らしい子だよ。だから自分を卑下しちゃいけないよーー

「おかげで私は、通常なら自己肯定感が爆下がりになるところ、なんとか保てていたんです。

毎日学校に通い続け、だれも返事してくれないのに毎朝『おはよう』って大きな声で教室のドアを開ける日が続きました。怖くてドアを開ける手は震えているんですが、母から『勇気は出るもんじゃなくて、出すもん』と言われていたから、その言葉を胸に思い切って開けるんです。そうしたら半年後に『綾ちゃん、おはよう』と返してくれる子が現れて、初めて友達ができたんです」

その後進級し、クラス替えでいじめっ子と別のクラスになったのを機に、いじめ被害は消滅。

「当時はその中学校が、自分の世界のすべてでしたから、いじめがなくなったことで『勝った!』と思えました。この経験は自分の人間としての根幹ができた気がして、強く心に残っています」

●バッシングから立ち直るまでにもらった“ふたつの言葉”

それから9年後。当時23歳の綾菜さんは45歳上の茶さんと結婚したことで、「財産目当て」とバッシングされる日々が続きます。

また、食事の好き嫌いが激しく、味の濃い揚げものなどを好む茶さんを喜ばせようと手づくりしたものをブログに載せると「加トちゃんを殺す気か」「やはり保険金目当て」と…。

「中学時代に経験した直接的な暴力に比べたら、知らない人たちからの誹謗中傷はそこまでのダメージではない。それでも、当時は世界中から嫌われている気がして、中学時代のいじめに次ぐ、つらい経験だったことには間違いありません」

傷つく綾菜さんに対し、茶さんは当初、なにも言わなかったそう。

「それどころか、私から見たら、加トちゃんはめっちゃ普通で、テレビ見て、ケタケタ笑っている。だんだん、『なんで加トちゃんは普通なのに私だけこんなにつらいんや』と、すごい苛立って卑屈になりました」

そんななか、加トちゃんが唯一かけてくれた言葉が「10年忍耐」でした。

「『ひとつのことを10年やり続けたら、絶対にだれかが認めてくれる。だから、わざわざ反論しなくてもいい。誠実に生きていたらだれかが見てくれているから』――。加トちゃんはこう言うんですけど、当時の私は『10年は長いわ。耐えられん』と、受け止めることができませんでした」

そんなある日、女性芸人の久本雅美さんから、ある言葉をかけられます。

「久本さんが私の手を握ってこう言ってくれたんです。『綾菜ちゃん、自分がどう生きるか、だよ。周りにどう見られるかじゃないんだよ。あなた自身はどう生きたいの?』。そして『つらかったなー』って、抱きしめてくれた。

確かに私はいつも周りからどう見られているかばかり気にしていた。私自身はどう生きたいんだろうか。改めて考えてみました。

私は幸せになるために覚悟して加トちゃんと一緒になったのに、これじゃただの可哀想な人だ。加トちゃんだって叩かれるのを覚悟のうえで私と結婚してくれたのに。

そう気づいたとき、このまま弱くて臆病なままだと、自分に負けてしまう。強くなることが幸せへの道だと、ようやく覚醒しました。人生2回目の『強くなろう』と、心から思えた瞬間ですね。

今、『つらかったら逃げてもいい』という風潮が社会になりますが、私の場合、逃げても自分からは逃げられない。だから立ち向かおうと思ったんです」

加トちゃんの病気を乗り越えてわかった優しさ

そうこうしているうちに、2014年6月、加トちゃんがパーキンソン症候群を発症。60kgあった体重は38kgまでに激減し、のどの筋肉も衰えてなにも食べられなくなり、点滴で栄養を摂るほどに。

「決まっていた舞台は全部キャンセルしました。医師からは、舞台復帰は厳しいと言われて…。加トちゃんはあまり意識がないし、絶望的な気持ちになりました。でもある日、ドリフのDVDを病室で流していたら、加トちゃんが笑ったんです。そしてこう漏らしました。『また舞台に立ちたい』と」

このとき綾菜さんは、「先生がダメって言っても私が舞台に立たせてあげるから」と茶さんと約束。同時に、「加トちゃんを絶対に死なせない」と強く心に誓ったといいます。

「今はバッシングで落ち込んでいる場合じゃない。次なる“敵”に向かって、必死に闘いました」

退院後、約1年間の通院リハビリを経て、茶さんは奇跡の復帰を遂げました。そして綾菜さんは、この大病を献身的に支えた妻として認知され、バッシングは消失。以降も、良妻として広く知られるようになりました。

ーーそれから10年。

ある日、綾菜さんが「今までの人生でなにがいちばんつらかった?」と聞くと、加トちゃんは「バッシングされて、綾ちゃんが苦しんでいるときがいちばんつらかった」と答えたそう。

「ああ、そうだったんだ。あのとき私は『自分はすごくつらいのに加トちゃんは“10年忍耐”しか言わんし普通にテレビ見て笑ってる』と憤りを感じていましたが、加トちゃんは加トちゃんで苦しんでいて、私にはそれが見えていなかったことにようやく気づいたんです。
同時に、事務所に誹謗中傷の電話が山のようにかかってきていた事実を、私に言わないでいてくれたことも知って…。加トちゃんは平静を装って私を必死に守っていてくれたことを思うと、この先は私が加トちゃんをなにがあっても守ろうと、改めて思いました」

年が明けると、結婚生活14年目に突入する加藤さん夫婦。互いに相手を守ろうとする愛情と夫婦の絆は、一段と濃くなっているようです。

そんな綾菜さんが、加トちゃんの健康のために医師と栄養士の先生とともに開発した“無理なく続けられる”減塩レシピ集『加藤家の食卓』(アスコム)が好評発売中。こちらもぜひご覧ください。