富野由悠季(とみの・よしゆき)/アニメーション監督。1941年生まれ。64年日本大学芸術学部映画学科卒業。数多くのテレビアニメの演出を経て、79年に『機動戦士ガンダム』の原作者・総監督となり、ガンダムブームを生み出した。小説家としても『リーンの翼』など著書多数(撮影:梅谷秀司)

鳴動する政治。終息しない戦乱。乱高下する市況。その先にあるのは活況か、暗転か――。

『週刊東洋経済』12月23-30日 新春合併特大号の特集は「2024年大予測」。世界と日本の行方を総展望する。


過去10年で市場は2倍に──。盛り上がりが続く日本のアニメ産業の現状を、50年近く業界を牽引してきた“巨匠”はどう見ているのか。「ガンダム」の生みの親、富野由悠季監督が語った。

──かつてサブカルチャーだったアニメは、今や国民的文化です。

昔は肩身が狭かった。ぼくは、住宅ローンを心配しながら40年以上、フリーランスとして業界に身を置いてきた人間でね。

思い出すのは毎年度の確定申告。税務署に行くたび、アニメの仕事は何かということを職員に説明しなければならなかった。「映画のチケット代を経費に認めてくれ」「なぜ?」「映画を見なかったらアニメの仕事にならないから」「は?アニメの仕事って何?」。こんな問答を10年近くさせられてきた。

今が頂点となったら、これから先はどん詰まり

でも今は、税務署から小ばかにされることもない。そんな実感からいうと、今の業界の社会的地位向上は、とてもありがたいこと。

アニメの産業が隆盛期なのは確かだろう。しかし、今後もこの状況が続くかどうかは、わからない。あともう5〜6年は盛り上がりが続くかもしれないけれど、そこまでで、衰微していくでしょう。

小説でも映画でも同じことだが、時代の波に伴って必ず生じる盛衰というものがある。作品は、心を持つ人間が楽しむものだから、世の中の環境が変われば、文化の様相も変わってきて、人の心性も変わっていく。だから、今が頂点となったら、これから先はどん詰まり。

アニメ自体は、なくならない。ただ、今以上に優れた作品が出てくるかというと難しいと思える。手描きのアニメからデジタルに切り替わった後のディズニーの作品は、「え?」と落胆するようなものばかりになったが、そういう再生産になっていくから。

宮崎駿監督アニメのような作品が、古典的な作品として、今後も見られ続けていくと思う。

「ガンダム」シリーズも歴史に残るのではないかって? うぬぼれるつもりはないが、1行ぐらいは記されるかもしれない。

でも実をいうと、「ガンダム」という作品にぼくが込めた、社会論とか戦争論といった根幹的なメッセージは、ガンダムという巨大ロボットの造形に邪魔をされ、思うように伝わっていないように感じる。子どもは恐竜が好き、巨大ロボットも好き。その嗜好性の延長に「ガンダム」の人気がある。不本意なことに、視野の狭いメカフェチに支えられてきた部分がある。作品単体でみたら『ちびまる子ちゃん』『ワンピース』の人気にはかないませんね。


『機動戦士ガンダム』原作者の富野由悠季監督(撮影:梅谷秀司)

偽物を識別するヒトの力

──AIの制作への応用が進んでいます。アニメーターの仕事も今後奪われていくのでしょうか。

棋士の藤井聡太さんが、以前、こういうことを語っていた。中学生のとき、将棋のAIソフトをプレーして、とても強いとは思ったけど、どこか疑わしいところがあった。だから自然と、自分で考える癖が身に付いた、と。

人間のすごい能力は、「何か違う」と識別する感覚があること。ぼくはその感覚を信用している。

演劇も、同じ演目であっても微妙にハマる芝居とか、ハマる役者というものがある。今後アニメがデジタル化し、AIの導入が進んでも、機械による創作は、それほど簡単に人間のレベルを超えるところにはいかない。人間はリアルなものが好きだから、リアルじゃないものを見分けてしまう。するといずれ人の仕事が見直され、アナログな線画に戻ると思うな。

──アニメ市場は膨れる一方、制作現場への還元が少ないなど、儲けの偏在が指摘されています。

実は業界でいちばん儲けているのは制作会社でも出資者でもない。

動画配信をしている業者だ。あの「プラットフォーマー」と呼ばれる連中が、本当に作品の知的財産権に対して、正当に支払いをしている仕組みになっているのか。それをいちばん懸念している。

ああいう、巧妙なシステムをつくり上げて、利用者を囲い込んで逃れられないようにしている連中から、儲けを奪われないようにするにはどうすべきか、昔考えたことがある。思いついたのは使っている電波自体に課金させることぐらいだ。そんなのSF以下だろうけど。

──それで制作現場は苦しいまま。

でも、あえて言うと、創作をする立場の人は、このままでもいいんじゃないか、とも思う。

バンダイナムコグループの組織統合の一環で、この荻窪の新しいビルに仕事場が移転して1年が経つが、新しい作品を作るうえではいい環境だとは思えない。

この立派なビルは、全部デジタル化して、空調が利きすぎている。今日のディズニーのデジタルな制作システムが作り出す作品のつまらなさと同じこと。創作をする人は、クレイジーな部分がないといけない。霊的感覚、土臭さ、インディーズっぽさ。空調を完全制御した空間で、土着性のある作品を作れるのなら作ってみろと思う。

長谷川町子の『サザエさん』を見返すと、戦後の生活の中で漫画が出始めた頃、隙間風がピューピュー吹く仕事場で描かれていたのではないか、というにおいがする。そういうにおいがなくなることのほうが、ぼくは危険な気がする。

製作プロデューサーがいちばん気をつけるべきは、アーティストという人種を活かす場を与えること。金をかけて、高層ビルのフロアを仕事場に提供すれば済むほど、事は単純でない。ものづくりの実務を知らないサラリーマンが、創作の「マネジメント」をできるとずうずうしくも思う。それで、プロデューサーが創作者ともめる。

現場を見るのをおっくうがるな

──今を生きるビジネスパーソンに伝えたいことは。

今言ったように、現場を見るのをおっくうがるなということ。農業で例えると、気候、地形、地質。それから土地の癖。複雑な特徴を踏まえてどう維持していくかという感覚を持つことが大事。伝票の数字だけを見ていたら、ダメ。

現場の痛みは、キレイな事務所にいても感じ取れない。だが、口が達者で現場感覚のない人が、出世してしまうことがある。テレビ局で多いのだが、そういう実務を知らない連中が指揮権をとると、つまらないものができる。だから、ちゃんと現場には足を運んでくださいね。

(聞き手:西澤佑介)


(西澤 佑介 : 東洋経済 記者)