純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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PDCAでカイゼンを重ねてZDを追求する、という経営手法は、戦後日本独自のもので、それが高度経済成長を導き、ジャパン・アズ・ナンバーワンに押し上げる。その過程において、世界で唯一の不戦平和国に生まれ変わった敗戦荒廃国の世界再デビューの機会として、1970年の大阪万博は、米ソ超大好戦国から、AAの新興立志国まで、多くの人々が集う機会となった。

しかるにいま、日本は、なんだかんだで、もはや「ふつうの国」。それどころか、少子高齢化やカイゼン限界によって、世界の中でも、おそろしい勢いで没落していっている。そこでインバウンドだ、観光立国だ、と言うが、廃墟ツアーでもあるまいに、外国人がやってきて土地まで買い漁るのは、売りもの作りものの「古都・古道」や、腐臭のする「歌舞伎町・秋葉原」、相続放棄された僻間の「リゾート地」。かつて志賀重昴が讃えた白砂青松の日本的な風景、礼節徳教の日本的な美風は、ほとんどどこにも残っていない。

このおぞましいまでの文明的没落にもかかわらず、いまだに1980年代のブードゥー経済学に取り憑かれ、トリクルダウン、トリクルダウン、と呪文を唱えて、上級国民を優遇し、下層から搾り取った税金をわけのわからない国家イベント、新興国支援にばら撒きまくっている。だが、ばら撒いたカネは、それが倍増して上級国民のふところに環流しただけで、下層はいよいよ砂漠化、少子化、貧困化。それで、奴隷が足らん、といって、言葉もできない外国人労働者を呼び集めようなどと言うが、ジャブジャブになって通貨価値が下がった国になんか、だれが来るものか。おまけに、近ごろは、自分でロケット一本飛ばせもしないのに、外交では、ミサイルだらけの諸周辺国にガンを飛ばしまくっている。いつ集中砲火を浴びるかわからない、こんなやばい国に、だれが呼ばれて行くものか。

まさにリア王のような老いぼれの世界観だ。かつては世界を治めていた、一言で海さえ割れた、でも、いまは朝ひとりで目覚め、自分の来た道を掃き清めるだけ。それはつかの間の鍵。我らが城々は塩の柱、砂の柱の上に建っている。この場に及んで、大々的な集金パーティなんか開いたところで、いまや落選確実の虚名政治家では、だれも寄りつかない。それどころか、そんな一味と思われれば、自分まで没落の地の底へ引きずり込まれる。

現実という鏡を見ろ。そこに立っているのは、白髪さえ抜け、因業なシワで力無い両眼は落ちくぼみ、重い衣装に耐えられず、腰を伸ばすこともできない老いぼれた国だ。その手が触れたものは、黄金どころか紙屑に化け、塵となって地に崩れ落ちる。そのゴミを集めて埋め立てた泥沼島でのお祭り騒ぎなど、冗談にもならない。

十年ほど前から、日本を成功に導いたPDCAも、いまや Plan-Delay-Carryover-Absurdity (計画・遅滞・延期・茶番)などと揶揄されている。立案だけは立派だが、実行は遅れに遅れ、どんどん先延ばしになって、最後は箸にも棒にもかからないチンケなやっつけ仕事で茶を濁す。そして、その後は、すてきなオアシスだ。おれじゃない、あいつが悪い、証拠があるか、済んだこと。それも、まさにほんの数年前にも見た情景なのに、懲りずにまた繰り返そうとしている。

いったいだれが、こんな狭い島国の中の「老土人たち」のゴタゴタに、わざわざ頭を突っ込むだろうか。外国はもちろん、国内の業者ですら、こんなのに関わったら火の粉がかかって丸焼けになる、と逃げて回っている。そして、こんな慢心にかまけていたら、いずれ大きな事故災害を引き起こす。だが、庶民にできるのは、せいぜい話に近寄らないことだけなのか。