日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。今回は4人の男の子を出産した後、完全なセックスレスに陥った朋美さん(仮名・52歳)にお話を伺いました。家事もしない、育児もしない、相談にものってくれない、夫婦生活も一切ない。収入だけが取り柄のような夫が、子どもたちの部活費用に文句を言い始め、あっという間に離婚を考えることに…。

 

夫は結局、「自分」がいちばん好きな人だった…

「全部任せた」といって、家事も育児もしない夫。夫婦生活も完全に立ち消え、4人の子どもを必死に育てながら「もうお金だけ出してくれればいいや」と割りきっていた40代当時の朋美さん。

●親からも友達からも、離婚を何度もすすめられる

もうこの頃になると、いつもヘトヘトになっている私を見かねて、実の親や友人たちも、「無理しないで離婚したほうがいいんじゃない」とアドバイスするようになっていました。

「こんな人のどこが好きなのか?」ともよく聞かれて、「夫じゃなくて、夫の会社が好きなの」と話していたのですが、これは冗談でもなんでもなくて、人柄でも体の相性でもなく、最後は本当にお金だけで繋がっていたような気がします。
それが、自分は高級腕時計にはお金を使うのに、子どもの部活費用に文句をつけてくるようになって、私ももう我慢の限界がきてしまいました。

そんなある日です。夫が子どもたちを玄関先で怒鳴りつけている現場に遭遇してしました。

●「もうダメだ。離婚しよう!」と決意した瞬間

「また砂が落ちとる! お前らの野球のせいで玄関も廊下もめちゃくちゃじゃないか。いい加減にしろ。こんなことなら野球なんか辞めちまえ!」と大きな声で怒る夫。あ、こんな面もあったんだとびっくりしました。

昔からことなかれ主義で、シャイで自分の意見をあまり言わないタイプかと思っていたので、夫の意外な本性を目の当たりにして、胸の奥をすーっとなにか冷たいものが落ちていくような感覚を覚えました。
泣きながら掃除をして「野球を辞めます」と言わされている長男と次男。こんなに一生懸命部活をがんばっているのに。私は普段、家族みんなで応援に行けない家庭環境に申し訳ささえ感じていました。なのに夫は子どもたちに関心を持たないばかりか、自分の都合で野球を辞めさせようとまでしてくる。

子どもたちの未来に、この人はもうマイナスな存在でしかないと感じた瞬間、離婚しよう! と決心がつきました。

●離婚届を置いて、家を出て行った

腹が決まってからは本当に早かったです。

子どもたちには「お母さんはお父さんと離婚しようと思う。もう家族としてやっていけないから。みんなはどっちと暮らしたい?」と選択させました。すると全員「お母さん」という答え。
よっしゃ! だったら、私が大黒柱になろう! とパワーが湧いてきました。不動産屋へ行ってすぐに近くのアパートを契約。翌週には荷物をまとめてテーブルに離婚届を置き、子どもたちを連れて引っ越しました。
夫からは「○月〇日に出しておきます」とメールが来ただけ。子どもたちの親権も主張してきませんでした。引き止められたりしたら、私も話し合おうと思ってはいたのですが、最後まで家族に無関心なまま話し合いの機会すらありませんでした。

ところが、ここで近所に住む夫の親族たちから思わぬ横やりが入ってきたのです。

「この地域から出て行け」夫側の親族からの非難

田舎なので、私が子どもを連れて夫と別居を始めたというのはすぐに近隣に住む親族の耳にも入ってしまいました。

すると「離婚するなら、もっと遠くへ行って。うちの一族の人間が離婚してバツイチになるなんて世間体が悪い。こんな近所に住むな。この地域から出ていけ」という趣旨の電話が何本もかかってくる始末。

本当は子どもたちの学校を転校させたくなかったのですが、さすがの勢いに私も根負けし、結局2つ隣の駅の別の市へと移り住むことになりました。
夫側の親族からの非難はすさまじいものでしたが、義母だけは「孫たちのことはこれからも遠慮なく頼ってね。朋美さんはお仕事してるんだから」と、優しく接してくれました。

子どもたちが健康に大きく成長してくれたのは、義母が毎日食べさせてくれていた手料理のおかげでもあります。私ひとりではとてもできなかったことなので、すごく感謝をしていたのですが、私たちが引っ越しした直後に体調を崩して急逝されてしまいました。

最後にお礼の挨拶にも行けなかったことは今でも申し訳なく思っています。

●離婚してから分かった、親の優しさ

そして離婚が成立した直後、私の実の父もまた、突然の病であっという間になくなってしまいました。

私の父はかなり前から夫のことをよく思っておらず、「子どもが4人もいて、別れたくても別れられずにいるんじゃなかろうか」と周囲の人にこぼすほど、ずっと私のことを心配していたのだそう。私に直接言ってくることはなかったので、なにも知りませんでした。
私が離婚したと報告したとき、「よかった。ホッとしたよ」と静かに喜んでくれた笑顔は今でも鮮明に思い出せます。

●「もうお前たちの家じゃないから」と、子どもたちから鍵を取り上げた夫

引っ越しのときに、自分たちの部屋の荷物を一気に持ち運べなかった子どもたちは、それから何か月か時間をかけて、少しずつ運び出していました。
父親である元夫と顔を合わせることもあったようなのですが、子どもたちの暮らしぶりを心配するどころか、ある日「もうお前たちの家じゃないから鍵を返せ」と言われ、家の鍵を没収されてしまったのだそう。

●今になって思えば弁護士を立てればよかった

夫の言い分は「自分は不貞行為をしたわけでも、借金をつくったわけでも、暴力を奮ったわけでもない。お前たちが勝手に出て行ったから離婚するんだ」というものでした。なので、慰謝料も養育費も一切支払われていません。

私も、早く夫と離婚して生活を別にしたいという思いが強く、勢いで離婚届を書いてしまいました。けれど今になって思えば、子どもたちのためにこそ、弁護士を立ててお金の確保をすればよかったなと思っています。

実際、私の稼ぎだけで男の子たち4人を育てるのはとても大変。食卓に並ぶのはいつも安売りで買った鶏肉料理ばかり。

それでも学生時代のヨット仲間たちがいつも助けてくれて、「お肉焼くからおいで」と家に呼んで牛肉を食べさせてくれたり、連休には「みんなでキャンプに行こう」と家族ぐるみで旅行に連れ出してくれたりします。

●レス夫と離婚してよかったこと

現在、大学生になった長男は推薦をもらって進学することができました。次男も夢だった甲子園に出場。下の二人もそんな兄たちの背中を追いかけながら、それぞれ好きなスポーツに思いっきりのめり込んで大きく成長しています。
きっとあのまま夫の言うことを聞いて子どもたちから野球を取り上げてしまっていたら、今のような未来はなかったと思うので、離婚したことは一ミリも後悔していません。私自身も心が軽くなって、仕事も以前より生き生きとがんばれるようになりました。

当時の私は、もしかしたら心の病気になりかかっていたんじゃないかなと感じることもあるほど…。いろいろあったけれど、“仕事を辞めなかった”、これが私にとって大きな武器になったと思っています。

朋美さんの場合は今回で完結です。レスがひとつのきっかけとなって離婚した朋美さん。結局は幸せになったと取材の際に教えてくれました。