三笘のスーパーゴールはなぜ生まれたか。岐路に立つ日本が学ぶべきもの
守備的サッカーが巻き返したケースは2度ある。1度は1990年代の中頃だ。プレッシングの反動からイタリアでカテナチオが流行すると、ドイツや東欧の一部が追随。欧州では3分の1ほどのシェアを占めるまでになった。しかし、1997-98シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)の決勝で守備的サッカーの旗手であるユベントスが、レアル・マドリーに敗れると、守備的サッカーの波は衰退。1割に満たない程まで落ち込んだ。まさに天下分け目の決戦において、守備的サッカーは敗れることになった。
だが交代カードをウイングバックの入れ替えに使えば、前線は入れ替えにくくなる。プレッシングは時間の経過とともに鈍りがちになる。守備的サッカーの色は残りやすい。
日本の場合は、ウイングバックは身体が元気なうちから後方待機を決め込んでいた。森保ジャパンは守備的サッカーの概念に収まる、オーソドックスとは言い難いサッカーを展開した。今後どうなるか。三笘はどこでどう使われるのか。誰もが抱く素朴にして重大な疑問は、放置されたままだ。
森保監督は、日本代表の新監督に就任した当初、何試合か5バックになりやすい3バックで戦っている。五輪チームでは東京五輪の割と直前まで同様のスタイルで戦っていた。サンフレッチェ広島で監督を務めている頃は「3バックはこれから流行ると思いますよ」と、その旗振り役のようなスタンスを取っていた。
影響を受けた人物は、森保氏が同チームのコーチ時代、監督を務めていたミハイロ・ペトロビッチだ。そのサッカーを、監督に就任してもそっくりそののま引き継いだのである。こう言ってはなんだが、守備的な3バック(5バック)の世界的な流れや、攻撃的サッカーとの関係、それにまつわる欧州史を学んだ後、満を持して守備的サッカーを選択したわけではない。研鑽を積んだ場所が国内に限られているその引退後の足跡を辿れば、目の前にあったミシャ式サッカーを、そのまま借り受けた印象は免れない。そのインターナショナルではない振る舞いや言動に、なにより日本代表監督として足りない要素が見て取れる。