「彼のこと好きになれたら、幸せになれるのに…」ドキドキする相手としか付き合えない女の運命は…
港区界隈に夜の帷が下りる頃、あちこちで「ポン！」と軽快な音を立ててシャンパンが開く。
そこに突如として現れる美麗な1人の女がいる。
彼女の名は、天堂麗香。人呼んで「ポン女」。
港区とシャンパンをこよなく愛し、この地の治安と経済の発展のために生きる伝説の女だ。
◆これまでのあらすじ
近藤と2人きりで食事をすることになった菜々子。その席で、早坂が海外赴任する予定だと聞かされ、心が大きく揺さぶられるが…。
Vol.11 付き合う理由
「菜々子ちゃん、どうかした？」
「ごめんなさい、フカヒレ美味しすぎてぼーっとしちゃいました」
近藤の声で我にかえった菜々子は、笑って誤魔化した。
「早坂さんが海外にいっちゃったら、近藤さん寂しいですね」
「早坂みたいに、ちょっと空いた時間に気軽に会える間柄の友達って結構貴重なんだよね」
近藤はとても残念そうに言った。
「どこに赴任するんですか？」
「香港だって。1〜2年って聞いているよ」
話のついでを装って、菜々子はずっと気になっていたことを尋ねる。
「早坂さんって、彼女とかいるんですか？」
「いない、いない。口がうまいから、めちゃくちゃ遊んでそうに見えるじゃん？でも、早坂は忘れられない彼女がいるから」
思いがけない“忘れられない彼女”というワードに、菜々子の動きが止まる。
しかし、すぐに「意外すぎる！」などと言ってみる。
「どれもとても美味でした」
気がつくとオーダーしたものは一通り食べ終えていた。
お料理は美味しかったし、近藤との会話は思っていた以上に楽しかった。話が面白いというよりは、自分の知らない世界を垣間見るという意味で。
「よかった。この後、軽く飲みに行かない？」
「明日、収録で早いんです」
当たり障りのない理由をつけて、菜々子は断った。
そして、「タクシーを呼ぶ」という近藤を制し、駅が近いから歩いて帰りたい、と通した。
店を出た時、ちょうど通りかかった空車のタクシーが2人の前に停車した。グッドタイミングとばかりに、無理やり近藤を乗せて見送った。
菜々子は、ようやくバッグからスマホを取り出し、LINEを開く。
『早坂：今日は行けなくてごめんね』
短い一文のみ。
しかし、菜々子がLINEを既読にするのを待っていたかのように、すぐに謹賀新年のスタンプとともに、新しいLINEメッセージが届いた。
― はやっ！
『早坂：近藤とは楽しく食事できたかな？』
「どれも美味しかったです。早坂さん来ると思っていたのにな」とメッセージを打ち込む。だが、送信する寸前で思いとどまった。
― これじゃあ、会いたかったって思われるかな…。
「でも、本当のことだし」と酔った勢いということにして、菜々子は送信ボタンを押した。
「君はそういう思わせぶりなことを言うんだね、笑」という返信が来て、菜々子は急に恥ずかしくなる。
そのメッセージに返信をしないまま、菜々子は駅に向かって早足で歩き始めた。
自宅のある代々木上原に向かうには、乃木坂から電車に乗るのが適当だろう。
キーンと冷えた1月の夜の空気を吸い込みながら、とりあえず酔いを覚ましたいと菜々子は思った。
六本木通りをひたすら歩き、六本木のミッドタウン手前までやってきた。
ふと、こんなに歩いてジミー チュウのショートブーツの踵に、傷でもついていないか気になって立ち止まる。
その時、コートのポケットに入れていたスマホが振動し始めた。
― えっ、早坂さん？
菜々子は、突然の電話に「お疲れさまです」と言うのがやっとだった。
スマホ越しに聞こえてくる夜の喧騒に気づいた早坂は言った。
「まだ外にいるの？だったら、どっか中間地点で落ち合ってお茶かビールでも飲もうよ」
菜々子に、断る理由などなかった。
早坂は中目黒にいるという。
「これから千代田線に乗って代々木上原に戻る途中なんです。待ち合わせるならどこがいいかな？」
「代々木公園駅からすぐのところにある『タラモア』っていうアイリッシュパブ知ってる？そこはどうかな」
◆
代々木公園駅から地上に上がると、見慣れた商店街の景色に安心感を覚える。早坂が「一度だけ行ったことがある」というパブは、出口から徒歩2分ほど。
1人で先に入っていても構わないが、一応あたりを見回してみる。
すると、向こうの方に背の高い影を見つけた。
すぐに「いた」と思った。
会った途端、「待たせちゃ悪いから、タクシーに飛び乗ったよ」と大きな手のひらをポンと菜々子の頭に乗せた。
そのパブは自宅から徒歩圏内にありながらも、一度も踏み入ったことのない店だった。
キャッシュオン方式で、代金と引き換えにチョコレート色のギネスがグラスになみなみと注がれた。気取ってない雰囲気が早坂らしいと菜々子は思った。
「近藤から聞いたかもしれないけど、海外赴任が決まってさ。まだ少しさきだけど、辞令が下りた途端、にわかに忙しくなっちゃって」
「赴任の話、聞きました。今日来なかったのって、仕事なのかなって本当は疑ってました」
早坂には、なぜか思ったことを素直に口に出すことができる。
「確かに、近藤には菜々子ちゃんと2人きりになりたいから、来なくていいぞと言われたけどね。
しかし、こんなところで、2人でビールなんて、近藤への裏切りもいいところだ。まぁ、誘ったのは俺だけど」
そう言われると、菜々子自身も近藤に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ただ、なぜか近藤ではなく、早坂のことが気になるのだ。
「麗香さんの元で仕事をしていると、いろんな方々が彼女に恋愛や友人関係の相談を持って駆け込んでくるんですけど…。
きっと麗香さんなら、別にそれも悪いことじゃない、って言うような気がします」
菜々子は、ゆっくりと言葉を選びながら話す。
「こうやって2人で会っていることが？」
早坂が聞き返す。
女優として大成する夢を諦められなかったアサヒ、付き合っていた恋人と別れ、自分のためにお金を使ってくれる相手を選び取ったキイナ…。
麗香のアドバイスはいつだって、彼女たちが一番大切にしたいものを優先するようなものだった。
たとえそれが、お金や名声といったものであったとしても。
「それに、そもそも裏切ってません。私は近藤さんと付き合っているわけじゃないし」
菜々子が平然と答えると、「さすが、麗香さんの弟子だね」と早坂がおかしそうに笑った。
「正直、君と一緒にいたい気持ちはある。だから、ここでこうしてビールを飲んでいるけど。
でも、あと2ヶ月ちょっとで日本を発つから、迷ってもいる」
菜々子は黙って聞いていた。
「こういう状況で、無理をしても…ね？」
こう言われると、菜々子からはもう何も言えなくなってしまった。
菜々子自身、赴任の話はさっき聞いたばかりだ。それに、早坂にいつの間にか惹かれている自分に気がついたのも。
思えば大学時代に元恋人と付き合い始め、ほかに恋愛らしい恋愛をまったくせずに、この年齢になってしまった。
― 私、恋愛経験少ないから、きっと早坂さんの大人で女性の扱いに慣れているところにドキドキしちゃってるだけなのかも。
菜々子は、自分の早坂に対する気持ちに理由をつけて、心の奥に押し込んだ。
その日は、閉店まで一緒に飲んで何事もなく解散した。
◆
翌日。
ランチ時間に余裕があったので、『松玄』まで麗香と蕎麦を食べにやってきた。
「そういえば、麗香さん、私の友達の話なんですが。ある男性からアプローチされているらしいんですが、彼女が気になっているのは、彼の友達の方らしく…」
鴨せいろが来るまでの間、菜々子は自分の身に起こっている一件を、あたかも友人のことのように麗香に話してみた。
「で？どっちと付き合うか、っていう話？」
「違います。アプローチしてくる方は家柄、学歴、すべてが完璧なのに彼女は興味がないみたいで、気になっている方はもうすぐ地方に引っ越すんです」
胡散くささが拭えないと思いながら話を続ける。
「何が聞きたいの？」
「えっと…」
麗香の言う通り、自分は何を聞きたかったのか菜々子はわからなくなった。
「2つのことは、一緒に考えるべきこと？好きでもない人からアプローチされた。それは断るか、前向きに検討するか考えればいい。気になる人が地方に行っちゃうこととは全く別の話。仮に2人が友達でもね」
「確かに」と菜々子はうなずく。
「でも、私なら、興味がない方とも会うかな。学歴、家柄パーフェクトなら、自分の将来の幸せのために、会う意味はある。自分を好きって言ってくれる人と恋愛する方が、冷静でいられるわよ」
自分は追うより、追われる恋愛ばかりを経験してきたと麗香は言った。
― もっともすぎて何も言えない…。
菜々子はじっと考え込んでいる。
「でもさ、女子って恋愛の過程が素敵だと、それだけで沼にハマっちゃったりするのよねー。
映画のワンシーンのような待ち合わせや食事…素敵なシチュエーションでハグされたりとか、そういうことにうっとりして、それ自体が恋だと思ってしまう」
麗香はあっという間に、上品に蕎麦を食べ終え、今度は蕎麦湯を啜っている。
「大人の意見ですね…」
その時、2人の会話を分断するかのように、菜々子のスマホが振動し始めた。
「すみません」と裏返すと、画面には“早坂”の名前が表示されていた。
― あとでかけ直そう…。私、恋愛の楽しい部分に浮かれているだけなのかもしれない。
振動が止まないスマホを、菜々子はそのままバッグにしまい込んだ。
▶前回：結婚を決めた理由は「なんとなく」だった。惰性で決断したことを女が後悔したワケ
▶1話目はこちら：港区でシャンパンが開く場所に、なぜか必ず現れる女。彼女の目的は一体…
▶NEXT：1月19日 木曜更新予定
【最終回】早坂からの電話の内容とは？菜々子は、近藤と早坂どっちを選ぶ？
