結婚前提で付き合っていた彼にいきなり別れを告げられて…。その驚きの理由に…
スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。
世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。
ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。
ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。
この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。
▶前回：「あの時、私…」元妻と1年ぶりに再会。彼女が離婚当時のことを語り始め、男はつい…
Vol.14 料理講師・美月（29歳）の結婚
「美月…、ごめん…。別れよう」
日曜日の17時。
美月は6歳上の彼氏・慎が住む赤坂の高級マンションのキッチンで、アクアパッツアを作っていた。
すると、突然彼氏に別れを告げられた。
「え、慎、今なんて言ったの…？」
美月はコンロの火を止め、彼の座るソファに慌てて駆け寄る。
彼の表情は曇ったままだ。
「美月…今日で付き合って“半年”になるよね。だから俺と別れてほしいんだ…」
「私、何かした…？」
混乱する美月に、慎は諭すように言った。
「…覚えてる？俺が付き合う前に伝えた“半年ルール”のこと…」
そのひと言で、美月は慎との出会いを思い出した――。
美月の職業は、料理講師だ。
大学時代に取得したフードコーディネーターの資格を生かし、表参道の料理教室で雇われ講師をしている。
慎は、この教室の生徒だった。
『“美月”って素敵な名前ですね。僕の着けている時計も、“月”が見えるんです』
そう言って彼は、左腕に着けた「A.ランゲ＆ゾーネ ランゲ1・ムーンフェイズ」を美月に見せた。
ロマンチックなことをさらっと言う彼を、美月もはじめは警戒していた。
だが何度か食事をするうちに趣味が似ていたり、名前を褒めたりしてくれたこともあり、意気投合したふたりは交際をはじめた。
それが、ちょうど半年前の出来事だ。
美月はさらに、記憶をたどる。
すると、2度目の食事の時に慎が“半年ルール”について語っていたのを思い出した。
『俺、恋愛に半年ルールを設けているんだ。半年に1回、彼女と関係を続けるか解消するか決定する。
いつまでもダラダラ付き合うとお互いに良くないし、時間は有限だから…』
話を聞いた当時は気にも留めていなかったが、確かに“そんな話”をしていたことを美月は思い出した。
― でも、こんなに簡単に別れを告げられるなんて…。
「うまくいっていたのに！そんなバカげたルールひどすぎる！」
突然の慎の言葉にショックを受け、美月は部屋を飛び出した。
だが、彼が追ってくる気配は感じられない。
美月は大通りでタクシーを拾い、自宅への住所をドライバーに告げた。
四谷にある1DKの部屋に到着すると、美月はシングルベッドに倒れるように沈み込んだ。
ここ数週間は慎の家に入り浸りだったため、部屋は散らかり放題。
片付ける気にもならず、美月はスマホを開く。
― 慎からの連絡はナシ…か。
恋人が出て行ったのに何のフォローもない。
美月は虚無感を感じ、気持ちを切り替えようとテレビをつけた。
すると「今夜は数百年ぶりの皆既月食が見える」と興奮気味に話す、お天気キャスターの声が美月の耳に飛び込んできた。
月を見ようと窓の外を見るが、そこには隣のマンションの無機質なコンクリートの壁だけ。
かたや、慎が住む赤坂のタワーマンションの窓からは東京の夜景を一望でき、いつでも綺麗な月を見ることができていた。
「うちからは、月さえ見えないのか…」
美月はみじめな気分を抱えながら布団にくるまり、慎からの返信を待った。
◆
慎から、一方的に別れを告げられて1週間。
いまだ、美月のスマホに慎からの連絡はない。
気持ちの整理ができていない美月は意を決して、慎に自分から連絡を取ることにした。
『先日は、話も聞かずに出て行ってごめんなさい。最後にきちんと話したい…』
すると、意外にもすぐ返信があった。
『了解です。俺の家に20時で』
無機質なメールの文面に、美月の心がざわつく。
だが覚悟を決め、赤坂のマンションへと向かった。
マンションのエントランスに着くと、美月はオートロックで慎の部屋番号を押す。
これまでは当たり前に合鍵で入っていたが、今はそれがためらわれた。
だが、しばらくたっても応答はない。
途方にくれていると、慎からLINEが届いた。
『ごめん、仕事で遅くなるから先に家入ってて』
部屋主から了承を得たのだ、遠慮する必要もない…と、美月は合鍵を使い部屋へと向かった。
1週間ぶりに入った慎の部屋は、思いのほか片付いていた。
目に入ったのは、リビングのテーブルにあるワイングラスと飲みかけの赤ワインのボトル、そして無造作に置かれている腕時計だ。
「この時計、なんだか今の私みたい」
美月は時計を手に取る。
なんてロマンチックなデザインの時計なんだろう…と、うっとりと眺める。
A.ランゲ＆ゾーネは、世界5大時計ブランドのひとつ。
ドイツの歴史と共に歩んできた格式と品格のあるブランドだ。
特徴はモデルごとに、一つひとつ専用のムーブメントを開発すること。
慎が愛用するランゲ1・ムーンフェイズは、夜空を表すような天体が描かれている。
“ムーンフェイズ”とは、月の満ち欠けを表す機構であり、満月の絵が描かれたディスクを歯車で動かすことで、文字盤の小窓から月の周期を表現できる機能だ。
かつて慎が『“小さな天体”を装着できる』と、嬉しそうに話していた。
― こんなに綺麗でロマンチックな時計を、こんなところに放置するなんて…。
美月は自らの名前を表現するような美しい時計と、慎が放置しているという事実を自分と重ねた。
“ガチャ”
仕事から帰ってきた慎が、リビングの扉を開け入ってきた。
「おかえり…。この前は感情的になってごめん。なんか混乱しちゃって…」
慎はカバンをソファに置き、美月の正面に座った。
「美月のことは好きだったよ、でも…」
慎は“半年ルール”の本当の意味を静かに語りだした。
「昔、本気で結婚を考えていた女性がいたんだ。5つ年上だったから、当時35歳かな。とても綺麗な人だった」
慎はその女性と結婚も考えていたが、仕事が忙しかったこともあり、結婚の話は進まなかった。
そんな彼の煮え切らない態度に彼女は不満を持ち、他の人と結婚してしまったという。
「彼女とは3年間付き合ってたから、すごいショックでさ。それ以来、恋愛で深い関係になるのが怖くなってしまって…。
それで、半年ルールを作ったんだ。半年以上付き合うと、想いが強くなりすぎて別れがつらくなるから…」
慎は、テーブルに転がった時計を手に取って続ける。
「この時計は、彼女とお揃いで買ったものなんだ。美月は、彼女と雰囲気が似てるんだ」
「…そうなんだ」
美月はそれ以上、言葉を発することができなかった。
― 彼は私ではなく、私の中にある彼女の面影を愛していただけだった。
美月は預かっていた合鍵をテーブルに置き、慎の部屋を去った。
◆
美月は、料理教室でひとり後片付けをしていた。
この日開催した講座も大好評で、仕事は順風満帆そのもの。
だが慎と別れてから半年、気持ちが晴れることはなく、家と仕事場を往復するだけの毎日を過ごしていた。
そろそろ、新しい恋でもしなきゃ…。そんなことを考えていると――。
「美月…、久しぶり…」
慎が突然、目の前に現れた。
半年会っていないだけなのに、慎の顔を見て美月は懐かしさを覚えた。
「久しぶりって…、いきなりどうしたの？」
慎は真剣な眼差しで美月をまっすぐ見つめる。
「俺、美月のことが大好きなんだ。でも本気になればなるほど、元カノみたいに君がいなくなってしまったら…って、怖くなり、思わず別れようなんて…。
でも、俺やっぱり美月と一緒にいたい。勝手なことを言ってるのはわかってる。でも、もう後悔したくないんだ。
俺と結婚してくれませんか？」
すると新品のように磨き上げた腕時計を、美月に見せた。
「新しくオーバーホールしたんだ。この時計のムーンフェイズは、美月を表しているかのように感じるんだ」
慎は、薔薇の花束を美月に差し出す。
こういうロマンチックなことを恥ずかしげもなくする慎がどこか憎めず、好きだったんだ…と美月も気づく。
美月は一瞬葛藤したあと次のように切り出した。
「もう…、本当に勝手だな。わかったよ」
美月は、笑いながら花束を受け取る。
緊張していた慎の顔は、一気に笑顔になり美月を抱き寄せようと両手を広げた。
だが、それを美月は制す。
「でも、結婚するなら条件がある。前の彼女との思い出は潔く忘れてほしい。そして私に似合う、新しい時計を一緒に探して。もちろんムーンフェイズの時計を…」
慎は「もちろん…！」と安心した表情で、美月を抱きしめた。
美月は一呼吸つき…。
「慎にプロポーズされて、私まだ胸がドキドキしてる。ちょっと落ち着きたいから、今夜はひとりで帰らせて」
「わかった。帰ったら連絡して。週末は2人で時計を探しに行こう」
慎は不安そうな表情をしながらも、素直に帰っていった。
片付けを終えた美月は教室に鍵をかけ、清々しい気持ちで、表参道の大通りをゆっくりと歩く。
ショーウインドーには、きらびやかな高級ジュエリーや、ブランド品の数々が並んでいる。
その中に光る時計を見つけた。
「男にとって、“時計”ってどんな存在なんだろう…」
心理学では、時計は“恋人”を表すと言われているらしい。
人生に寄り添うパートナーのような存在なのだろうか…と、考えながら美月は街を歩く。
― 私、慎とうまくいくのかな？
きっと友達には「そんな男やめておきなよ」と言われるだろうと美月は苦笑する。
でも、この東京では、待っているだけじゃ王子様は現れない。
幸せを掴むには、“相手の傷まで愛するぐらいの度量も必要なのかも”と、美月は慎を受け入れる決意を固める。
冬の澄んだ空気の中、夜空の神秘的な満月が美月にパワーをくれるかのように強く照らしていた。
Fin.
▶前回：「あの時、私…」元妻と1年ぶりに再会。彼女が離婚当時のことを語り始め、男はつい…
▶1話目はこちら：「いかにもって感じ」高級時計を愛用する男に女性が痛烈な言葉を浴びせたワケ
