滝沢秀明 電撃退社の陰にスパルタ指導の闇…演出舞台で後輩が疲労骨折、スタッフも白髪だらけに

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「10月初旬に『僕の仕事は終わった』と周囲に話していたそうですが、それは28日にジャニーズ初の世界デビューを果たしたTravis Japanについてだと思っていました。やり切った感じでサバサバしていたそうですが、まさか退社するとは……」(テレビ局関係者)

ジャニーズ事務所副社長と「ジャニーズアイランド」社長を務めていた滝沢秀明(40)が10月31日付で退社したと発表された。

双方弁護士をつけ円満に退社したといい、後任には井ノ原快彦(46)が就くことも明らかになった。

’18年末に芸能界から引退して以来、3年9カ月間、滝沢は裏方として後進の育成に専念してきた。

「’20年1月にSixTONESとSnow Manがジャニーズ初の2組同時デビュー。これは滝沢さんのアイデアでした。Travis Japanの世界デビューも滝沢さんの尽力のたまもの。また、演出業にも精力的に取り組み、いくつもの舞台の演出を手がけました」(スポーツ紙記者)

数々の功績を残した滝沢だが、彼の知人は次のように言う。

「プライベートで会っても仕事の愚痴を言うようなことはなく、悩みを聞いたこともありません」

タレント時代から滝沢の完全無欠ぶりはよく知られていた。

「ドラマや映画の現場にはセリフを完璧に覚えてきました。睡眠時間は平均3時間だと言っていましたが、周囲に疲れを見せることはありませんでした」(ドラマ関係者)

裏方に転身してからも責任感の強さは変わらなかったというが、人知れず苦悩も抱えていたようだ。

「テレビ局への挨拶回りや会食も欠かさず、熱心にJr.の売り込みをしてきました。タレントのために必死に駆け回っていたのだと思います。その疲れがたたったのか、’19年末の『NHK紅白歌合戦』のリハーサルに姿を見せた滝沢さんはかなり痩せていたように見えました」(前出・テレビ局関係者)

滝沢は自身だけでなく周囲にも高いレベルを求めていたという。

「滝沢さんのもとで働いていたスタッフが、滝沢さんの細かな指示についていくのに必死で白髪だらけになってしまったことがあったそうです」(前出・テレビ局関係者)

厳しすぎた愛のむちは当然後輩たちにも向かっていて……。

■「彼らがボロボロになるまでチャレンジする姿に感動して」

「もともと滝沢さんが主演していた『滝沢歌舞伎』は滝沢さんの演出のもと、歌や踊り、殺陣を絶え間なく披露するハードな舞台。特に大変なのが、和太鼓で足を支え腹筋をしながらたたく『腹筋太鼓』という演目です。共演していたSnow Manのメンバーは当時まだ線が細く、音を上げそうになることも。

滝沢さんが引退してからはSnow Manが主演として『滝沢歌舞伎』を引き継ぎましたが、メンバーの宮舘涼太さん(29)は稽古で7キロも体重が落ちたそうです。『舞台期間中にメンバーがけがをしないといいけど……』とハラハラしながら見守っていたファンも多くいました」(制作関係者)

Travis Japanが主演を務め、滝沢が演出を担当した舞台『虎者』でも滝沢のスパルタ指導は止まらなかった。

「『虎者』ではトランポリンを使った演出がありました。5.5メートルほどの高さの壁から背面でトランポリンに飛び降りるという高難易度の技もありましたが、メンバーたちはブログなどで『トランポリンは怖い』と何度も言っていたのです」(女性ファン)

滝沢は『虎者』に対し「彼らがボロボロになるまでチャレンジする姿に感動していただきたい」とコメントしていた。しかし、スパルタ指導はメンバーの体に重大な影響を及ぼすことにーー。

「メンバーの吉澤閑也さん(27)はトランポリンで疲労骨折になり、活動を休止した時期がありました。ほかにもけがや不調を訴えるメンバーが続出。ファンの間では《頼むから虎者からトランポリンとタッキー演出外してくれ》と、滝沢さんへの不満が噴出していました」(前出・女性ファン)

前出の制作関係者も言う。

「滝沢さん自身が器用なタイプなので、『お前たちにもできるだろう』と後輩たちにも強く指導してしまったのかもしれません。また、“肉体の限界に挑む”というのが滝沢さんの美徳のようですが、時代錯誤な感じも否めません」

また、最近は気になる動きが。

「滝沢さんはアメリカのミネラルウオーターを日本に輸入し販売する会社の取締役に名を連ねていました。昨年4月中旬には辞任したようですが、今年10月末に東京・原宿のジャニーズショップにその水と酷似した商品名の水の自動販売機が設置されたのです。今回の滝沢さんの辞任にはこれも関係しているのではないかと疑念を抱くファンもいます。

退社時に滝沢さんからコメントがなかったのも、社会人としていかがなものでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)

退社直前の10月28日、滝沢は自身が演出を手がけた舞台『少年たち』の名古屋公演を観劇していたという。自らが育てた後輩たちを、最後に目に焼き付けたかったのだろうかーー。