モラハラ男に悩む32歳女。「俺の言うことは絶対だろ？」と言われて咄嗟に出た言葉は…
「30過ぎてまで、何やってるの？」と、時に人は言う。
東京における平均初婚年齢30.5歳を境にして、身を固める女性が多い一方で、どうしようもない恋愛から抜け出せない人がいるのも事実。
他人には言えない心の葛藤、男女の関係――。
30歳を過ぎた。でも私は、やめられない。
少し痛いけれど、これが東京で生きる女のリアルなのだから。
▶前回：「夜の銀座はいいことが起こる気がする」イケメンしか好きになれない女が夜な夜な通う場所とは…
Vol.11 奈々、32歳。モラハラ彼氏でも、女として求められるならそれでいい。
「お寿司、すごく美味しかったね」
そのことが嬉しくて、タクシーの中でテンション高めに裕翔に話しかけた。
「だろ。奈々の財力じゃ行けないもんな」
― 財力って…。
彼の発言にモヤッとしたが、それを悟られぬよう、私は笑顔で話を続ける。
「その後に行ったバーも、いい感じだったね。気づいた？バーテンダーの人、元アイドルだったの」
そう言った直後、この話題はまずかったと後悔した。
ドヤ顔だった裕翔の顔が曇っていく。
「あのさ、奈々。俺の前で他の男の話やめてくれない？」
「そうだよね。ごめん」
慌てて謝ったが、裕翔がすぐに許してくれるわけがない。
裕翔の家に着いてからも、延々と彼の説教が続いた。こうなるのは、いつものことだ。
だから慣れてるし、いちいち真に受けないようにしている。
― でも、裕翔だって、バーで働いている可愛い店員さんばかり見ていたくせに。
「もしかして奈々、バーテンダーのこと狙ってるの？おまえなんかが相手にされるわけないから」
裕翔は、似たような悪口を言葉を替えながら喋り続け、その後バスルームへ消えていった。
― はぁ。10分か。今日は短かったな…。
そして、裕翔はお風呂から上がると機嫌が直ったのか、ベッドから私を手招いた。
「奈々、こっちおいで」
「うん」
彼はどんなに怒っても、その日のうちに私と必ず肌を重ねる。それも1回では終わらない。
だから、この関係に疑問を感じても、裕翔が少しおかしいと思っても、“私は愛されている”と信じていた。
明治大学出身。第1志望ではない会社になんとか内定をもらい、そこで働き続けて今年32歳。
休みの日はNetflixを見るか、友達とカフェや買い物に行く。
これといって特技も趣味もない、どこにでもいる女。それが私だ。
地元の浜松では、それなりに可愛い方だったと思うし、そういう扱いを受けてきた。
だけど、最近は他人に褒められた記憶がない。
なぜなら東京にいる女は可愛いのは当たり前で、私以上に知性がある人がたくさんいるから。
変わった仕事をしていたり話すとユーモアがあったり、とにかく女のレベルが高いのが、ここ東京なのだ。
この街で、何もない私が自信を持てるわけなどない。
私も、30歳を過ぎた。
周りの同世代の友達も、結婚して子どもができると疎遠になる子ばかり。ハイスペックな男性は東京に何万といる若い女の子たちに取られてしまった。
そんなとき、 マッチングアプリで裕翔に出会った。
裕翔は34歳。コンサルタントをしていて、代官山在住。
彼の方が稼いでいるから、デート代はほとんど彼持ちだ。
30歳過ぎた私なんかと付き合ってくれる年収1,000万円超えの“成功している”男性は、 裕翔くらいしかいないだろう。
だから私は、彼に多少は偉そうにされても仕方ないと思っている。
― でも正直、怒ると手につけられなくなる彼は少し怖いのよね…。誰かに相談してみようかな。
裕翔が出張で家をあけた日、前に彼と行った銀座のバーに1人で行ってみることにした。
そこで、バーテンダーをしている優里亜という女性に出会った。
こっそりと裕翔との関係を相談すると、まるで自分のことのように本気で怒ってくれたのだ。
「それって…彼氏さん、モラハラじゃないですか？そんなのダメですよ。もっと自分を大事にしないと」
「私、どうすればいいかな…このまま付き合っていいのかもわからないんです」
「わかった。私に任せて」
優里亜はしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「次の金曜日の夜、裕翔さんと一緒にうちの店に来てくれない？」
そこでどうするのかは、詳しく言ってくれなかったが、私は優里亜に任せることにした。
翌週の金曜日。
私は優里亜に言われた通り、裕翔を連れて彼女が働くバーへ向かった。
「奈々が店の要望を出すなんて珍しいな。この店、気に入ったの？」
残業終わりの裕翔は疲れていて、イライラしているようだ。
銀座駅からお店に向かうまで、私は彼の機嫌を損ねないよう会話を続けた。
「私が優柔不断だから、いつも裕翔が決めてくれるもんね。助かってるよ」
「はぁ…」
しかし、裕翔はため息をつくだけだった。
今日の彼は一段と機嫌が悪い。
「こんばんは。お待ちしておりました」
優里亜が優しく微笑み、私たちをカウンターの真ん中の席へ案内した。
1杯目のマティーニを注文すると、優里亜はさっそく裕翔に話しかけた。
「その時計…格好いいですね」
「そう？」
この前来たときに、裕翔が優里亜のことを目で追っていたのは知っている。
自分のタイプの女性によくされて、相当気持ちがいいはずだ。
彼は特別扱いされることが大好きな人種なのだ。
クールぶっているがさっきから顔がニヤけてるし、優里亜のことをかなり意識している。
優里亜が私の方を見ながら言った。
「“彼女さん”…ですよね？お化粧室のハンドソープ変えてみたんだけど、使ってみて感想教えてほしいの」
優里亜は半ば無理がある言い方で、私を化粧室へ促した。
― 少し長めに居た方がいいよね。
私は個室に入り、なんとなくスマホをいじりながら時が過ぎるのを待った。
そして5分後、なんてことないハンドソープで手を洗い席に戻る。
「“奈々さん”、おかえりなさい。…私22時上がりだから、男友達呼んで遊びに行きませんか？」
優里亜が少し泣きそうな表情をしながらも満面の笑みで私に言った。
「ちょっと、何言ってるんだよ。奈々はこれから僕の家に連れて帰るんだ」
裕翔は慌てている。きっと今日も、私とベッドを共にする気でいたのだろう。
「その必要はありませんよね。だってさっき、奈々は彼女じゃないって仰ったじゃないですか」
― 彼女じゃない…？どういうこと？
私は目の前が真っ暗になった。
「違うんだよ、奈々。この女が俺を誘惑するから」
裕翔が何を言っても、私の耳には届かなかった。
「誘惑？してませんよ。むしろ私に甘い言葉を浴びせてきたのはあなたでしょう」
優里亜がピシャリと言い伏せると、裕翔はさらに焦り出した。
「奈々、俺の言うことは絶対だろ？」
「……」
確かに今まではそうだった。でも、今はちがう。
私に対する態度から推測しても、裕翔が優里亜を口説くのは何も違和感はない。
むしろ、そうだろうなという感じさえする。
彼の言葉よりも、優里亜を信じられたから。
「飲み友達にめちゃくちゃかっこいい男の子がいるんです。奈々さん、清楚でかわいいし絶対気に入られると思う」
「おい！待てって」
優里亜が喋れば喋るほど、裕翔の顔は引きつっていく。
その表情を見ていると、私の気持ちもどんどん下がっていった。
私だって本当は気づいていた。裕翔が私と一緒にいる目的は体だけってことに…。
ただの最低な男なのに、それでも彼に必要とされてることに喜びを感じていた自分に、心底嫌気がさした。
「裕翔、私あなたのこと好きだったよ。だから、さよなら」
私は多くを語らず、それだけ言うと優里亜と店を出た。
「おい！奈々。待てって」
店を出ようとする裕翔を、元アイドルのイケメンバーテンダーが引き止めている声が後ろで聞こえてきた。
「お客さま、今夜は僕とゆっくり飲みましょう」
ひんやりとした銀座の空気が頬をなでるのが、心地良い。
「優里亜さん、ありがとう。私、やっと目が覚めた気がする」
「嘘じゃないから。本当に男友達呼んでるから。六本木行く？西麻布？それとも、新宿のほうがいいかな？」
「優里亜さんっていくつ？」
「32歳だよ」
― 同い年だ…！
「私も32歳です。あの…、30歳過ぎててもその男性たちって相手にしてくれますか…？」
「何、言ってんの！当たり前じゃん」
優里亜はいたずらっぽく笑って、私の腕を組んだ。
彼女の香水とお店の葉巻の匂いがまざり、私を何とも言えない高揚感で包んでくれる。
私たちは30歳を過ぎた。もう30代。でも、まだ30代。
東京で生きる女たちは、様々な困難にぶつかりながら、もがきながら、今日もどこかで必死に生きている。
20代の頃とは少し違うけれど――。
私たちの人生はこれからも続いていくんだ。
そして今日気がついた。その未来を選び取るのはもちろん自分だということに。
「で、どこ行く？」
「どこでも！」
Fin.
▶前回：「夜の銀座はいいことが起こる気がする」イケメンしか好きになれない女が夜な夜な通う場所とは…
▶1話目はこちら：「生活水準は下げられない」港区にしがみつく32歳女が、副業先のバーで流した涙
