酔った勢いで付き合う前に一晩過ごしてしまった…。その後、彼と意外な関係に発展し…
お金も時間も自由に使える、リッチなDINKS。
独身の時よりも広い家に住み、週末の外食にもお金をかける。
家族と恋人の狭間のような関係は、最高に心地よくて、気づけばどんどん月日が流れて「なんとなくDINKS」状態に。
でも、このままでいいのかな…。子どもは…？将来は…？
これは、それぞれの問題に向き合うDINKSカップルの物語。
▶前回：「一生一緒なんてムリ！」結婚1年で離婚。同居で露呈した夫の意外な面とは
万里子・38歳。芸術家との夫婦関係【前編】
とある木曜日の朝。
打ちっぱなしのコンクリート壁からひんやりとした冷気が伝わってきて、自然と目が覚めた。
「だんだん寒くなってきたなぁ」
まだ5時半だけど、そのまま起きることにする。リビングのテレビをつけて、録画していた昨日の夜の経済番組を再生した。
私は大手広告代理店で、営業部のマネジャーとして働いている。
会社で働き方改革が急速に進んだことをきっかけに、数年前から朝型の生活に切り替えた。明るくならないうちに新聞やニュースに目を通して、クライアントに関する情報をインプットするのが日課だ。
「おはよう」
「あ、和樹。おはよう」
食事と身支度を終え、6時半。愛用している『SAINT LAURENT』のレザートートバッグに荷物をつめ、そろそろ出かけようかと思っていたところへ、夫が起きてきた。
5歳上の和樹は、敏腕アートディレクターとして活躍する有名人。
東京藝大卒の彼は、有名なデザイン事務所で数年働いた後、若くして独立。キャラクターグッズから雑誌の誌面、広告やCMにアパレルまで…。とにかく、さまざまなものを手掛けている。
「もう起きるの？コーヒー飲む？」
「いや、水飲みにきただけ。まだ寝るよ。昨日は遅かったから…」
「そっか。私、もう行くね」
淡々とした会話。
結婚して3年目、新婚といわれる期間も過ぎたし、アラフォー夫婦なんてこんなものだと思う。
― でも、最近以前にもまして、ゆっくり話せてないかも…？
玄関の扉を閉めてから、ふと思った。
親しい部下
7時半。赤坂のオフィスに到着し、人もまばらなフロアで仕事を始める。
だんだんと社員が出社してきて、オフィスがにぎわっていく。
在宅勤務が浸透してはいるが、週後半になると「そろそろ気合を入れて、提案資料を仕上げなきゃ」と出社して作業する営業マンが多い。
「万里子さん、この案件なんですけど…」
「もう一度今後の流れ詰めさせてください」
「すみません。ちょっと問題が起きていて…。今少し、お時間よろしいですか？」
客先訪問やクリエイティブ部署との打ち合わせの合間に、6人いる部下からの相談を受けていると、あっという間に1日が過ぎていく。
部下のつくった提案書チェックに没頭していて気づかなかったが、ふと顔を上げると、時刻は23時。オフィスは人もまばらだった。
「万里子さん。まだ仕事ですか？」
同じチームの部下・藤田くんに話しかけられた。
社会人10年目・32歳の彼は、もともと外資系コンサルティングファームで働いていたそうだが、数年前にキャリアチェンジで中途入社してきた変わり種だ。
「うーん。そうね、そろそろ帰ろうかな」
「まっすぐ帰りますか？ちょっと1杯行きません？」
おちょこをクイッと傾けるようなしぐさをする藤田くん。
数ヶ月前、雑談の中で、お互いに日本酒好きなことが判明したのだ。しかも、藤田くんは目黒に住んでいて、家も近い。
だから時々、残業帰りに飲みに行くようになった。彼は中途入社のためか、新卒生え抜きの部下よりも私に対して構えずに接してくれる。そんなところも、気楽で良い。
「そうねえ。今日は…」
言いながら、夫の顔を思い浮かべる。
最近、和樹は昼過ぎに起きて、明け方まで代官山のアトリエ兼事務所に詰めることが増えていた。
彼曰く、「深夜の方がインスピレーションが湧いて、作業がはかどる」そうなのだけど。
結婚当初は、もっと一緒に過ごしていた。コロナ禍だったこともあり、私は在宅勤務が今より多かった。和樹もアトリエには行くものの、早く帰ってきてくれていたから、夕食を一緒に食べることもよくあった。
すっかりすれ違いの生活だ。
― 和樹、今日もいつも通り、朝までアトリエだろうな。
「いいよ。飲みいこう！」
脳内に描いた夫の顔をかき消し、私は勢いよく立ち上がった。
「かんぱーい」
目黒の『和酒バル キラズ』は藤田くんのチョイスだ。スペイン料理と日本酒のペアリングという珍しいコンセプトがウリのお店で、こじんまりとしているが居心地がよく、一足踏み入れてすぐに、私はこのお店が気に入った。
カウンターの隅に並んで腰かけ、熱燗を片手にイベリコ豚のグリルをつまむ。「もうあと1日頑張れば週末」という、木曜夜の控えめな解放感も手伝って、お酒が進んだ。
「万里子さんの今日のスカーフ、綺麗ですね。グレーのタートルネックによく似合う」
「ああ、これ？ありがとう…」
ふと藤田くんの切れ長の瞳に見つめられて、少しドキドキする。
ぱりっとしたスーツに、営業マンらしく短く切った黒髪。茶髪のロン毛に無精ひげの和樹とは、当たり前だけど全然違う。
― 藤田くんって、いつもどんなつもりで私を誘ってくれてるんだろう？下心は、別にないよね？
次第にフワフワとしてきた頭で、そんなことを考える。彼から誘われるたびに、うっすらと脳裏によぎっていた疑問だったけれど…。いつも、同じ言葉で自分を納得させていた。
― 彼、私が結婚してること知ってるもんね。だから大丈夫。なにもない…。
6歳も年下の部下と“何か”が起きることを期待するほど、私は浅はかな女ではない。
どこまでいっても、そんな小さなプライドがある限り、私が彼とどうにかなることはない。だから、私は何度だって彼と2人で飲みにいけるのだ。
この時は、そう考えていた。
「もしかして、旦那さんのデザインだったりしますか？」
「え？」
「そのスカーフ」
私がぼんやりとよからぬことを考えている間も、藤田くんはスカーフに注目していたようだ。
慌てて姿勢を正し、「そうね」とうなずく。
社内では私と和樹のことはよく知られている。なにしろ、和樹は業界の超有名人だからだ。「あの人と結婚するなんて」と羨ましがられることもしばしばだ。
「夫が以前に手掛けたものなの」
「素敵ですね。手描きの質感がやわらかくて、優しくて。すごくオシャレだし…なんだか、旦那さんの繊細さが伝わってくるみたいだ」
首回りをじっと見つめられ、なんだか落ち着かない気分になる。さっきも言ったのに、私はただ「ありがとう」と繰り返した。
「万里子さんと旦那さんって、どういう馴れ初めなんですか？」
「行きつけのお店が同じでね。結婚前からお互いに中目黒に住んでたんだけど、残業を終えて深夜にお気に入りのダイニングバーにいくと、だいたい彼がいたのよね」
「へえ、じゃあ仕事がらみで知り合ったわけじゃないんですね。そういうの、いいですね」
― そうかなぁ？“そういうの”、本当にいい？
言葉にはせず、おちょこに口をつける。
和樹との関係は“お店の常連”として始まったから、彼に会うときは、お互いにいつも大なり小なりアルコールが入った状態だった。
オシャレなお店。お気に入りのお酒。おいしい食事。大人が気分よく機嫌よくいるための舞台が、そろったところで会っていた。
お店で会うと、和樹は私の話をよく聞いてくれた。
和樹と私は、同じ業界で仕事をしているとはいえ、立場が全然違う。彼は「営業の人の視点は参考になる」と、興味を持って私の話に耳を傾けてくれた。大物デザイナーなのに、偉ぶっているところがなかった。
何度も会うなかで次第に惹かれ合い、あるとき、酔った勢いでひと晩関係を共にした。それをキッカケに、彼と交際することになったのだ。
がむしゃらに仕事をして、時々恋愛をして――若いときからそういうサイクルを繰り返しているうちに、当時の私は35歳になっていた。
和樹も同じような感じで、40歳を迎えていた。それもあり、「お互いにもう良い年齢だから」と、さして交際期間も設けずにスピード入籍したのだ。
“ほとんど酔っぱらった状態で結婚した”と言っても過言ではない。
その結果、というわけじゃないだろうけど…。
結婚して、酔いが醒めたら……お互いの情熱がクールダウンしてしまった気がする。
今は離婚する理由もないから、“なんとなく夫婦でいる”ような、中途半端な空気を感じる。
「飲み屋で会った人と勢いで結婚するよりさ、昼間の時間を一緒に過ごしてきた人と結婚した方がいいよ。仕事で知り合う人とかだったら、相手の“人となり”とか考え方が、よくわかるもの」
「たしかに、そうですね。万里子さんも、そろそろ僕のことよく知ってくれたんじゃないですか？」
「なに冗談言ってるのよ、もう」
藤田くんは、時々こういう軽口を挟んでくる。冗談とも本気ともつかない――いや、絶対冗談なのだろうけど。「僕は万里子さんのファンだから」なんて、サラリと言ってのける。
「冗談で言ってないですよ」
急に、藤田くんが真面目な表情になる。
「万里子さんに旦那さんがいなかったらなって、よく思ってます」
「…」
6歳下の部下と“何か”が起きることを期待するほど、私は浅はかな女ではない。
― でも、これってもう“何か”じゃない？
冷静になれ、冷静に…。そう自分に言い聞かせる。
でも、頭の中はかなり、混乱していた。
▶前回：「一生一緒なんてムリ！」結婚1年で離婚。同居で露呈した夫の意外な面とは
▶1話目はこちら：「子どもはまだ？」の質問にうんざり！結婚3年目、32歳妻の憂鬱
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夫と関係がうまくいかない中、藤田にモーションをかけられる万里子。そんなとき、ある出来事が…
