「酔っちゃった…」カウンター席で、若手社長に肩を寄せた女。しかし男はまさかの反応で…
『20代のうちに結婚したほうがいい』
一昔前の価値観と言われようとも、そう考える女性も少なくはない。
そんな焦りにとりつかれ、30歳目前でスピード婚をした広告デザイナー・穂波。
しかし穂波は、すぐに後悔することになる。
「なんで私、焦ってプロポーズをうけてしまったんだろう」
私にふさわしい男は、この人じゃなかった――。
◆これまでのあらすじ
一樹との結婚生活は破綻寸前。穂波は颯斗に心変わりをしかけている。しかし颯斗に、彼女がいることが発覚。相手は、大学時代に同じクラスだった冴えない女子・佐奈だった。
高級感漂うダイニングバーのカウンターで、颯斗の横に座り、シャンパングラスを傾ける。
穂波は、目の前の状況に恍惚とした表情を浮かべていた。
― やっと、本当に私にふさわしい男を見つけた。
今さらだとは、わかっている。さすがに一樹の顔が浮かんで、罪悪感も覚える。しかしここで諦めるわけにはいかない。
― だって、颯斗を手に入れたいから…。
身勝手な欲に突き動かされた穂波は、ついに酔ったふりをして、颯斗のほうにぐっと体を近づけてみた。
少しでも甘い雰囲気を演出すれば、颯斗は簡単に自分に落ちるだろうと見込む。
― だって、あのパッとしない佐奈なんかより、私の方が圧倒的に魅力的だもん。
しかし、颯斗は少し体をずらして、穂波の体をひょいと避けた。
― あれ…。
思っていたのと違う反応だ。にわかに信じられず、もう一度体を寄せてみる。
すると、颯斗は顔を覗き込んで、こう言った。
「穂波、酔ったの？水飲みな」
その声には、穂波が期待していた甘さは、カケラもまじっていなかった。まるで仕事の進捗確認のような口調だ。
「…いや、大丈夫」
拍子抜けした穂波は、凛とした表情を意識しながら「ちょっとお手洗いに」と言って席を立った。
お手洗いの大きな鏡の前に立ち、姿を映す。
お酒のせいか、それとも邪な期待のせいか、頬がバラ色に上気していた。
― 冷静になろう。私、ひとりで舞い上がっていたわ。
しかし、冷静になることなどできない。
佐奈という、自分の足元にも及ばないような女性が、颯斗のような素晴らしい男と付き合っている──。その事実が、どうにも悔しいのだ。
「世の中には、釣り合いというものがある」と穂波は思う。
偏差値の高い人は、一流の学校に入る。稼げる人は、いい暮らしをする。そして、魅力的な人は、魅力的な相手と一緒になる。
― 佐奈みたいな女に、颯斗はもったいないわ。まるで釣り合いがとれてない。
穂波は、次第に納得のいかない気持ちになった。本来自分が手に入れるべきだったモノを、佐奈に横取りされたかような気持ちに。
そこでカウンター席に戻ると、ため息交じりにささやいた。
「ねえ…今日、夜まで一緒にいてくれたら嬉しいな」
「え、どうしたの？旦那さんは？」
「…えっとね、なんか、急用で出かけるらしいの。で、私、今日カギ持ってきてないんだよね。だから家に帰れなくなっちゃって」
颯斗は「そうか…」と言ったきり、考え込んだ。
「俺、実は今日このあと、佐奈の家に行こうと思ってたんだ」
「ええっ」
「朝からLINEが返ってこないから、どうしてるかなって思って」
色気を込めた誘いが、佐奈を理由にあっけなく却下された。敗北感にまみれながらも、穂波はあきらめない。
「でも颯斗…音信不通の彼女の家に行くなんて、逆効果だよ」
「…そう思う？」
「うん。追いかけられたら、逃げたくなるもの。だから今日は一緒にディナーしよう」
― 颯斗は今、彼女とケンカ中で傷心。一緒にディナーまでいけば、たぶん落とせるわ。
一樹から颯斗に乗り換えて、もっと幸せな結婚を叶える自分を思い描くと、気分が上がった。
あの麻布の快適な新居を手放すのは惜しいが、颯斗なら、同じくらい豊かな暮らしをさせてくれるだろう。
― 私、いけないこと考えてる？
自問しつつも、仕方ないでしょ、とひとり言い訳をする。
だって、結婚してからたった1ヶ月でこんな優良物件に出会うなんて、誰が想像できただろう。どんな女でも、この状況に置かれれば颯斗に身を翻すはずだ。そう自分に言い聞かせた。
「わかったよ穂波。ディナー、付き合うよ」
「やったあ」
近くの創作イタリアンに移動しながら、家で待っているはずの一樹に「夜も食べて帰る、ごめん」とLINEを入れる。
窓ぎわの席に案内されると、穂波は髪を片側に寄せてほほえんだ。
― さて、どうやって颯斗の心を奪おうか。
久々の「狩り」にウキウキしている穂波をよそに、颯斗は、すぐに佐奈の話を始めた。
― なによ、彼女の話ばっかり。
不満に思いつつも耳を貸す。
颯斗いわく、佐奈とは大学時代には面識がなかったらしい。1年半ほど前に、仕事で出会ったのだという。
颯斗の広告事務所のクライアントである中堅家具メーカー。そこで佐奈は、宣伝部として働いているそうだ。
「佐奈はね、出会ったとき、恋人がいたことがなかったんだ」
「俺が初めての彼氏」なのだと、颯斗はやけに嬉しそうに繰り返す。
「30歳近くでそんな子、珍しいだろ？奥手なんだよ、佐奈は。その初々しい感じがたまらなくてさ」
穂波は心の中だけで、佐奈はただモテないだけでしょ、と感想をはさんだ。
「あいつね、遠慮がちな性格なんけど、案外しっかりしてるんだよ。そのギャップがいいなと思って、俺から告白した。…でも」
ビールグラスを傾ける颯斗の目に、突如寂しさが灯る。
「ここ数ヶ月、冷たくてさ。もうすぐ1年記念日なのに、一緒に迎えられる気がしない。彼女がどんどん冷めていくんだ」
「へえ、なんでだろうね。…飽きたか、他の誰かが現れたか」
穂波の辛辣なコメントに、颯斗は黙り込んだ。
佐奈との関係を修復する方法など、考えてあげる気もなかった。代わりに穂波は、悲しげな表情を作って言う。
「1回離れた女の気持ちは、なかなか戻らないと思うよ」
颯斗は、無言のまま不安げに穂波を見る。自信を失ったその表情は、大学時代の冴えなかった颯斗を思い出させた。
穂波は、颯斗の手に触れる。
「大丈夫、颯斗は魅力的よ。私、久々に会ってびっくりしたんだから。佐奈にふられても、もっともっと素敵な女がいるよ」
「…でも俺、佐奈がいいんだ。佐奈に避けられるのが、本当につらくって」
その目には、うっすら涙さえ浮かんでいた。
思った以上に、佐奈に惚れているらしい。穂波はあきれた気持ちになり、大学時代の昔話に話題を切り替えた。
21時すぎには、解散となった。帰りのタクシーの中で穂波は考える。
― あの様子だと、颯斗は今頃、佐奈の家に向かってるわね。
颯斗は、とにかく佐奈にぞっこんだった。依存しているかのような表情さえ見せた。
― でも、別れるのも時間の問題よ。
別れたタイミングで誘えば、颯斗は今度こそ、さすがに自分になびくだろう。
早く別れてくれたらいいのに、と、思わず願う。
「ただいま」
重い足を引きずってリビングのドアを開けると、一樹はいつものように本を読んでいる。
「遅かったね。…水道、ちゃんと直ったよ」
カウンターキッチンには、空の弁当容器が放置されていた。Uber Eatsかなにかを頼んだみたいだ。
「ありがとう。…なんかごめんね、今日もお弁当で」
形式的に謝ると、一樹は鼻で笑った。
「いいよ。穂波には、理想的な休日だったんじゃない？独身の頃と変わらないような」
“独身の頃と変わらないような”…今朝穂波が言ったセリフを引用してきた一樹。珍しく嫌味を言われ、心底イラッとする。
「なにそれ、私に嫌味言ってるの？」
「いや…」
慌てた様子の一樹は、中指でメガネの位置を直して、ごまかすように結婚式の話題を出した。
「そうだ。出雲大社で挙式しようと思うって親に言ったら、すごく喜んでたよ。それで母親が、来年の秋頃はどう？って」
― え。出雲大社で挙げることに、まだ同意はしていないはずよ…。
一樹と一樹の両親は、相変わらず穂波抜きであれこれ決めてしまう。
でももはや、それはどうでもよかった。
そんなことより今、そもそも一樹と、来年の秋まで一緒にいるイメージがわかない。その頃には、自分は颯斗の横にいるように思えてならないのだ。
「来年の秋…か」
「ん、秋じゃ遅いか？」
「いや…。その頃、私たちはどうなってるかなーと思って」
「…どういう意味？」
あ、と思ったときには、もう遅かった。
一樹は、説明を求めるように、まっすぐに穂波を見ていた。
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▶1話目はこちら：スピード婚は後悔のはじまり…？30までの結婚を焦った女が落ちた罠
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一樹との関係に、ついに決定的な亀裂が入る
