永守重信氏が語る「学び」の大切さと、「能力を最大限引き出す戦略」(写真:Fast&Slow/PIXTA)

どんな進路を選んだらいいか、大学で何を学べばいいのか。これからの時代に、自分はうまく対応していけるだろうか。

中学生や高校生、大学生のなかには、今こうした不安を抱えている人も多いのではないでしょうか。また、偏差値の高い大学に受かるだろうか、一流企業に入れるだろうかと心配している人もいるかもしれません。

「偏差値教育やブランド大学至上主義の時代は終わった。これからは真の実力主義の時代がやってくる。大事なことはどの大学に入るかより、何を学ぶかだ」

そう語るのは、日本電産の創業者であり、会長兼最高経営責任者の永守重信氏です。

若手人材の育成、具体的には大学経営に力を入れている永守氏が考える、大学の選び方、大学で必要な学びとは──? 永守氏の新著『大学で何を学ぶか』を一部抜粋し再構成のうえお届けします。

生きていくうえで重要なお金の知識

社会の仕組みを知ると同時に、お金について知ることも重要だ。

日本にはこれまで家庭や学校でお金の話をするのは品がないとか、はしたないという風潮があったが、私はそれに反対である。

お金の稼ぎ方や使い方、貯め方、増やし方、収支の概念など、お金の正しい知識は人が生きていくうえで絶対に必要だ。

日本でも2022年度から高校で「資産形成」の授業が始まったが、アメリカやイギリスなどでは以前より小学校から金融教育が行われ、お金や社会の仕組みを学ばせている。小学生のうちから株式や投資、税金、職業などについて学び、金融に関する幅広い知識を理解させるという。

家庭でも、家の掃除をしたら1ドル、庭の芝刈りをしたら3ドルというように、子どものお小遣いを報酬制にして、お金を稼ぐことの難しさや自分で報酬を得る喜びを実感させる親も多い。

私は16歳から株式投資をしていた。そもそも社長になりたいという夢があったので、そのためには経済を勉強しておかなければいけないと考えて投資を始めたのだ。

高校生のときに学費を稼ぐために学習塾を立ち上げたことは前にも触れたが、この塾はとても評判がよく、大繁盛したため、最盛期には当時の大卒の初任給の3倍くらい稼いでいた。その資金を元手に投資を始めたのである。

高校生や大学生で日経新聞を真剣に読む姿に周りは驚いていたようだが、本人としては、自分はこれからどういう会社をやろうか、どんなヒントがあるかと考えながら投資する銘柄を探していた。

当時は1960年代、まさに日本の高度成長期である。

これから伸びるはずと予想した日本の電機関連のメーカー数社に投資したら、数年後にそれらがすべて伸び、一時期、私の株の含み資産は1億円にもなった。

その後は思惑が外れて空売りで大損をし、結果的に含み資産はずいぶん減ってしまったが、若いうちに大きな失敗をしたことはむしろ自分にとってよかったと思っている。

株に限らず、何ごとについてもいえるが、成功からではなく失敗から学ぶことのほうが多く、また身につくものである。

私はその失敗から、成長する銘柄を探して長期で保有するという投資ポリシーを確立することができた。実際、その後は数十年単位の長期期間で投資を続けている。

また、そのときに大儲けし続けていたら今の自分はなかったはずだ。お金の大切さと怖さがしみついたからこそ、堅実経営をするようになったのだから。

それはともかくとして、株式投資の成功と失敗の経験は、後に起業する際にも大いに役立つことになった。

また、この株式投資によってバランスシートの読み方や金融知識を学んだだけでなく、世の中や会社を見る目を養ったと思う。

お金について学ぶことは、社会について学ぶことと同じくらい大切なのである。

皆さんもアルバイトでお金を稼ぎ、投資してみるといいだろう。さまざまなことが学べるはずだ。ただし、投資の前に日本経済新聞や書籍などで十分勉強する必要がある。

戦略的に自信をつけていく

また、この時期に大切なのは、自分の強みを見つけて伸ばしていくことだ。

その際には、どんなに小さくてもいいから「成功体験」や「1番になる経験」を積み重ねていくことをお勧めする。

それによって「このことなら絶対に、他人に負けないぞ!」という自信や負けん気が湧いてきて、さらに努力するようになるからだ。

では、1番になるためにはどうしたらいいのか。

それは、どんなことでも「1番」にこだわり続けることだ。

私は生まれつき負けず嫌いな性格で、小さな頃からどんなことでも1番を目指してきた。銭湯に行ったら、靴は必ず1番の札の下駄箱に入れた。もし1番の札の下駄箱が空いていなければ1番上の棚に置く。そこまで徹底的に1番にこだわった。

学校の成績でも人に負けるのは絶対に嫌で、とにかく「1番以外はビリだ」と考え、必死になって勉強していた。

野球をするときもエースで4番バッター、しかも監督をしなければ気が済まなかった。ただ、最初からいきなりエースや4番バッターを務めさせてもらえるわけではない。

そこでどうするか。まずは年齢が下の子たちのチームで4番バッターとエースを務めて活躍し、そこで少し自信をつけて、次はもう少し年齢が上の子たちのチームで4番バッターとエースを務める。そこで十分に力と自信をつけてから、同年代のチームでやる。それまでに勝ちを積み上げて自信をつけていたから、同年代のチームでも4番バッターやエースをやり遂げることができた。

これは一例だが、要はいきなり高いレベルを目指すのではなく、小さな成功体験を積み上げて自信をつけていき、少しずつレベルを上げていけばいいということだ。

勉強にしても、いきなり難しそうで分厚い問題集に手を出すよりも、はじめは1番簡単そうで薄い問題集からやっていけば、楽に解けてやる気も出るというものだ。

よく「自分に自信を持てない」という人がいるが、どんな人でも最初から自信を持っているわけではない。また何もしていないのに自信を持てるわけもない。

自分のなかに自信というものを積み上げていくための「戦略」が必要なのである。

上の学校のビリよりも、下の学校の1番になれ

それは高校生の頃、塾を経営しているときにも実感した。

塾といっても、自宅の6畳間を改造して机も自分でつくった小さなものだったが、近所の小中学生がたくさん通っていた。ピーク時には60名以上の生徒が来ていたが、中学生に対しては高校選びなどの進路指導もしていた。

生徒が悩むのはやはり高校を決めるときだったが、たいていの生徒は無理をしてランクの高い高校、偏差値の高い高校を選ぶ傾向があった。

しかし、たとえその高校に合格できたとしても、偏差値の高い学校に入れば、自分より学力が上の者たちがたくさんいる。高校に合格できるかどうかよりも、そこで実際にやっていけるかどうかのほうが問題である。


永守重信氏。一代で日本電産をグローバル企業へと成長させた(撮影:ヒラオカスタジオ)

中国の『史記』に「鶏口となるも牛後となるなかれ」という成句がある。

大きな集団のなかで1番下になるよりも、小さな集団のなかでリーダーを目指せという意味だ。

実際、そのとおりだと思う。高校でいきなりビリになってしまったら、自信を喪失してやる気も失せてしまう。せっかく志望の学校に入れても、周りがすごい人ばかりで自信を喪失してしまったら、その後の人生は辛くなってしまうはずだ。

そこで、私はそういうときには1つか2つレベルを落とした高校に行って1番を目指すことを勧めた。

私の提案を受け入れて、ランクを落とした高校に行った生徒のなかには、高校でトップクラスになり、自分に自信をつけ、その後レベルの高い大学に入った者もいる。レベルの高い高校に入って自信を失ってしまうより、そうやって高校で自信をつけたほうがよかったと思っている。

高校入試でも大学入試でもそうだが、受験の際には自分のレベルより低い学校に目を向ける人は少ない。

しかし、もしかしたらそのなかにも自分のやりたい勉強ができる学校や、自分の適性に合っている学校があるかもしれないのだ。やはり偏差値や内申点だけで学校を選ぶのではなく、自分が何をしたいのか、これからどうなりたいのかを考えて選ぶことが重要だと思う。

自分の能力を最大限引き出すための戦略

このように、成功するためには誰でも努力を重ねて実力をつけていく必要があるが、そのためにはまず小さな成功を何度も経験し、自信を積み重ねていくことが非常に重要だ。


例えばクラスや学年で1番の成績をとったらうれしくなり、得意になるはずだ。得意なものはもっとやりたいと思うから、ますます勉強するようになる。自分から進んで勉強しているため、「やらされ感」やストレスも大きくない。

そうして夢中で頑張っているうちに自然と学力もついてくる。小さな成功体験によって、こうした好循環が回り始めるのである。

だから、少しランクを落とした学校で1番を目指すというのは、結果的に自分の能力を最大限引き出すための1つの戦略なのだ。

読者の皆さんのなかには志望の学校に入れず、滑り止めの学校しか受からなかったという人もいるかもしれないが、わが身の不幸を嘆いている場合ではない。今こそ頑張ってクラスや学年で1番を目指すべきだ。

会社も同じである。

就職希望企業ランキングでトップの会社に入っても、周りが東大卒や京大卒ばかりだったら、それに圧倒されて自信や熱意を失ってしまうかもしれない。それでは、潜在能力も出せないままになってしまうだろう。

それより小さくても今から伸びていく会社や、自分の適性に合った企業に入るほうがやる気が生まれ、自分の力を思う存分に発揮できるはずである。

(永守 重信 : 日本電産会長 創業者、京都先端科学大学理事長)