レッド・ホット・チリ・ペッパーズが、6年ぶり通算12作目のニューアルバム『アンリミテッド・ラヴ』をリリースした。本作の最大のトピックは、10年ぶりにギタリストのジョン・フルシアンテがバンドに戻ったこと。今回、ジョン在籍時のバンドの歩みを振り返るべく、ローリングストーン誌2000年4月27日号のカバーストーリーをお届けする。大ヒットアルバム『Callifornication』を完成させ、孤高のロック道を爆走するスーパーバンド。華やかな成功の裏に隠された素顔を伝える、貴重なテキストとなっている。

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22年前、プラチナアルバムもワールドツアーも、ドラッグ依存もオーバードーズも、チリとホットとペッパーとレッドという4つの単語を組み合わせたバンド名も存在していなかった頃から変わらないもの、それは友情だ。社交的でカリスマ的存在のアンソニー・キーディスと、背が低くシャイなフリーことマイケル・バルザリーという、ロサンゼルスのフェアファックス高校に通っていた15歳の少年2人は固い絆で結ばれていた。キーディスが登校しなかった日は、フリーは校庭を1人でうろついていたという。「グラウンドを延々とグルグル歩いてた」と彼は話す。「独りぼっちでいるところを誰にも見られたくなかったんだ」

マンモス・マウンテンでのスキー旅行に向かう途中、2人ともバスの中でキマっていた時に、キーディスは自分を生存者と表現した。「飛行機が墜落しても、俺は生き残るタイプだ」

「マジ?」。フリーはそう言って、再びジョイントを口に運んだ。

実際に命の危機を幾度となく経験してきた現在37歳(※2000年当時)のキーディスは、ティーンエイジャーの戯言に過ぎなかったその発言についてこう語る。「そういう思いは少しも変わっちゃいない。刑務所にいようがリハビリ施設にいようが、どっかで野垂れ死にかけていようが、『お前はこんなところでくたばったりしない』って声が俺の内側から聞こえてくるんだ。それも考えものだけどね、恐れ知らずで何にでも手を出そうとするからさ」

これまでに7枚のアルバムをリリースし、この世界で17年間サヴァイブしてきたレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ヤワなバンドを3つ解散させるほどの危機とメンバーチェンジを乗り越えてきた。最新作『Callifornication』はトリプルプラチナを記録しただけでなく、バンド史上最も一貫性のあるレコードだ。2000年にこのバンドのメンバーであること、それは劇的に増した表現力をもって誰よりもアッパーなパーティ・ファンクを鳴らすことを意味する。ありそうにもないことだが、常に半分裸だったガキ大将が、やはり半分裸の大御所へと成長したことを意味している。一方の手に悲しみを、もう一方の手に無邪気さを抱えて邁進していくことを意味する。そして、幾度となくメンバー同士の友情を強調している一方で、私生活ではほとんど交流がないという事実を認めることを意味している。

筆者が取材でロサンゼルスを訪れるにあたって、フロントマンのキーディス、ベーシストのフリー、ギタリストのジョン・フルシアンテ、ドラマーのチャド・スミスの4人は、筆者が同席できるグループアクティビティについて提案する。リハーサルの予定はなく、フルシアンテがスポーツ嫌いだという理由でレイカーズの試合観戦は却下された。ツアー先でオフの日に彼らが何をしているのか、筆者はふと訊いてみた。

メンバー全員が笑い声を上げる。「俺はホテルの部屋で瞑想をして、チャドはストリップクラブで酔っ払って、ジョンはヨガをやってギターを弾いてる。アンソニーは何をやってるのか見当もつかないよ」

互いに干渉しないことを学んだと?

「そうじゃない」とフリーは言う。「今でもお互いに干渉するよ。『ちょっかい出してゴメンな』って断りを入れるけどね」

ギタリストの交代劇を経て

レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ギタリストの交代劇をこれまでに7回経験している。しかし、複数のアルバムを制作したのは現在のラインナップのみだ。初代ギタリストのヒレル・スロヴァクは、1988年にヘロインのオーヴァードーズで逝去した。その後バンドに加入した当時18歳でバンドのファンだったフルシアンテは、1989年作『Mothers Milk』と、1991年発表の出世作『Blood Sugar Sex Magic』でギターを弾いているが、彼は1992年に突如バンドを脱退し、同年夏のLollapaloozaツアーではアリク・マーシャル(現在はメイシー・グレイのバンドに在籍)が代役を務めた。ジェシー・トバイアスの在籍期間は牛乳1ガロンの賞味期限と大差なかった。ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロは1996年作『One Hot Minute』に参加したが1998年に脱退し、現在は新たに結成したバンドSpreadのアルバム制作を進めている。

ツアーに出る時、バンドは『One Hot Minute』の曲を一切演奏しない。ペッパーズが即興を好むのに対し、ナヴァロは複数のトラックを録音してから繋ぎ合わせるという異なるアプローチを実践していたことが根本的な問題となっているようだ。フルシアンテは『One Hot Minute』を聴いたことがないという。「聴くべき理由に説得力を感じたことがないから」と彼は話す。

1992年にバンドを脱退した後、フルシアンテは深刻なヘロイン依存によって死の淵を彷徨ったが、1998年の1月に治療のために入院する。翌年の3月、フリーは彼にバンドへの再加入を打診した。

フルシアンテとの最初のリハーサルは、キーディスにとって『Californication』をめぐる一連の出来事のハイライトだという。「ジョンはエキサイトすると、80億ボルトの発電機みたいになるんだよ。何もかもをなぎ倒してて、クリスマスツリーを飾ろうとする小さな子供みたいにカオスでさ。彼が最初のコードを鳴らした瞬間、欠けていたパズルのピースが見つかった気がした。このメンバーによるこのバランス感、俺がずっと求めていたのはこれだって確信したんだ」

筆者はモロッコ料理のレストランでのディナーに同席し、フィーズを着用したウェイターが運んでくる料理とベリーダンスを堪能した。キーディスは体調不良で顔がバスケットボールくらいの大きさにまで膨れ上がっているという理由で欠席していたが、他の3人はその点についてとことん馬鹿にしていた。

「ここには母さんと一緒に来たことがあるんだ」とフリーは話す。「たらふく食べて、ワインを7杯飲んだ。当時はバスケに夢中で毎晩やってたから、腹一杯で酔ってたけど構わずプレーしたら、コートで思いっきり吐いちゃってさ」

フルシアンテ:確か前はアシッドをやってからコートに行って……、

フリー:アシッドじゃなくてエクスタシーだ。一晩中目がギンギンでさ、朝6時頃に陽が昇るとすぐコートに行った。面白いほどシュートが決まったよ。

ーメンバーの中ではあなたが一番上手ですか?

スミス:(背筋を伸ばして立派な体格を強調しながら)俺の方が上手い。でもフリーはすばしっこいんだ。2 on 2で俺らに勝てるバンドはいないだろうね。いるとしたら……(じっくりと時間をかけて考えてから)マスター・Pだな。

フリー:(頷きながら)彼には敵わないな。

ーアンソニーの腕前は?

フリー:彼には完全にしてやられたことがあるよ。

スミス:あいつはワイルドだからな。ディフェンスをやらせると、濡れた雑巾みたいに体に張りついてくる。(両手を激しく振り回しながら動物のような雄叫びを上げて)こんな感じでさ。

フルシアンテは一足先に退席した。彼は現在3枚目のソロアルバムを制作中で、マスタリングのことが気になりすぎて会話にまるで集中できないのだという。スミスとフリーはお互いの子供のことや、ニルヴァーナとの南米ツアーの思い出などについて楽しそうに語り合っていた。フリーは最近、海で泳いだ後にバスに乗ってフォクシー・ブラウンとセックスする夢を見たというが、彼女にそれほど魅力を感じたことはないと話す。

スミス:フォクシー・ブラウンはえげつないって言ってなかったか?

「俺が好きなのはリル・キムだ」とフリーは強調する。「彼女とディナーデートしたいな」

デザートとベリーダンスを堪能した後、フリーは駐車場で少し肌寒い春の夜風に当たりながら雑談をしていた。全部のパネルの色が異なるエレガントなメルセデスのことを、彼は「ピエロ・カー」と呼んでいる。「すごくクールな芸術品だと思った」と彼は話していたが、最近は考え直しつつあるという。現在11歳の娘のクララは、以前はその車のことを気に入っていたものの、最近では学校への送り迎えの際には1ブロック前で下ろしてほしいと頼むようになったらしい。

アンソニー・キーディスの告白

アンソニー・キーディスは、ハリウッドのSunset Boulevardから近いマンションに住んでいる。筆者が訪ねた時、彼とバンドのツアーマネージャーは控えている全米ツアーの行程表を作っているところだった。彼らは昨年の大半を海外ツアーに費やし、先日日本とオーストラリアでの公演を終えて帰国したばかりだ。今年の夏は国内の主要都市を回る予定だが、その前にテネシー州のチャタヌーガなど、ブルーのChevyのヴァンで移動していた頃以来訪れていない小さな町でいくつかショーをすることになっている。キーディスは地域のカラーが「発泡スチロールみたいに均一化されてないところ」とのつながりを絶ちたくないのだという。彼は地図を脇に抱えてソファに腰かけ、指を舐めてからページを捲り、ペンシルバニア州立大学での公演後の宿泊先の目処をつけようとしている。「フィラデルフィアまで199マイル? じゃあピッツバーグで一泊してからロアノークに行こう」

マネージャーとのプランニングを終えると、キーディスは立ち上がった。今日はショーツに赤と黒のストライプのセーターという出立ちだ。「何か飲むかい?」と彼は訊く。「炭酸系? 氷は入れる?」。その全てにイエスと答えると、ツアーマネージャーは辞去し、キーディスはキッチンに向かった。ステージで暴れ回る姿とは対照的に、自宅での彼は落ち着いていて行動に無駄がなく、A地点からB地点に効率よく移動する方法を40年近くかけて学んできたかのようだ。

彼の自宅は綺麗だが、そのパーソナリティが感じられるようなものは見当たらない。「そのつもりじゃなかったのに、前の家を売っちゃってさ」と彼は話す。「数年前、どうにも気分が冴えなくて、いろいろ白紙に戻したくなって」。彼は家を売りに出したが、買い手がつくまでに1年くらいはかかるだろうと見込んでいた。しかしわずか1週間後、その家は売れてしまう。キーディスが旅行から帰ってくると、彼の荷物は全て倉庫に移動させられており、以降彼が転々とする間そこに保管されることになった。

彼の自宅には、ブロンドのショートヘアでキャンディピンクのタイトなシャツを着た長身の女性がいる。ヨアンナというその女性は、過去18カ月間キーディスと交際している。筆者たちが話している間、彼女は寝室で電話をかけていた。彼女のこと、そして2人の出会いについて話すキーディスは嬉しそうだ。Balthazarというニューヨークのヒップなレストランで働いていた彼女に、キーディスは一目惚れしたという。1年目は遠距離恋愛だったが、現在は同居している。

キーディス、スミス、フリーの3人は全員37歳で、それぞれの誕生日は2週間も離れていない。スミスとフリーにはもう子供がいるが、キーディスに家庭を築く意思はあるのだろうか?

彼は一呼吸おいてこう言った。「イエスでありノー、ってところかな。子供は大好きだから、常に心の片隅で意識してるよ。でも、怖くもあるんだ。俺はずっと気ままに生きてきたから。責任を負うことで、突如として逃げ隠れできない状況になるのが怖いんだよ。パートナーっていう関係にだって責任は伴うけど、そこには退路が用意されてる。飛行機から飛び降りるとしても、俺はパラシュートを巧みに操れるしね」

ツアーの合間に、彼はバリやハワイのビーチでヨアンナとのデートを重ねてきた。「俺はサーフィンは下手なんだ」。彼は笑ってそう話す。ランニングやマウンテンバイクでのトレイルも積極的にこなしているが、水のある場所を好む彼にとっては泳ぐことに勝る運動はないという。

話題は彼の髪型にも及んだ。彼が長い黒髪を振り回す姿は、長い間バンドのトレードマークの1つとなっていた。しかし、1998年以降はブロンドのショートヘアを維持している。髪を切って以来女性からの好感度が上がったというが、以前は「あまり近づきたくない変人のヒッピー」だと思われていたらしい。

彼が髪を切ったのには、何かきっかけがあったのだろうか? キーディスはその質問への回答について熟考している。「当時は特に理由はないと思ってたけど、あの頃は大きな変化を経験していたと思う。クリーンになろうと決めたんだ。俺にとってもバンドにとっても、新たなチャプターの始まりだった」。愉快とは言えないトピックで発言を締め括る時、それに意識を向ける時間が過ぎたことに安堵するかのように、彼は中途半端な笑顔を浮かべる。

「俺は自分のことを分析するのがマジで下手なんだ」。彼は申し訳なさそうにそう話す。「自分自身と真剣に向き合って、どういう理由と経緯で今があるのかってことを、じっくりと考えたことがない」

スロヴァクと同じように、キーディスは80年代にヘロイン依存を経験している。その深刻化を理由に、彼は1986年に1カ月の間バンドを追放されていた。スロヴァクの逝去を機に一度は依存症を克服したものの、キーディスは以降も度々ヘロインに手を出している。至近では1997年にバイク事故を起こした際に、処方された痛み止めの服用がきっかけとなってヘロインに手を染めた。現在はクリーンだと話す彼に、依存の克服に努めた過去の経験が生かされていると思うかと訊ねてみる。

彼はため息をついた。「筋の通った答えを期待されているのはわかるよ。俺は薬物依存に長く悩まされてきたし、その記憶は俺の体の全細胞に刻み込まれてると思う。ドラッグから何もポジティブなものを得られなくなったのは、もう何年も前のことだよ。だからこそ、クリーンでいられる日々を当たり前だと思わないようにしている。それが素晴らしいことだと知ってるからね」

自身のことを語る時、キーディスは凡庸な表現を使いがちだ。ヘロイン依存と格闘した日々について語る場合も、彼の言葉からは苦難や痛み、心の闇は伝わってこない。常に万事順調だと言わんばかりの彼の表情に、胡散臭さを感じ取る人もいるに違いない。だが彼は単に、こうありたいと願う自分の姿について語ろうとしているのだろう。月日を重ねるごとに、彼はその理想像に近づいている。

チャド・スミスの変わらぬ姿勢

『Californication』でのキーディスの歌詞には、代名詞というべきファンキーでセクシーなものも少なくないが、シングルの「Scar Tissue」に顕著なように、彼は孤独感と悲しみをかつてなく積極的に表現している。また、アルバムのうち3曲で結婚に言及している。具体的な回数こそ把握していないものの、キーディスは歌詞の一部がヨアンナへの誠実な思いを表現していることを認めている。

曇りがちなハリウッドの丘の向こう側に、太陽が沈みつつある。部屋が薄暗くなり、影のせいでキーディスの表情も見えにくい。自分の最もロックスターらしい部分について訊くと、彼は返答に迷っているようだった。銀行口座の残高は多い、キーディスはそう認める。「家族のために家を買ったし、俺は高級車を運転してる」と彼は話す。「公共料金の額なんて確認しないし、金の心配をしたことがない。こういう質問に答えるのは苦手なんだよな……」。彼の言葉は尻すぼみになり、いつもの中途半端な笑顔も消えたまま考え込んでいる。

「ヨアンナ!」と彼は声をかけた。彼のガールフレンドが寝室から出てきて、部屋の明かりをつけた。「俺のロックスターらしいところって何だと思う?」

少し考えた後、「歯じゃない?」と彼女は言った。彼がニッと笑って見せた臼歯と小臼歯は、確かに真っ白で輝いていた。一旦トイレに立った筆者が部屋に戻った時、2人は立ったまま抱き合い、そっとキスを交わしていた。

チャド・スミスの自宅はハリウッドヒルズの急な坂の途中にあり、向かってくる車をじっと見つめている不敵な鹿に出くわすこともあるという。家は広く快適そうで、子供用のセーフティフェンスを張り巡らせた裏庭のプールや、様々な写真も見せてくれた。我々が腰を落ち着けたリビングにはドラムキットがあり、暖炉では薪が勢いよく燃えている。我々にハイネケンを振る舞ってくれたスミスは、タバコに火をつけてその大きな体をソファに沈み込ませた。

彼はヤンキースのキャップを後ろ向きにして被っているが、彼が贔屓にしているのはデトロイト・タイガースだ。ミシガンで生まれ育った彼は、塗装会社(大口の注文をフイにした)、Gap(セーターのたたみ方を最後まで覚えられなかった)、パンケーキ屋(バット一杯のメープルシロップをこぼした)等で働いたが、雇用主からクビにされてばかりだったという。

彼の興味の対象、それは7歳の頃にバスキン・ロビンスのケースを叩いていた頃から夢中になったドラムだけだった。高校を「間一髪で卒業」した後、彼はTで始まる複数のバンド(Tilt、Tyrant、Terence)でドラムを叩いた。そのうちの1つだったTobby Reddではレコードもリリースしている。同バンドでカンザスの前座を務めたとき、スミスはロックのコンサートのバックステージにはケータリングが用意されていることを知って感動したという。

Toby Reddの解散後、スミスはロサンゼルスに移住する。1989年にオーディションを経てチリ・ペッパーズに加入して以来、彼はバンドの中で最も安定したメンバーであり続けている。「何かに苛まれたことはないよ」と彼は話す。「ドラッグ依存になったこともないし、腕が鈍ったこともない」

ペッパーズが奇抜な衣装(巨大な電球、火を吹く帽子など)でステージに立った時も、ドラマーである彼は座ったままプレーするためバランスの維持に苦労せずにすんでいたという。現在進行中のツアーでは、そういった過激な演出は見られない。ヨーロッパ各地を回っていた時は、メンバー全員がアフロポップ界の星フェラ(・クティ)を思わせる刺繍入りのオレンジのジャンプスーツを着ていたが、不快すぎるという理由でやめにした。ペニスに白い靴下を被せただけという悪名高いルックは、少なくとも当分の間は見られないだろう。「あれは数えきれないほどやった」。スミスはうんざりした様子でそう話す。「キッスにまたメイクをさせるのと同じようなもんだ。2022年とかに再結成ツアーをやるときに、1億ドルくれたらどこの街でもやるよ。腹が出過ぎてて靴下は見えないだろうけど、ちゃんと着けとくさ」

ーバンドを匂いで表現するとしたら?

スミス:12歳の女の子の自転車のサドル。

キーディス:俺らの強烈な体臭の組み合わせ。フリーと俺はスカンクみたいな凄まじく不快な臭いを出せる。俺らのどっちも、とことん臭くなるのを恐れない。

フリー:犬だな。ファンキーだけど穏やか。

フルシアンテ:紫。

ジョン・フルシアンテの「傷」

フルシアンテもハリウッドヒルズに住んでおり、スミスの自宅から10分ほどのところにある。2部屋と寝室代わりのロフトだけという控えめな造りで、持ち家ではなく借家だ。リビングは極端に物が少なく、あるのはテレビとアンディー・ウォーホルの映画のポスター、そして隅に隠すように置いてあるマルセル・デュシャンのMuseum in a Boxのオリジナルだけだ。フルシアンテは時間の大半を、膨大な数のレコードがあるもうひとつの部屋でギターを弾きながら過ごしている。

以前、彼はもっと大きな家を所有していた。「火事で燃えたんだ。建て直してからまた入居したんだけど、金が払えなくて結局追い出された。僕の弁護士が家を取り戻すための金を何とか用意してくれたんだけど、まさにその日に家が売れちゃってさ。でもあまり気にしなかった。手元に残った5万ドルでヘロインをやろうと思ったから」。税金面の理由で、マネージメントは今彼に自宅の購入を勧めているが、彼は今の家の小さな2部屋が気に入っているという。必要なものは全て揃っており、室温を管理しやすいからだ。

スラックスを腰履きしたまま家の中を歩き回る彼は、進行中の実験のことが気になって仕方ない科学者のようだ。ゆっくりモゴモゴと話し、頻繁に沈黙を挟んだり前言を撤回する彼は、少なくとも文章という形では自分の考えを他人に伝えることに慣れていないのだろう。彼は1日のうちの何時間も、音楽部屋でギターを弾いて過ごしている。それは彼の思考が最もピュアな形で解放される時間だ。『Californication』のレコーディングを進めていた頃、彼は一日中バンドのメンバーと音を出していたが、自宅に帰ってからも1人でギターを弾いていた。

ペッパーズの一員として、以前と現在でどのような違いを感じているかと訊くと、フルシアンテは18歳でツアーに出たことで、若者を惑わすあらゆるものに曝されたと話す。「僕はその特権を思い切り濫用していた」と彼は話す。「でも20歳になる頃には、ただパーティして女の子を取っ替え引っ替えするんじゃなく、そういう機会をアーティストとしての自己表現の場だと捉えるようになった。バランスを取るために、僕は極端に控えめで、露骨なアンチロックスターの態度をとるようになった」。極めて独善的になっていた彼は、バンドにいながらアーティストであり続けることがもはや不可能だと考えるようになり、脱退を決意する。

不幸にも、彼はアーティストとして退行することになり、時間の大半をヘロインの摂取に費やすようになる。

現在、フルシアンテの両腕には無数の腫れたような傷があり、それらは重度の火傷の痕にように見える。彼は投与の方法について、正しく理解していない人々から教わったという。皮膚が腫れるようになってからも、彼は方法を改めようとはしなかった。「今後どうなったって構わないと思ってた。自分はもうすぐ死ぬといつも思ってたし」

フルシアンテは自分がヘロインを絶つことはできないだろうと考えていた。「ジャンキーだった頃は『クリーンになんてなれるわけがない。何をしていても、クスリをやってる時の状態と比較してしまうんだから』って感じだった。ドラッグ以上に神経を研ぎ澄ませてくれるものはないと思ってたから。ドラッグをやってる時は、あらゆるものが最高に感じられたけど、音楽でそれを再現しようと努めることで、あの感覚を求める理由を正当化しようとしてた」

彼は傷だらけの腕を恥じてはおらず、最近ではペッパーズのお約束であるステージ上でシャツを脱ぐことも厭わなくなった。「傷を負う前の姿に戻りたいなんて思わない」と彼は話す。「19歳の頃は尖っているふりをしていたけど、内面は脆かった。自分のことを誇りに思えなかったんだ。でも今は違う」

フルシアンテは友人たちを自宅のリビングに招き、製作中のソロアルバムの曲の大半を披露していた。「数年前の僕は、誰かを悲しませることしかできなかった。それだけが僕の才能だった。だからこそ、座ってギターを弾きながら歌うことで誰かをいい気分にさせることが、今の僕にはこの上ない喜びなんだ」

フリーと娘のクララ

フリーは例のピエロ・カーを、自宅前のドライブウェイに停めた。車には学校まで迎えに行っていた娘のクララも乗っている。まだあどけなさの残る彼女は、赤のロングヘアーとベルボトムという服装だ。彼女は家に駆け込むと、リビングにあったDVDの山を見つけた。「パパ、今夜は映画を観てもいい?」と彼女は訊く。

「宿題はないのか?」。フリーが訊き返す。短いやり取りの結果、クララが抱えている宿題は長期的なプロジェクトであることがわかった。「じゃあ1時間だけスピーチの準備をすること。そしたら映画を観ていいよ」とフリーは言った。すぐ近所に住んでいる元妻との関係は友好的で、2人は共同でクララの面倒を見ることで同意している。

広々としたフリーの家は、壁の大半に暗めの木材が使用されている。彼はそのハンティング用のロッジのような雰囲気を気に入っている。「いい暮らしをできるようになってから随分経つけど」と彼は話す。「それを当たり前だと考えたことはないんだ。時々壁に手を当てて、こんなふうに口にしてる。『これは俺のものだ。誰にも奪われたりはしない』」

「私の部屋を見る?」。利発で落ち着きのあるクララはそう問いかける。フリーのヒーローであるマイルス・デイヴィスとビリー・ホリデイの写真が飾ってある廊下を通って、彼女は自室に案内してくれた。白い壁に囲まれた大きな部屋で、外にあるプールへと続くドアがある。部屋はブリンク182やクリスティーナ・アギレラ、そしてリンプ・ビズキットのフレッド・ダーストの写真でデコレーションされていた。

続いてパパの部屋を見せてくれた彼女は、リモートコントロールの暖炉が羨ましくて仕方ないという。「パパは甘やかされてるの」と、彼女は親しみを込めて話す。

キッチンに戻ると、フリーがディナーの準備をしてくれていた。今夜のメニューはターキーサンドイッチと、蒸したアスパラガスとブロッコリーだ。今日の彼は鈍い橙色のセーター、黒のエナメルパンツ、そして派手な青と黄色のアディダスのスニーカーという服装だ。料理はよくする方だが、下手の横好きだと彼は話す。

「ねぇパパ、これ食べていい?」。そう話すクララはチキンライスの箱を手に持っている。フリーは原材料の項目を厳しくチェックし、化学調味料が多く使用されていることを確認したものの、茹で野菜を追加で食べることを条件に許可した。

オーストラリアで生まれたフリーは、4歳の時に家族と一緒にアメリカに移り住んだ。彼は最近米国の市民権を取得したが、余生はオーストラリアで過ごすつもりだという。自分をアメリカ人かそれともオーストラリア人とみなしているかと訊くと、彼はこう言った。「どっちでもないよ。俺はHollywoodianさ」

フリーがベースを弾くようになったのは17歳の時だが、最初に手にした楽器はトランペットだった。「ディジー・ガレスピーが好きだった。当時はロックのことなんて何も知らなかったんだ。昔使ってたノートの表紙にスティクスとデヴィッド・ボウイの絵を描いたけど、彼らが何者なのかは知らなかった。練習し始める前から、俺はどんなギタリストにも見劣りしないベースプレイヤーになると決めてた。跳ね回ったり、クレイジーなことをやるっていうのも含めてね」。彼は代名詞である超高速のフィンガーピッキングで無数の賞を獲得してきたが、そのプレースタイルを完全に確立した今は、よりメロディを重視したアプローチを追求している。

我々が話している間、3匹の猫(Peppy、Angel、Froggy)と2匹の犬(アザラシのような見た目のMartianと、ひと回り小さいLaker)がキッチンをうろうろしていた。全部自分が名付けたんだというクララの発言に対し、フリーはLakerの名付け親は自分だと主張した。「違うよ、パパはAnklesっていう名前にしようとしてたもん」と彼女は話す。

ディナーの用意ができた。チキンライスは予想以上に水分が多く、フリーはそういう食べ物なのだと理解していたが、クララの言う通りに加熱して水分を飛ばそうとしていた。彼女はアーチー・コミックの本を読みながら食べ始め、フリーは頭を下げて祈りを捧げていた。「俺のことは気にせず食べ始めてくれていいよ」と彼は言う。「みんなそうするから」

「俺はすごく傷つきやすい弱虫なんだよ」(フリー)

食事を済ませると、ソロアルバムの制作現場にしている小屋を少しだけ見せてもらった後、我々は彼のTVルームに移動した。巨大なプロジェクターセットの用途は、レイカーズの試合観戦にほぼ限定されている。我々は『Californication』について語り始めた。同作の制作期間は、フリーにとって決して幸せな時期ではなかった。5年間付き合っていたガールフレンドとの破局に打ちのめされ、眠れない夜が続き、幾度となく涙を流し、何もせずにただ胎児のように丸くなっていたかったという。毎日スタジオに向かうために、彼が必死で自分を奮い立たせていたのは、音楽に没頭している間だけは安らぎを得られたからだ。それでもなお、彼は数十分おきに急激な不安に襲われ、全身汗だくになっていたという。

殺伐とした心境が続いた数カ月間から得られたもの、それは悲しみに正面から向き合ったという自覚だった。1990年にクララの母親と別れた時にも同じ苦しみを経験したが、彼の対応は違った。「あの時はただハイになって、セックスしまくることで忘れようとしてた」と彼は話す。「でも今回は、他の女の子と寝たりしなかった。どうしようもなく冷たくて空虚な気持ちに、俺は正面から向き合った。そうすることで痛みを乗り越えたんだ」

最近イタリアで行われたショーの後、ステージ脇で立ち尽くしたまま涙を流していたフリーは、悲しみで全身を震わせていた。時々、彼は娘に支えられているのを感じるという。「オーストラリアに滞在していたある日、俺は泣いてた」と彼は話す。「その時娘がこう言ったんだ。『何がパパをそんなに悲しませているのか分からないけど、何があってもきっと大丈夫だから。だってパパはすごくいい人だもん』。ものすごく勇気づけられたよ」

前向きさを取り戻した今、フリーは大事にしていた迷信を全て放棄しようと努めている。キッチンからは6歩で退出すること、黒の下着を身につけないこと、本をベッドの上に放置しないこと(アイデアが漏れ出して彼の精神に取り憑くため)など、以前の彼は多くのことを信じていた。「傷つくのが怖くて、俺はそういう迷信をたくさん実践してた」と彼は言う。「それって要するに、宇宙の原理を信じていないってことなんだ。今の俺は何も恐れていない。毎日こう語りかけてるよ。『上等だ、かかってきやがれ』」

悪態というトレードマークを繊細さで塗り変えてきたバンドにおいて、フリーは感情面を象徴する存在だ。「今は怒りに任せて叫びまくるメタルバンドで溢れかえってる」と彼は話す。「多くの意味で、俺たちはその発端の一部だ。ファンキーなサウンドにラップとギターを組み合わせるっていうやり方は、いつしかすごく退屈なものになってしまった。今じゃ右翼やレッドネックの代名詞だ。チリ・ペッパーズにマッチョなイメージがついてることが、俺には以前から不思議で仕方なかった。俺らはしょっちゅうシャツを脱ぐし、アンソニーはセックスについての曲をたくさん書いてる。でも俺は、バンドの曲にはフェミニンなものが多いと思ってるんだ。俺は昔から、ちょっと女の子みたいなところがあったし。すごく傷つきやすい弱虫なんだよ」

フルシアンテの30歳の誕生日に、チリ・ペッパーズはアー写撮影のために集まった。フリーはマジックで「Martian + Laker」と書いたシャツを着ている。「何か重大な意味のあることを書くつもりだったんだけどね」。彼はそう言って肩をすくめた。「なぜか飼い犬の名前で落ち着いちまった」。キーディスはやってくるなり、フルシアンテにハグをした。休憩中、メンバーはテレビの周りに集まって、レイカーズがマイアミ・ヒートを叩きのめすのを見ていた。フリーはスクリーンから30センチほど離れたところで膝をついた状態で、全神経を試合に集中させている。「普段なら、試合中は話しかけられることさえ煩わしいんだ」と彼は話す。

メンバーと数名のスタッフは、フルシアンテには秘密で用意していたチョコレートケーキを出してきて、キーディスがバリトンボイスでハッピーバースデーを歌い始める。フルシアンテは赤面し、口を両手で覆っていた。彼が全ての蝋燭の火を3回かけて吹き消すと、全員から盛大な拍手が送られた。

「何か一言!」スミスがけしかける。

フルシアンテは少し考えた後、一歩下がってこう言った。「うーん、無理」

「俺が代わりにやる!」フリーはそう言って大きく息を吸い、19世紀の演説家のような声で「今日というこの日……」と話し始めると、部屋中が笑い声で満たされた。

時々手に負えなくなる弟のような存在であるフルシアンテに対する彼らの愛情は、外部の人間の目にも明らかだ。「10代前半の頃はさ」とフリーが話す。「アンソニーと俺と仲の良い友達何人かは、互いに成長を促し合うような関係だった」。レッド・ホット・チリ・ペッパーズは友情から生まれ、ヘロインによって分断され、音楽によって再び1つになった。彼らは今でも、それぞれの自宅まで車で10分程度の場所に住んでいる。バンドとして17年の月日をくぐり抜けてきた彼らは、一見奇妙だが分かち難い絆で結ばれた家族なのだ。

<INFORMATION>


『Unlimited Love / アンリミテッド・ラヴ』
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
ワーナーミュージック・ジャパン
発売中

https://RHCPjp.lnk.to/ULJPPu

Black Summer / ブラック・サマー
Here Ever After / ヒア・エヴァー・アフター
Aquatic Mouth Dance / アクアティック・マウス・ダンス
Not The One / ノット・ジ・ワン
Poster Child / ポスター・チャイルド
The Great Apes / ザ・グレイト・エイプス
Its Only Natural / イッツ・オンリー・ナチュラル
Shes A Lover / シーズ・ア・ラヴァー
These Are The Ways / ジーズ・アー・ザ・ウェイズ
Whatchu Thinkin / ワッチュ・シンキング
Bastards of Light / バスタード・オブ・ライト
White Braids & Pillow Chair / ホワイト・ブレイズ・アンド・ピロー・チェアー
One Way Traffic / ワン・ウェイ・トラフィック
Veronica / ヴェロニカ
Let Em Cry / レット・エム・クライ
The Heavy Wing / ザ・ヘヴィ・ウィング
Tangelo / タンジェロ
Nerve Flip / ナーヴ・フリップ(※日本盤ボーナストラック)