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■カニエとのコラボ、黒人初のLVクリエイティブディレクター、MV監督、DJ……マルチクリエイター、ヴァージル・アブロー

2021年11月28日、現代を代表するデザイナー、ヴァージル・アブローが亡くなった。2010年代、高価格帯のラグジュアリーストリートウェア旋風を牽引した彼によるプロダクトは、日本でも多くの人が見かけていただろう。

2012年にスタートさせたブランド「Off-White」は三代目J SOUL BROTHERSメンバーも愛用していたし、2018年にメゾン初の黒人クリエイティブディレクターとなった「Louis Vuitton」メンズのアンバサダーには韓国グループBTSが起用されていた。加えて、数多いコラボレーターのなかには、村上隆や藤原ヒロシの名前もある。

<「ヴァージルはポップカルチャーにおいて最もパワフルな人間の一人だった」(ブランド「Denim Tears」創設者で、友人かつコラボレーターであるトレメイン・エモリー)(*1)>

希少がんによる41歳の死は、ファッション業界を超えて衝撃とともに悼まれていった。日本人デザイナー、NIGOが語ったように、彼がもたらした影響の規模をはかるのは至難の業だろう。

「デザイナー」ではなく「メイカー」を名乗っていたヴァージルは、まさしくマルチプレイヤーでありパイオニアだった。1980年シカゴにガーナ系移民二世として生まれた彼は、大学院で建築を専攻したスケートボーダーで、2000年代初期には、同郷のラッパー、カニエ・ウェストのクリエイティブチームに加入。カニエとFENDIのインターンをしたことで服づくりを本格化させたのちにもエイサップ・ロッキーらラップスターのミュージックビデオやカバーアートを手がけた。本人もDJとして楽曲をリリースしており、『コーチェラ・フェスティバル』の出演経歴もある。

■賛否呼んだ「3%アプローチ」と、デュシャンの「レディメイド」を指針としたヒップホップ的サンプリング手法

ファッションスクールを卒業した裕福な育ちの白人デザイナーが多いハイファッション界において異端とされたヴァージルだが、確かなのは、彼がストリート、そしてヒップホップコミュニティーの人間だったことだろう。

興味深いのは、ヴァージルが、デザイナーとしてもヒップホップ的手法を用いていた点だ。

じつのところ、ファッション業界において、彼の躍進は激しい賛否両論を巻き起こしていた。特に有名なのが「3%アプローチ」、当人いわく「なにかを創造するときに原型の3%エディットするだけ」という手法だ。

名作スニーカーに脱構築的な引用符ワードを加えた代表作であるNikeとのコラボレーション「THE TEN」の「エア ジョーダン 1」を見ればわかりやすいだろう。または、盗用だと糾弾されたIKEAの椅子でもいい。ここでは、ミッドセンチュリーに人気を博した椅子とそっくりなデザインに小さなドアストッパーを含ませる「3%アプローチ」が行なわれている。リファレンスという手法自体はファッションの文化に根づいているものだが、こうしたデザインは「あまりにオリジナリティがない」として、否定的反応も生んだ。

Nike幹部より「DJの素養を発揮するリミキサー」として評された(*2)ヴァージルは、先人たちにリスペクトを捧げる自らのアプローチをヒップホップだと説いた。マルセル・デュシャンの「レディメイド」を指針とし、その概念にストリートウェアとの相関を視た彼にとって、過去の創造物をリファレンスしていくロジックは、既存の楽曲を切り刻んで新たな曲をつくるヒップホップのサンプリング手法と同じものだったのだ。

<「ぼくはアメリカ人であり、スケードボードとヒップホップ育ち。なので、ストリートウェアをつくるけど、それをファッションの文脈に乗せるんだ」(ファッションデザイナーとしての自身について、ヴァージル・アブロー)(前掲*2)>