順風満帆な美人ママ。とある掲示板で誹謗中傷されていて…
愛しい我が子の育児と、やりがいのある仕事。
多忙ながらも充実した日々を送る、働くママたち。
…けれど、そんなキラキラした“ママ”たちの世界には、驚くほど深い嫉妬と闇がうずまいているのだ。
ある日、1人の幸せな女性に、得体の知れない悪意が忍び寄る―。
悪いのは、一体ダレ…?
◆これまでのあらすじ
裕福で幸せな家庭、順調な社長業、気のおけないママ友、誰もが羨む幸福を手に入れた麻紀。
▶前回:『旦那の金があるから経営できてるだけ』SNSに容赦ない中傷コメントが。悪意の矛先を向けられた女は…
「海くん、じゃあね、バイバイ。また明日」
保育園の礼子先生に声をかけられるも、海は明らかに沈んでいる。最近はお迎えの時間でもすっかりと日が沈んでしまい、薄暗がりの中で彼の表情はよく見えない。
それでも、様子がおかしいのは明らかだ。
「先生にバイバイは?」
「…」
麻紀は礼子先生の顔を見返し「どうしたんだろう?」といった表情をして見せたが、先生にもわからないようで、少し困ったように首をかしげている。
「ありがとうございました」と言って軽く会釈し海の手を引くと、トボトボと元気なく歩く。いつもは駆け足で帰るのに、やはりおかしい。
「ねぇ、お友達とケンカでもした?それとも、楽しくないことがあったの?」
「…」
海が何も話そうとしない。彼は昔から落ち込むことがあると、言葉で説明せずに、自分の内に溜め込む傾向にある。それでもすぐに機嫌を取り戻して、通常の明るい海に戻ってくれるのだが…。
心配になった麻紀は、その場で立ち止まって息子をぎゅっと抱きしめてみる。
小さな頭を自分の肩に頼りなさげに委ねる海に、こんなに幼いのに彼なりに何かを思い、考え、戦っているのかと胸がキュッと縮まる。
するとそこに現れたのは、同じクラスの理央くんママと、ママ友の永本恵だった。
海が話してくれた、子どもにとって最も悲しい出来事とは…?
「海くん、海くんママ、こんばんは」
理央くんママの名前は、確か…荒井涼香だったと思う。
ゆったりとしたCELINEのコートに、ゆるく巻いた艶のある黒髪を垂らした彼女は、しっとりとした声で話しかけてきた。
彼女とは2年程前に一度、保護者会の後に何人かで『biodinamico』でご飯を食べたことがある。美人で妖艶な魅力を持つ彼女は、いつ見ても隙のない完璧な装いだ。
「理央くんママ、恵さん、こんばんは」
さらりと2人と挨拶を交わすも、海の様子が気になってしまい、ゆっくりとは話せない。状況を察したのか、2人は「じゃあね、海くん、またね」と言ってその場を去った。
「…ママ、帰ろう?」
「うん、今日は海の大好きなカレーだよ」
「うん…」
やはり覇気がない。彼が話しだすのを待つべきか、それとももっと聞いてあげた方がいいのか…?
息子とはいえ、自分とは全然違うひとりの人間なのだ。母親である麻紀でも、たまに何を考えているのかわからないときがある。
― どうしたら海の心はときほぐれてくれるのだろう…?
しかし家に帰ると安心したのか、海は少し元気になった。大好きなカレーは残さず食べ、普段と変わらずレゴやプラレールで遊んでいる。
寝る時間になると、いつものようにベッドで絵本を読み聞かせたあと、麻紀は再び海に今日何があったのかを尋ねてみる。
少しの間黙り込んだ海は、消え入りそうな小さな声で、ポツポツと言葉をこぼし始めた。
「友達が…遊ぶのが嫌だって…。僕とは遊ばないって…。海くんやだって」
「え、友達って誰?」
「…みんな」
すると今までずっと我慢していたのか、ポトリ、ポトリと大粒の涙を流した。その海の表情は、普段親に見せないような悔しさまじりの、心が傷ついて痛むような悲しいものだった。
「海…。こっちおいで。そっか、かわいそうに、悲しかったね」
初めて見る息子の姿に麻紀は、自分の心臓をズタズタにされたように苦しくなる。海の感じている悲しみを自分が引き受けられたら、どんなに良いだろう。
この間は大きくなったと感じた彼だったが、今日は簡単に壊れそうなほど儚く、心もとなく見える。
― こんなにも小さな体で、必死につらい出来事と向き合っているなんて…。
麻紀がしばらく抱きしめて頭をなでていると、海は落ち着いたのか、少し照れ笑いをして「へへへっ、ママあったかい」と笑顔を浮かべた。彼なりに心配させまいと強がっているのだろう。
「海、なんでそんなふうに言われたかわかる?他に、何か言ってた?」
「ううん、何もしてないよ。遊ぼって言っただけ」
しっかりしてきたとはいえ、まだ4歳。どこまできちんと事実を把握しているのか、そして話せているのかは不確かだ。それに、子ども同士。時にそんな日もあるのかもしれない。
海のことは一度先生にそれとなく相談をすることにし、その日は海が寝るまでずっと手をつないでいた。
海の悲しみを受け止める麻紀。数日後、恐怖の事実を知らせる一通のメールが届く…
次の日。
海のことを礼子先生に相談してみたが、彼女には心当たりが無いという。
ただ「子どもは気分屋なので『今日は〇〇くん、〇〇ちゃんとは遊びたくない!』と言う子もたまにいるけれど、次の日にはころっと忘れてまた一緒に遊んでいることも多いですよ」とも話していた。
「海くんのこと、様子見ておきますね。海くん良い子だし、みんなから好かれているので心配はいらないと思いますが、念のため」
「ありがとうございます。お願いします」
忙しい先生にこんなふうにお願いするのは少し気が引けたが、そう言ってもらえたことにホッとするのだった。
それから数日、海は落ち着いたようで、前の陽気な姿に戻ったように見える。先生からも特に仲間はずれにされている、というような報告もなかったし、海に聞いても以前のような話は出なかった。
とはいえ、最近ではお友達の名前が出てこなくなったため、少しまだ気がかりが残る。
そして、気がかりなことはそれだけではなかった。実は、麻紀の会社にも“ある出来事”が起こっていた。
企業アカウントへのアンチコメントがどんどんと増えていき、削除が追いつかないのだ。
思いつく限りの悪質ワードはNGにして書き込めないようにしている。にもかかわらず、巧みにそれらをすり抜けてまで不快なコメントを載せてくる。
夫の寛人からは「SNSの管理は他の人にお願いしたら?」と言われたが、人手が足りないことや、お客さんとの唯一のコミュニケーションの場だと考えると、自分がやらなくては、という気持ちが強かった。ただもう、そうも言ってはいられない。
そこに、社員の1人からこんな報告メールが届いた。
「北山さん、お疲れさまです。『Yarawa』という掲示板、見られましたか?どうも北山さんのことが書かれているようでしたので、余計かとは思いましたが心配になり、メールを送らせて頂きました。下記、リンク先です」
『Yarawa』とは、いわゆるネット掲示板なのだが、きちんと管理されていないのか最近では無法地帯となり、ある事ない事、様々な情報が書き込まれている。
― 『Yarawa』…?聞いたことはあるけれど、嫌な予感がする…。
妙に冷たく感じるマウスをクリックし、リンク先へ飛んだ麻紀は「ひゃっ」と思わず声をあげた。
『北山麻紀の自宅。良い家住んじゃって。夫婦そろって脱税って本当っぽい』
そこに現れたのは悪質なコメントと、麻紀たちの家の外観写真だったのだ。
― えっ。自宅が特定されてる…!?
さらにスクロールしていくと、以前個人のInstagramのアカウントに載せていた、夫婦で食事に行った写真が何枚か貼られている。
『子どもを置いて夫婦で高級レストランとか。しかも自粛中!』
この日は結婚記念日だったので、海は夫の実家に預けて夫婦でお祝いをした日だ。自粛期間後であったが、20時前には自宅に帰ったはず。
他の写真も、海が写っていないだけで一緒に食事をしていたし、昨今の状況は十分に配慮しているつもりだった。それなのに、こんな捉え方をされるなんて。
『子どもがかわいそう。そろそろ児相に連絡すべき』
『家の場所、わかったかも。住所さらすべき?』
そんな書き込みまでされており、麻紀は恐ろしくなった。
「どうしよう…怖い…。このままだと、家族まで何をされるかわからない…!」
恐ろしいスピードで膨らむ悪意。冷たく感覚のなくなった指先が小刻みにカタカタと震える。
それでも麻紀は、画面から目を離すこともできずに、ただぼう然と恐怖心に飲みこまれていくのだった。
▶前回:『旦那の金があるから経営できてるだけ』SNSに容赦ない中傷コメントが。悪意の矛先を向けられた女は…
▶NEXT:2月19日 土曜日公開予定
ついに弁護士に相談することにした麻紀。しかし、ある事実に愕然としてしまう…