S660αの走行イメージ(写真:本田技研工業)

ホンダの「S660(エスロクロクマル)」は、軽自動車では数少ない2シーターのオープンボディを持つスポーツモデルだ。エンジンを座席後方、車体のほぼ中央に配置し後輪で駆動するミッドシップ・リアドライブ(以下、MR)採用の本格派で、とくにスポーツカー愛好家にファンが多い。残念ながら同モデルは、2022年3月に生産終了することが決定しており、受注自体も一旦は停止していた。

ところがホンダは、2021年11月1日、数量限定ながら同モデルの追加販売を発表した。新たに追加生産が予定されるのは650台で、一部ディーラーでの販売ならびに公式ホームページ内で抽選販売を行うという。


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追加販売する主な理由は、生産終了に対する反響の大きさだ。2021年3月の発表直後から注文が殺到し、想定を大きく上回る早さで完売したことで、商談途中で購入できなかったユーザーがかなりの数にのぼり、追加販売の要望が数多く寄せられた。ホンダは、それらに応えるため追加生産を決めたという。

まさに「愛好家たちからの熱いリクエスト」がメーカーを動かした。それほど、愛されていたS660には、いったいどんな魅力があったのだろうか。ここでは、S660の主な特徴や歴史、ホンダにおける存在意義などを紹介。加えて、ダイハツ「コペン」やスズキ「アルトワークス」といった同ジャンルの他社モデルも交えながら、海外にはない日本独自の「軽スポーツカー」文化についても検証する。

ホンダの軽スポーツ「S660」が愛される理由


S660のスタイリング(写真:本田技研工業)

S660の大きな魅力は、やはりそのスタイルだろう。「ENERGETIC BULLET(エネルギッシュな弾丸といった意味)」をコンセプトに開発された外観デザインは、突き抜ける弾丸のような塊感と、ロー&ワイドなフォルムを表現する。また、スポーティな2シーターボディに頭上空間がオープンとなるタルガトップの採用、フロント165/55R15・リア195/45R16という前後で違う太さのタイヤを装備するなどで、軽自動車ながら本格的なオープンスポーツカーの風格を漂わせている。


S660に搭載される直列3気筒DOHCターボエンジン(写真:本田技研工業)

さらに高い旋回性能を生むMRレイアウトと、高回転型ターボを採用した最高出力64psを発揮するエンジンなどで、高い走行性能を実現。吸・排気音、ターボチャージャー作動音、アクセルオフ時に過給圧を開放するブローオフバルブ音などには独自のサウンドチューニングを施し、スポーツカーならではの迫力あるサウンドが楽しめることも魅力だ。


S660のインテリア(写真:本田技研工業)

ラインナップには、6速MT車とパドルシフト付きCVT車を設定する。とくにMT仕様は、CVTやATなどのオートマチック車が全盛の今となっては、設定する車種自体が珍しい。だが、S660の場合は、MT仕様を選ぶユーザーが約60%とむしろCVT仕様より多い。アクセル・ブレーキ・クラッチの3ペダルと、マニュアルシフトによりクルマを自在に操る感覚を味わいたい、生粋のスポーツカー好きに大きな支持を得ている証しだ。


S660モデューロXの特別仕様車バージョンZ(写真:本田技研工業)

設定グレードには、スタンダード仕様が内装に本革×ラックススェードをあしらった「α」と、メッシュ×ファブリック内装を施した「β」を設定する。ほかにも内外装にレーシーかつ高級感ある専用パーツを施したカスタマイズ仕様の「モデューロX」、2021年3月にはモデル最後の特別仕様車「モデューロX バージョンZ」も発売。価格(税込)は203万1700円〜315万400円だ。

なお、前述した追加販売を実施するのは、これらのうちスタンダード仕様のα(232万1000円)とβ(203万1700円)の2グレードで、いずれも6速MTとCVTが選択できる。また、追加650台の内訳は、一部ディーラーで600台を取り扱い、商談途中に一旦完売となり購入できなかったユーザーを優先で受付する。残り50台(α=40台、β=10台)は、公式ウェブサイト「S660商談権申込キャンペーン」からの申し込みによる抽選販売となる。ウェブ抽選の申し込み期間は11月12日(金)から12月5日(日)、抽選会の様子は12月15日(水)にウェブサイトでライブ配信される予定だ(当選発表は12月16日HPにて掲載予定)。

Sシリーズの血統を受け継ぐ歴史

S660が登場したのは2015年。ホンダが軽スポーツカーを市場投入するのは、1990年代に人気を博した「ビート」以来、約25年ぶりとなる。


1991年に発売されたビート(写真:本田技研工業)

ビートは、MRレイアウトを採用した初の軽自動車で、2シーターのフルオープンボディが魅力のモデルだ。その軽快かつスポーティな走り、オープンカー特有の爽快感などは、生産終了から約25年経った今でも多くのファンに愛され続け、長年乗り継いでいる愛好家も多い。2017年からは、ホンダが一部純正部品の再生産を開始し、オーナー向けに販売するほどの根強い人気を誇っている。

まさにビートの再来として登場したのがS660だ。ビート同様にMRレイアウントを採用し、ビートがフルオープン仕様なのに対してS660はタルガトップ仕様だが、スポーツカー好きが憧れる多くのパッケージを採用する点で、両車には共通点が多い。


ホンダの原点となるS500(写真:本田技研工業)

S660の開発がはじまったのは、「本田技術研究所」の設立50周年を記念した商品企画提案がきっかけだったという。同研究所は、1960年に設立されたホンダの研究・開発機関だ。今でも語り継がれるホンダの名車を数多く世に出してきた。S660は、そんなホンダ製4輪車の中でも、源流といえる「S」シリーズの末裔だ。

Sシリーズとは、ホンダがはじめて製作した4輪乗用車の総称だ。もともと2輪メーカーだった同社が、4輪車へ進出することをアナウンスしたのは1962年。その際に軽自動車の「S360」とコンパクトサイズの「S500」というオープンスポーツカーを発表した。S360は試作のみで販売はされなかったが、S500は1963年に発売。いわば、ビートやS660の元祖といえるモデルだ。スタイリッシュなフルオープンボディを採用し、排気量531ccの4気筒エンジンを搭載。軽量なボディと高性能な走りが当時の市場で大きな反響を呼んだ。

その後、同モデルは、排気量を上げていき、1964年に「S600」、1966年には「S800」が登場、1970年まで生産された。短い年数での販売だったこともあり、今でもこれらモデルは昔からのスポーツカー愛好家やホンダ・ファンなどに高い人気を受けており、ビンテージカーとして大切に保管するオーナーも多い。

S2000に次ぐ、第3世代のSシリーズがS660


1999年にデビューし、2009年まで生産されたS2000(写真:本田技研工業)

久々に「S」の称号を与えられて登場したのが、1999年に発売された同じくオープンスポーツの「S2000」だ。2.0Lの直列4気筒エンジンを搭載し、独自の可変バルブタイミング・リフト機構「VTEC」を採用。S800と同様のFR(フロントエンジン後輪駆動)車で、高回転まで一気に吹け上がるパワー特性や、アルミ製ボンネットなどによる軽量な車体が生む優れたハンドリングなどが魅力だった。2005年のマイナーチェンジでエンジンの排気量を2.2Lにアップし、2009年まで生産されたが、こちらもいまだにファンが多いモデルだ。

つまり、S660は、ホンダ4輪車の元祖であるオープンスポーツカー「S」シリーズの血統を受け継ぐ第3世代モデルだといえる。今回S660が生産終了になるということは、ホンダ伝統のシリーズに一旦幕が下ろされることも意味する。


S660のスタイリングイメージ(写真:本田技研工業)

S660の新車販売台数は、2015年4月の発売から2021年10月末現在までの6年6カ月間で3万5572台、年平均で約5473台程度だ。軽自動車でもっとも売れているホンダの軽スーパーハイトワゴン「N-BOX」が、2020年通年(1〜12月)における新車販売台数で19万5984台を販売しているのとは対象的だ。もっとも、N-BOXは、登録車を含めた全車種で4年連続、軽自動車では6年連続1位となっているから、近年需要が減少しているスポーツモデルのS660と比較対象になりにくいのは確かだ。だが、それでもS660の販売台数はかなり少なく、売れ筋と呼ぶにはほど遠い。やはり生産終了の原因は、販売台数の少なさだったのだろうか。

ホンダによれば、一番の要因は「法規対応」だという。例えば、衝突被害軽減ブレーキの義務化。2020年1月に「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示等」が一部改正され、国産車の場合、2021年11月以降に出す新型車については、衝突被害軽減ブレーキを搭載していないと販売ができなくなった。ほかにも側突(側面からの衝撃)に対する安全基準や排ガス規制の強化など、今後もさらに法規制は厳しくなってくる。ホンダでは、それらに対応させるには、「かなりの開発工数が必要」となるため、S660の生産終了について「苦渋の決断」をしたという。つまり、開発コストが膨大となるため、S660の販売台数ではもとが取れないということだ。

日本独自の軽自動車というカテゴリーの壁


今年、フルモデルチェンジを発表したシビック(写真:本田技研工業)

S660は、日本独自規格の軽自動車であることも大きいだろう。例えば、2021年8月に新型が発売された「シビック」。50年以上の歴史を誇り、ホンダを代表するクルマの1台だが、先代モデルの国内販売台数は、登場した2017年からの累計で約3万5000台。年平均で約8750台程度だから、こちらもN-BOXなどには及ばない。

ただし、シビックの場合は、北米や欧州など、世界170を超える国や地域で販売されているグローバルモデルだ。先代シビックの2020年度グローバル販売台数は約68万台で、S660どころか、N-BOXさえもはるかに凌ぐ。国内の販売台数が少なくても世界的にはかなりの「売れ筋」だといえ、法規対応などに開発コストがかかっても新型車を出しやすい。S660の悲劇は、ほぼ国内でしか販売できなかったことも要因のひとつではないだろうか。


S660のリアビュー(写真:本田技研工業)

そう考えると650台の追加販売は、ホンダにとって、S660の生産終了を惜しむ熱いファンに対する精一杯の誠意だったことがうかがえる。F1(フォーミュラワン)をはじめとするモータースポーツでの活躍により、多くのファンを獲得してきたホンダにとっては、スポーツカー好きは昔からのお得意様だ。とくにS660のようなモデルは、軽自動車としては高価ではあるが、200万円台から300万円台で購入できる価格帯も魅力だ。その意味で、「誰にでも手軽に買えるスポーツカー」という、一定のジャンルを築いてきたモデルのひとつだといえる。

ホンダによると、S660のユーザー層は「50代の男性がメイン」だという。ちょうど、1980年代後半から1990年代前半に起きたF1ブームを知る世代だ。当時は「マクラーレン・ホンダ」など、ホンダがエンジン供給するチームが数々のタイトルを獲得し、大活躍していた時代。ブラジル人ドライバーの故・アイルトン・セナ氏や日本人初のF1ドライバー中島悟氏といったスター選手がいたことや、レースによっては日曜のゴールデンタイムにも行われたテレビ中継などにより、日本に一大ブームが巻き起こった。S660のオーナーは、まさにそれをリアルタイムで体感した世代だろう。

手頃に買えるスポーツカーとしての価値

ホンダが「定量的なデータはないものの、スポーツ走行を楽しまれている方が多い印象」というように、ワインディングやサーキットなどで、走りを楽しみたい層が中心だ。スポーツカーには、フェラーリやランボルギーニといった輸入車はもちろん、国産でもホンダ「NSX」や日産「GT-R」など、2000万円を優に超えるモデルは多い。中には、億を超える価格のモデルさえある。それら高級スポーツカーこそ買えないものの、S660なら手が届く。そんなハードルの低さがS660をはじめとする軽スポーツカーの魅力だ。


S660と同様にオープンボディのスポーツカーであるダイハツ「コペン」(写真:ダイハツ工業)

軽自動車のスポーツモデルには、S660以外にも、同じオープンスポーツのダイハツ・コペンや、スズキの5ドアハッチバック・アルトワークスなどがある。また、ホンダでも、軽ワゴン「N-ONE」に「RS」というスポーツグレードを設定する。いずれも、ラインナップに6速MT仕様を用意し、軽量な車体による俊敏な走りが楽しめるモデルだ。ユーザーはやはり、サーキットも含め、愛車でスポーツ走行を楽しみたい層が多い。中には大学生などの若いユーザーもいて、意外に年齢層は幅広い。


S660のサイドスタイリング(写真:本田技研工業)

軽スポーツカーの愛好家は、絶対数こそファミリー層などに人気が高い軽トールワゴンや軽スーパーハイトワゴンのユーザーには及ばない。だが、確実に一定数は存在し、まさに昔から続く「クルマをスポーティに楽しむ」文化を支えているユーザーたちだ。ただし、コペンやアルトワークスについても、さほど販売台数が多いとはいえず、ホンダが法規対応によりS660を諦めたように、いつまで販売が続くかは先行き不透明だ。

それは、N-ONEのRSグレードも同様だろう。加えて近年は、軽自動車にも電動化などカーボンニュートラルに対応する動きがある。開発や生産のコストを考えると、あまり台数が望めないスポーツモデルが生き残れない可能性も十分にある。日本固有の文化ともいえる軽スポーツカーの火が消えないことを祈るばかりだ。少なくとも、ガソリンエンジン搭載の軽スポーツカーが新車で手に入るのは、今が最後のチャンスである可能性は十分にある。

Sの称号を受け継いだモデルの可能性に迫る

筆者は、ホンダに「EV化などを施したS660の次期モデルが出る可能性」についても聞いてみた。答えは、「現時点でお答えできることはないのですが、運転する楽しさや操る喜びについては、ほかのモデルへと引き継いでいきたい」という。とくにS660は、ホンダの原点ともいえるSシリーズの血統を受け継いだモデルだ。「乗って楽しいクルマ」の追求は、まさに創業者の故・本田宗一郎氏が作り上げた「ホンダスピリット」の具現化でもある。そういった伝統を守りつつ、次世代に続く革新性、そしてS660のように誰にでも手が届く手軽さも併せ持つ。そんな新しいスポーツカーの登場に期待したい。