最強CPU将棋ソフト『水匠』VS最強GPU将棋ソフト『dlshogi』長時間マッチ観戦記 第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測

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 最強CPU将棋ソフト『水匠』と最強GPU将棋ソフト『dlshogi』が対決するイベント“電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」”が、2021年8月15日に実施された。

 ともにトップクラスの強さを誇る最高峰の将棋AIが激突したこの対局を、開発者は、プロ棋士は、どう見ていたのか。

 ライトノベル「りゅうおうのおしごと!」作者である白鳥士郎氏による観戦記を全4編に渡ってお届け。電竜戦長時間マッチの舞台裏を紐解いていく。

※インタビューは2021年8月31日に行われ、棋士の肩書き・段位等は当時のものになります。

第一譜『水匠』杉村達也の挑戦第二譜『dlshogi』山岡忠夫の信念第三譜『GCT』加納邦彦の自信第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測

取材・文/白鳥士郎

「私がCSA会員だというのが大きな理由だったんだと思います」

 解説者として電竜戦への協力を求められたきっかけを尋ねたとき、阿部健治郎七段はそう答えた。
 CSA――『コンピュータ将棋協会』。
 歴史ある団体であり、かつては将棋連盟に挑戦状を叩きつけたこともある。まだ人類が機械より強かった頃のことだ。
 なぜ将棋連盟の正会員である阿部は、CSAの会員にもなったのか?

「10年くらい前……2010年に新人王戦で優勝したんですが、優勝者は世界コンピュータ将棋選手権で解説役をするという慣例があるんです。その時に開発者の方々から、将棋ソフトのことについて教えていただいて、それで興味を持ったから入会しました」

 とはいえ、解説役として協力することはあっても、わざわざ会費を払って入会までするプロ棋士というのは少ないだろう。
 阿部は20代で竜王戦1組に昇ったトップ棋士であると同時に、研修会幹事として後進の育成にも熱心なことで知られる。
 あの藤井猛九段を兄弟子に持つ序盤の研究家としても知られ、さらに東北は山形県という地方出身者であることから、以前からそのビハインドを論理的に説明すると同時に、将棋ソフトやIT技術がアマチュアの棋力向上にどう影響しているかについても語っていた。

 その阿部が、今回の長時間マッチをどう見たのか?
 そして今回の結果を見て、将棋界の未来をどう予測するのか?
 ここからはインタビュー形式で、その言葉をお伝えしよう。

長時間マッチ出演のきっかけ

──阿部先生と電竜戦プロジェクトのかかわりから教えてください。

阿部:
 前回の電竜戦指定局面戦(TSEC)のときに、解説役を依頼されたことがありまして。どんな局面を採用したらいいかという相談を受けたりもしました。そこから、杉村さんや松本さんとの交流が始まって。

──7月18日に行われた第2回電竜戦TSECですね。そこで水匠がファイナルで優勝し、dlshogiがB級総合優勝したことが、今回の長時間マッチに繋がっています。

阿部:
 今回はもともと佐々木勇気さんが解説者として呼ばれていたのですが、その佐々木さんが私のことも誘ってくださって……それでダブル解説のような感じになりました。とはいえメインは佐々木さんですから、渡辺名人が登場なさった時は、私は待機するような感じで……。

──放送時のコメントを見ると、共演NGと勘違いした人がいたみたいですね(笑)。

阿部:
 私も後日、コメントを見て驚きました(笑)。そんなことは全くありません。

──バグによって急遽第3局まで行われることが決まると、帰宅した佐々木先生に代わって終局まで解説役を引き受けられました。

阿部:
 出しゃばってしまいましたね(笑)。第3局は開発者の方々の座談会のような形で進める予定だったと思うのですが……。

──視聴者はもちろん、開発者の方々も阿部先生が解説してくださって喜んでいましたよ! 今回の長時間マッチという企画を聞いたとき、どう感じましたか?

阿部:
 すごく興味深いと感じました。過渡期でもありますし。持ち時間を長くすればソフトの指し手がより自然になるというのは、これまで選手権を10年以上見てきてわかっていたことです。人間が見やすい将棋になると思いました。

 選手権くらいの持ち時間ですと、悪手ではないのですが……勝ちきるまでに非常に手数が長い手順を選んだりと、人間から見て不自然な手を指すことがありますから。

 あとはハードウェアに関しても気になっていました。dlshogiのA100が8台というスペックに対して、NNUE側の水匠がどこまで健闘するかという……。

──健闘、という感覚なんですね。

阿部:
 NNUE側が仮に100万円だとしても、dlshogiは1000万円以上のスペックなわけですからね。

──第1局の前に、阿部先生が山岡さんに『メモリはいくつですか?』と質問したら『2TB』という答えが返ってきたのは衝撃的でした。聞いた阿部先生も苦笑していて(笑)。

阿部:
 2TBはすごいですよね。保存用のハードディスクでそのくらいならわかりますが、メモリですから。いや、驚きます。

──どんな結果になると予想していましたか?

阿部:
 さっきは『健闘』と言いましたが……現状だと、わずかにCPU側が強いと思っていました

 引き分けか、または水匠の勝ちだと。

──勝ちというのは、先手でも後手でも水匠が勝つと。

阿部:
 はい。だから今回の結果は意外でした。バグのことも含めて……。

長時間マッチ第1局:横綱相撲で力を見せつけるようなdlshogi

──ではさっそく、第1局から。山岡さんはテスト対局でdlshogiに長時間思考させると、それまでは相掛かりを指していたのに、角道を開け始めたと言っていました。その通りの指し手をdlshogiが選んだわけですが、これはどう思われましたか?

阿部:
 現状は相掛かりが流行っているので、意外ですね。ただ、7六歩か2六歩のどっちがいいかはわからないので、今後も揺れていくのでしょう。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)

──最新のソフトが長時間思考した結果、『将棋の純文学』と言われた矢倉を指す。これについてはどう感じましたか?

阿部:
 少し前まで、矢倉は角換わりや相掛かりに比べて損なのではないかと言われていましたから、定跡を切った状態で矢倉を選んだのは意外ではあったんですが……。

 指してくれたということは、つまり矢倉も互角だということですよね。とはいえ暫定的な評価なわけで。人間でもコンピュータでも、何がいいかはその時々によるということなのでしょう。

 個人的には、接戦になって、終盤がどれだけ難しくなるかを楽しみにしていました。その意味で、駒がたくさんぶつかりあう矢倉は、難しくなる戦型なので、一番力が出る。楽しみですよね。

──ただ、オープニングこそ矢倉でしたが、飛車が走って、大駒が飛び交うような将棋になりました。

阿部:
 そうなんですよね! これ、矢倉って感じじゃないですよね(笑)。

──渡辺名人も『矢倉を指す人はこの将棋を選ばない。これを指す人は最初から相掛かりを指す』とおっしゃっていました。

阿部:
 それはあります。私も渡辺さんの意見に同意ですね。

 展開次第では、こういった中住まいの将棋にはならないわけです。だからこの将棋を指すには、どんな将棋でも指せる人でないと。特にこの先手の矢倉は、後手の対応によって、地上戦になるのか空中戦になるのか、わからないのですよ。

 相掛かりを最初から選べば、空中戦になることはわかっているわけで。自分の棋風に合わせやすい。

 だから先手の局面が悪いとかではなく……局面自体はおそらく、先手のdlshogi側が作戦勝ちなのでしょうけど、やりにくいですよね。

──作戦家として知られる阿部先生のお話は、納得です。そもそも戦型選択というのは、自分の指しやすい、棋風に合った局面へ誘導するためのものなのに……。

阿部:
 そこですよね。私が申し上げたいことを実に上手くまとめていただきました。

 ただ、羽生先生や永瀬さんといったオールラウンダーで何でも指せるという方々は、今のようなケースには当てはまらない。逆に得意戦法がある人ほど、こういった将棋はイヤですよね。

 基本的には、自分のほうが上だと思っているというか……相手に選ばせてあげる。横綱相撲じゃないとできないですよね。

──では、これで勝てるというのは、非常に強い……。

阿部:
 はい。力を見せつけるような感じです

長時間マッチ第2局:勉強になった水匠の受け方

──バグに関しては後でうかがうとして……第2局目に関してはいかがでしょう? 水匠が先手で勝った将棋です。

阿部:
 最初に思うのは……『勉強になったな』ということです。

 受け方がすごく勉強になりましたね!

──水匠の受け方が、ですね。

阿部:
 ええ。40手目に5五角と打ってdlshogiが猛攻するんですが、そこからの受け方がすごく勉強になって……これはいいものを見たな、と思いましたね。

──dlshogiの4九銀に関しては、リアルタイムで阿部先生も佐々木先生も相当興奮なさっておられました。

阿部:
 この局面だけを見れば、4九銀を打てる人もいるでしょう。棋士なら見えると思います。けれどずっと前からこれが見えているのがすごい。

 読みが深すぎる。そこからの応酬もすごい。1手で1歩を稼ぐようなところもあって……いやぁ、これはすごいですよ! 息をのむ攻防ですよね。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)
(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)

──こういった高度な応酬は、棋士の参考になるものなのですか?

阿部:
 ここまで来ると鑑賞の域に達しているんですよね(笑)。

 もちろん参考になる部分というのもあって、たとえば43手目の5六歩からの……角打ちを促して、53手目に5五角と打つとか。このあたりは部分的な定跡として参考にできそうですよね。私の力であっても。

 けどそこからは神業的で……ちょっと真似できないですね。

──参考になりそうな部分を、1局の将棋から探すというのが……。

阿部:
 そう! そこが勉強になるんです。1局の中から参考にできそうな部分を切り出して、吸収すると。それが棋譜並べの面白さじゃないかと思うんですよ

──この第2局は、千日手を水匠が打開して勝ちましたが、あの千日手の部分はいかがでしたか?

阿部:
 2九飛車のところですね。人間の目だと『さすがに先手が打開する順があるんだろう』と思いますね。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第1局 ゲスト:渡辺明名人 解説:阿部健治郎七段・佐々木勇気七段より)

──人間の目から見ると、パッと打開できるとわかるんですね。

阿部:
 仮に千日手にするとしても、まず飛車を2九飛としておいて、それでも何ともならなかったら千日手を選ぶという感じになると思うんですよ。

──この1局に関しては、水匠の強さを感じたのか、dlshogiの強さを感じたのか、どちらだったでしょう?

阿部:
 水匠ですね。終盤はCPUのほうがまだ強いと言われていますが、実際に強いと感じました。

 私の手元には、今回杉村さんが使用したのとほぼ同じCPUがあって、それを動かして検討していたんですが――

 人間が1手動かすと、それで一気に優勢になったりするんです。コンピュータには見えない1手を入力すると。だから人間の直感もまだ捨てたものじゃないと思いました。

──ええ!? 人間が教えてあげるんですか?

阿部:
 これはTSECのときも実際にありました。ソフト同士の対局では千日手になったんですが、私が示した手を入力すると、優勢になるんです。その手が見えないと千日手になってしまうというのが、実際にあったんですね。

 今回のように持ち時間が長い将棋であっても、人間なら『もっと時間を使った方がいいんじゃ?』という局面でもソフトは時間を使わなかったりするんです。このへんは、ちょっとわからないですね。

 自分でもソフトで検討させて思ったのですが、長時間の場合は人間とソフトがタッグを組むというのが、現状では最も強くなるのではないかと思いました。

長時間マッチ第3局:ディープラーニング系の棋譜は地道に積み重ねていくような将棋

──では第3局について。この将棋は……。

阿部:
 あれ夜中だったから、あんまり将棋を憶えていないんですよ(苦笑)。

──そうなんですよ……みんな雑談に夢中でしたし。

阿部:
 手数は183手と長かったですが、勝負が決まるのは早かったので、私はずっと質問を読み上げていた記憶があります。

──dlshogiが序盤から評価値を積み上げていって、勝ったと。これがディープラーニング系の勝ちパターンだそうです。

阿部:
 TSECで解説させていただいたこともあって、最近ディープラーニング系の棋譜をたくさん見るようになったんですが……地味なんですよ。地道に地道に積み重ねていくような将棋です。

──地味。

阿部:
 正直に言って、ソフトが強すぎて私には理解できない部分が多いです。

 45手目の1八香とか。この意味がわかっていれば違うんでしょうが……。

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第3局 開発者座談会より)

──これはリアルタイムでも『んん?』って感じでした。一手パスみたいな。けどパスするなら他に動かす駒もありそうなのに……。

阿部:
 そんなに差が付いてるようには見えないじゃないですか。これわかんないですよ。私には。

 手が進んでみて、仕掛けた局面。先手が桂損しつつ7五歩と仕掛けた局面。ここまでくればわかってきたんですが……。

──角の当たりから香を逃していると?

阿部:
 1八香や2八飛車に必然性があったかは、私にはわからないんですよ。水匠が千日手を読んでいるのは、駒がぶつかったら打開できないと読んでいる。けどdlshogiは、駒がぶつかったら形勢は自分がいいと読み切っている。深いですよ。

──先手のdlshogiが7五歩と突いて、その歩を取った瞬間に水匠も千日手ではなく先手がいいと反省する。戦いが起こってしまったら結局dlshogiの読み通りに、先手が良くなったわけですか。

阿部:
 ええ。だから非常に筋がいいですよね。先手の7五歩は。

 こういう場合に、たとえば香車が1九のままだったら仕掛けが成立しないのでは? みたいなところがプロは気になるわけですよ。

 1八香が単なる手待ちなのかどうか。こういう部分を考えないといけないので……いやぁこの指し手を理解するのは、相当大変ですよ。間合いを測るためだけなら、他の手だってあるわけですから。

──戻れる駒を動かしたっていいわけですもんね。

阿部:
 そうです。香車って、基本的に下の方にいたほうがいいんですよ。可動域が広いので。けど、dlshogiが1八香を敢えて選んだ……もしかしたら角のラインから逃がすために。

 ただ本局に関して言えば、後の展開を見ても1八香でなければならない理由がそんなに浮かんでこないんです。

 こういった細かい部分をAIに調べさせることで、差が出てくるんでしょうねぇ……時間があれば調べたいんですけど、なかなか忙しいですから。

 こういう手を、パッと解説できるようになれば、もっと将棋の面白さがファンに伝わるんでしょうね。そのためには言葉の選び方とかも工夫しないと……。

──こういった手待ちみたいなのって、我々ファンがプロの将棋を見て『わかんないなー』と思ってる部分なんですよ。けど最近はプロの先生が、ソフトの手待ちを見て『あれは何の意味があるんだろう?』と考えるというのは……。

阿部:
 将棋が高度になりすぎましたね。こうなるというのは昔からみんな薄々わかっていたことではあるんですが。

──こうした手待ち合戦みたいな技がどんどんソフトから輸入されることで、たとえば手数が伸びていくというようなことが起こったりするんでしょうか?

阿部:
 あるでしょうね。何手一組で局面をわずかに動かす、みたいなトリックのような技がどんどん入ってくると。

 そういう将棋になると、アマチュアでは理解できなくなるでしょうね。プロでも指せない人が出てくるでしょうから

──そういう将棋を見て、面白いかというと……。

阿部:
 そこまで高度な手待ちになってくると、暗記だけでは無理でしょう。理解しないと指せない。そして理解しても、解説したところでファンには理解されない。来るところまで来てしまったな……というのはあります。

──この域にまで、人間の将棋は到達しますか?

阿部:
 うーん……たとえば、19歳の羽生竜王や、20歳の渡辺竜王。将棋界でトップになった頃のお二方と今の棋士を比べて、果たして今の棋士が強くなっているかというと……。

──19歳の藤井二冠という規格外の存在がいるとしても、じゃあ20年後に今の藤井二冠より強い棋士が他にたくさん生まれているかというと、ちょっと考えづらいですね。

阿部:
 10年たっても20年たっても、追いつかないんじゃないですかね。そういうレベルには。

 藤井二冠はこういった間合いを測るような将棋を指していらっしゃいますが……トップの実力だけは、いつの時代も隔絶していますからね。

──阿部先生と同世代のプロ棋士の方々は、ソフトに対してみなさん先生と同じような感触を持っていらっしゃるんでしょうか?

阿部:
 このコロナ禍で加速した感じはしますね。みんなソフトを使うし、使い方も考え方も同じような感じになってきていると思います。

──使用方法に関する共通認識ができてきている?

阿部:
 藤井二冠や千田さんは、自動対局など、より高度な使い方をしているかもしれませんが……だいたいの棋士は検討に使うくらいじゃないんでしょうか。

 ソフトと感想戦をやってるような感じですよね。アナログ的な使い方をするのが、ほとんどだと思うんです。

──ソフトが示す手順や評価値を暗記していたり?

阿部:
 そういう若手は多いでしょうね。ただ、そういった情報は覆るじゃないですか。

──ですよね! 不安はないんですか?

阿部:
 千田さんとも以前、そういった話をしたことがあります。『地道にアップデートしていくしかないよね』となったんですが……今だと、1年間にソフトのレートが50くらい上がるかどうかだから、そんなに変わらないからいいんですけど――

 技術が大幅に進歩する瞬間……今回のディープラーニング系がそうですけど、1年でレーティングが500とか変わってしまうと、地道な努力が全部無駄になるんです。

 その時、どうなるのかなと思うんですけど……。

 けどそうなったら先行者利益が消えて、今まで将棋を知らなかった人も一から定跡を憶えることができるので、それはそれでいいことなんだろうなと(笑)。

──大富豪の革命みたいなことが起こると。

阿部:
 将棋って先行者利益が大きいゲームだったんですよ。棋士が定跡を作っていたんですが、そういう知識がない人にとっては厳しかったんです。いや、さすがに1年で定跡が全部変わっちゃうのはヤバいと思うんですけど(苦笑)。

 けど2〜3年で定跡が一新されるのは、スピード感があっていいのかもしれないですね。私が言うのも変かもしれませんが、新たに入ってくる人々にとっては。

どんな道具も使う人次第。技術的な工夫が見たい

──今回の長時間マッチのことを、プロ棋士と話したりはなさいましたか?

阿部:
 いや。最近は私も棋士との付き合いが減ってきていますし……数人と『面白かったね。バグが出たりして』みたいな話はしましたが。

──バグのことが話題になっちゃってるんですね(笑)。じゃあ、バグについてお尋ねします。このバグが検討中に出現したことはありましたか?

阿部:
 それはありますし、そのスクリーンショットを……半年くらい前に、杉村さんに送ったんですよ。で、磯崎さんに相談してもらって。でも再現性がないから、GUIを変えてみたら? みたいなことを言われた気がします。

──『やっぱりバグだったんだ!』とわかったときは、どう思われましたか? 今までの研究が無駄になってしまったり……。

阿部:
 いえ。再現性もありませんし、出現すればすぐにわかるバグですから、研究には影響ないです。それに棋士はみんな一度は遭遇してるので。

──阿部先生は、研究家揃いの西村門下じゃないですか。

阿部:
 はい。

──藤井猛先生のように、ソフトで研究はしないと公言しておられたり。地方出身で、自分の力で研究してきた方々からすると、ソフトの指し手や思考を暗記するような方法で勝つというのは、どんな感じがするんでしょう?

阿部:
 資本主義が、行き着くところまで来てしまったということですね。仕方がないんですよ。世界中の天才が、投資された潤沢な資金を使って、コンピュータを発展させていっている。それを子供でも使えるような時代が来てしまったわけですから。

 トーナメントプレーヤーとして見たら、それでいいんです。けど、普及の面から見ると……危ういですよね。

──危うい? それは、どういう点で?

阿部:
 最近も私にこんな相談が来ました。『トップ棋士は高いパソコンを使って、ディープラーニングのソフトを動かして研究しているけど、支部ではどんなふうに子供に将棋を教えたらいいんだろう?』と。

 高価なパソコンも買えない。そもそも指導者には高齢の方が多いからパソコンの操作すらできない。けど今はコロナ禍で、リアルでは支部に子供を集めたりして将棋を指せない……。

──なるほど。難しいですね……。

阿部:
 ソフトって、強い人ほど強くなれる道具なんです。棋力の高い人は理解力も高いので、コンピュータ将棋の指し手を早く理解できる。だからより早く強くなっていく。

──才能と呼ばれるものなんでしょうね。それが。

阿部:
 同じ性能のパソコンとソフトを使っていたとしても、棋力の高い人のほうが吸収速度が早いので、差が広がっていくと思います

──さらに現実は、資金力の面でも差が出ると。

阿部:
 そうです。だからソフトがあれば下剋上ができるとか、そんなことはないです。強い人がもっと強くなっていく。そして初心者は活用が難しい。二極化が進むと思います。

──阿部先生は研修会の幹事もなさっていますよね? プロはともかく、修行中の子供たちの公平性についてはどうお考えでしょう?

阿部:
 難しい問題ですよ。スポーツの世界でも、いいシューズを履いてないと勝負にならないみたいなの、あったじゃないですか。

──箱根駅伝でみんなナイキの厚底スニーカーを履いてる、みたいな。

阿部:
 幹事をやってるから色々な話を聞くんですけど……香落ちの定跡をコンピュータ将棋で作っている人がいるとか。

──駒落ちの定跡って、かなり古いものばかりですもんね。ソフトを使えば強い定跡も作れそうですが……そんなに意味がありますかね?

阿部:
 私は研修会幹事なので、ソフトを使って駒落ちの評価を調べたことはあります。香落ちは評価値マイナス200。桂落ちはマイナス300。でも、局面の評価を調べただけで、駒落ちの研究をソフトでしてるわけではないです。

 でも奨励会って、長い人だと10年くらいいるじゃないですか。仮にそのうちの半分の5年間を二段以下で過ごすとしたら、その期間中は香落ちを指す機会があるわけです。

──なるほど……駒落ちはそれで効率よく勝ち星を稼いで、浮いた時間を平手の勉強に回すことができれば、定跡を作る価値は十分過ぎるほどありますね。

阿部:
 平成の真ん中くらいまでは、将棋界って自分の頭一つで戦える世界でした。けど世の中の流れが変わってきて……これ、将棋連盟がどうにかできる問題じゃありませんよね。客観的に見て。

 これがCPUだけであれば、ちょっと無理すれば手が届くかもしれない。でもA100とかが出てきてしまうと……。

──プロ棋士ですら購入には躊躇しますよね。インスタンスを借りるというのが囲碁の世界では主流のようですが。

阿部:
 そもそも囲碁の棋士と違って将棋のプロ棋士がAWSを使用するのって、普通のアパートだとアンペアが足りなかったりした場合には自宅に消費電力の大きなPCを置けないので、その時ぐらいですし。それにインスタンスを借りるのにクレジットカードが必要だとしたら、未成年の奨励会員は借りられなかったりする。

 だから今回、CPUが勝ってくれたらまだ、こうした問題にも直面せずに済んだんですよ。

──今回は引き分けでしたから、ディープラーニングを導入しようと思う人も、まだ少ないんでしょうね。

阿部:
 でも勘のいい人は、10年前にわかってるわけですよ。私もCSAの会員として選手権を見続けて、こういう時代がいずれ来ることはわかっていたので。

 変な話なんですけど……将棋教室とかでよく『強くなるための方法』を聞かれたりするじゃないですか。けどそれって、その方法を公開してしまった時点で、使えなくなってしまうものなんですよ。

──みんなそれをやってしまったら、差が開かなくなる。

阿部:
 と、思うんです。だからそれは各自見つけるべきだし、それがこれからの研究なんですよ。どうやってソフトを使っていくのかを、自分で考えることが。

 パワーゲームに参戦してしまうと厳しいですよ。東京出身で、千駄ヶ谷の近くに住んでいるといった、非常に恵まれた人なら、そういうやりかたがいいと思うんです。

 永瀬さんなんかはそうだと思うんです。ひたすら最新型を勉強して、将棋に時間を投資する。それでいいんですよ。それが合理的ですから。

──しかし阿部先生のような、地方出身で、最新型を勉強するどころか将棋を指す相手にも困るような少年もいるわけじゃないですか。仮に阿部先生が今、修行時代に戻ったとしたら……現在の環境はプラスだと思われますか?

阿部:
 そこがまさに経済力の問題なんです。お金を持っていれば地方でもそんなに苦にならないんですが……お金がなくて地方だと、私の時代よりも悲惨なんですよ。

 東京都の平均年収って600万円台ですけど、山形県って300万円台なんですよね。しかも移動費がかかる。さらに私の頃は5%だった消費税が10%になっていて……挑戦する人にとって重荷になっている。

 地方からプロになるのは、私が通っていた17年くらい前より、もっとリスキーで難しい行為になっていますよね。

──そこは親の経済力次第という感じですね。

阿部:
 さらに今後は、子供の学力も必要になってくると思いますよ。英語が読めなければソフトの設定もできない。あの非常に長い設定書を理解するためには国語力も必要でしょう。

──プログラミングが棋士に必須になるとしたら、数学力も必要ですね。

阿部:
 総合的な学力が必要になってますよね。藤井二冠の時代はまだ過渡期で、そこまで求められてはいなかったと思うんですが。

 プログラミングも義務教育で必修になりましたから、いずれは自分の作ったソフトで研究する子も出てくるでしょう。谷合さんはもう作っているんでしょうが。

──dlshogiの山岡さんは、自分のソフトが人間の能力を拡張するような形で使ってもらえたら嬉しいと話しておられます。山岡さんは音程を調べるアプリも作っていて、それを使えば絶対音感がない人でも、同じように演奏や作曲ができると。dlshogiも同じように使うことはできるんでしょうか?

阿部:
 なるほど。触れてる時間が長ければ、そうなるでしょうね。

 将棋は触れている時間が長くないと、どうにもならない世界です。今回の観戦記もそうですし、定跡書とか将棋世界を読んでも強くなれる。基本的に質が低い情報がないのが今の将棋界です。

 そういう世界だと、触れている時間が長ければ長いほど強くなる。何でもいいんです。ただ自分の棋風を改造するということであれば、本を読むよりも、dlshogiに1日8時間くらい触れていた方がいい。

 間違いなく伸びると思いますよ。私がもし、地方で指す人がいなくて、インターネットとソフトだけは使えるとしたら、絶対にそれを使いますよ。

 開発者の方々が何十年も開発を続けてきたものが、無料で使えてしまうなんて、本当にすごいことですよ! 積極的に使うべきなんですよ。ただ……。

──ただ?

阿部:
 人には向き、不向きがあります。私も10年以上、指導対局をしてきましたから、人と指さないと強くなれないタイプの子供がいることは知っています。今までは、そういう子のほうが時代に合っていましたが……。

──コミュニケーション能力が高い子は、情報を集めやすかった。けれどコロナ禍で対面できない状況だと、他の才能が重要になってくるというわけですね。

阿部:
 時代によって強くなる方法が変わるのは、そういうものなんですよね。コロナが終わったらまた、変わるわけですから。

──しかし……大部分のプロ棋士は、従来通りの方法で強くなってきたわけじゃないですか。引退まであと30〜40年くらい将棋を指し続けるとして、簡単に『仕方がない』と割り切れるものなんですか?

阿部:
 私は淡々と、客観的に見ています。10年前からわかっていたことですから。私はSF漫画とかが好きで、たとえば手塚治虫の『火の鳥』の未来編とか。そんな時代が遂に来たかと。コロナによって時計の針が早く進んだ感じですね。

──まさに『評価値ディストピア』な世界が……。

阿部:
 悪いことばかりではありません。たとえば内閣府が公開している『ムーンショット型研究開発制度』の目標 によると、2050年までに人が身体・脳・空間・時間の制約から解放された社会を実現するとあります。

※内閣府 ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現

──2050年!?

阿部:
 国策通りなら、2050年までに人間の能力を拡張できるようになるので、山岡さんの願いは叶います。

 理論上、2050年の3歳児は、2021年のトップ棋士に大駒を落として勝つことが、棋力的に可能になるということです。つまり強くなりたければ長生きして、科学技術の恩恵を得ることです。

──30年後ならまだ私も生きていますね……今のうちに、3歳でタイトルを獲る将棋のラノベを書いておかないといけないかもしれません(苦笑)。しかし私なら笑い話で済みますが、実際に将棋界で戦っている棋士の先生方にとっては、こうした技術の進歩は……やはり恐怖なのでは?

阿部:
 私は地方出身で、都会の人々と比べたら圧倒的に人間と指していない。山形で長く普及に携わってこられた指導棋士の土岐田先生から教わるということはありましたが、それに依存するということはなかった。だから割り切れるということもあると思います。うん。割り切れない人もいるんでしょうね。

──プロ棋士の方々って、一般論として……開発者たちのことをどう思ってるんでしょう?

阿部:
 いや、よく思ってない人もいるんじゃないですか(笑)。

──ははは!

阿部:
 私は地方出身者で、恩恵を受けてるほうですから、そうは思いませんが(笑)。

──CSAの人って、学者先生だったり研究者だったり、肩書きがあって固いイメージがあるじゃないですか。でも電竜戦は、本当に趣味の集まりですからね。正体不明の連中に人生を振り回されている感覚が(笑)。

阿部:
 CSAの瀧澤会長には、大山康晴賞を授与して、連盟もその功績をたたえているわけですが……。

──CSAも会員が高齢化してきて、いずれ電竜戦と合併するようなことになるかもしれません。そのときは、阿部先生が連盟との架け橋に……。

阿部:
 私よりも勝又さんが適役だと思います。それに私も、単に解説を依頼されただけだったら、引き受けなかったと思うんです。

──そうなんですか?

阿部:
 はい。CPUとGPUの過渡期だし、興味深いところがあったので……そういう、何か得られるものがないと。

──プレーヤーとしてですか?

阿部:
 個人的な興味ですね。佐々木勇気さんはプレーヤーとして興味があったから参加したと思いますが。棋士も人それぞれで、コンピュータ将棋を強くなるためだけに利用している人もいれば、私みたいに興味が先に立つ人間もいますし

 それを副業にしたいという人も、もちろんいるでしょうしね(笑)。

──コンピュータ将棋開発の世界も、先細りのような感じになっていて。今回の長時間マッチは、そこを何とかしようという思惑もありました。棋士にとって、開発者がいなくなってしまうような事態は、どう思われますか?

阿部:
 そこが問題なんですよね。自分の将棋盤とか駒って、使う前に磨くじゃないですか。だから本来、ソフトだって自分たちで開発して、改良していくべきなんですよ。

 自分の使う道具なんだから、藤井二冠みたいにPCを自作することは、本来なら当たり前のことなんですよ。私はそこまでできませんが、ケースを開けてダストスプレーで綺麗にするくらいのことはしています。

 そこは常々、開発者の方々には申し訳なく思っているんです。

──さきほど、ソフトに対するアレルギーのような話がありました。それによって最も大きな影響をこうむったのは、先生のご一門だったと思うのですが……ああいうことは、今後も起こると思われますか?

阿部:
 起こりうると思いますよ。なぜならあの問題はコミュニケーション不足が原因で起こったんですよ。

──コミュニケーション不足。なるほど、確かに……。

阿部:
 昔の棋士は、対局後に記者も交えて飲みに行ったりしてたわけじゃないですか。けど今は黙食してるし、対局中はもちろん話さない。

──今後、ソフトで研究することが一般的になり、さらにコロナの影響で対局日にも話さない。棋士同士が孤立していく傾向が加速すると、また……。

阿部:
 起こりやすくなりますね。研究会が非効率的かどうかという議論はありますが、組織の運営のためには有用でしょう。情報交換にもなりますし。人と人とが対面で将棋を指すというのは、やっぱり重要なことなんですよ。

 でも、棋士が棋士に話しかけるって、何かしら警戒されてしまうところがあって……話す機会もそうそうないし。今はみんなピリピリしてますからね。会釈はしても、声を出して挨拶することはだんだん珍しくなってきました。

──戦う相手なわけですから、それはそれで正しい方向なのかもしれませんが……そうなんですね。ソフトがもたらした影響というのは、将棋だけではなく、棋士同士のコミュニケーションにまで及んでいるのですね……。

阿部:
 あと、私と渡辺名人が共演NGだと勘違いしていた視聴者がいたように、将棋ファンの方々にもご心配をおかけしてしまうことも。本人同士はなんとも思っていないのに。

 コンピュータが原因で人々が分断してはいけない。人工知能の思うつぼになる(笑)。

──コンピュータに支配される将棋界なんて、まっぴらごめんですよ!

阿部:
 でも結局は、どんな道具も使う人次第なんだと思うんです

──使う人、次第……。

阿部:
 今のiPhone以下の性能のコンピュータを使って、人類は宇宙開発をしていたんです。そんな低い性能の道具だって、工夫すれば、宇宙へ行くことすらできる。

 将棋の真理に到達するためには、高性能のマシンが必要なのかもしれない。けれど勝負に勝つためであれば、使い方を工夫しさえすれば、低スペックのマシンであってもそれは可能なはずなんですよ

 さきほど『強くなるための方法』についてお話ししましたが、今後は、ソフトを使っていかに強くなるか……その方法を独自に研究することが重要になってくるし、そこに才能が顕われるのだと思います。

 それは将棋ソフト開発の世界についても思いますね。技術的な工夫が見たい。お金で速度を競うことに才能は感じないので。

──……いや、感動しました。確かにおっしゃる通りです。

阿部:
 この点はぜひ強調しておいていただきたいです。今回は開発者の方々のお話がメインになるとは思うんですが、これだけは……。

 ま、これは私ではなく『ドラえもん』の言葉なんですけどね!

 最後の言葉を、阿部はニヤリと笑いながら口にした。
 ディープラーニング系の著しい伸長によって、大きな変革期が訪れている。今回の長時間マッチでは、それが改めて実証されたように思う。
 結果だけを見れば引き分けだったが、山岡や加納の話を聞けば、dlshogiがもっと強くなることは疑う余地がない。
 さらに今回の長時間マッチが興行的にも成功を収めたことで、新たな開発者たちが参入することも予想される。
 その影響は、プロ棋界へと波及するだろう。間違いなく。

 だが、阿部のような棋士が育成や普及の現場にいてくれるのであればきっと、人類は道具を正しく使うことができる。
 山岡が望むような形で。きっと。

(了)

第一譜『水匠』杉村達也の挑戦第二譜『dlshogi』山岡忠夫の信念第三譜『GCT』加納邦彦の自信第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測