アパレルショップに張られた閉店のお知らせ。新型コロナの感染拡大は業界に大きな影響を与えている(編集部撮影、写真は本文とは関係ありません)

収束の気配が見えない新型コロナウイルスの感染拡大。長引く外出自粛の要請で深刻な影響を受けているのが、アパレル業界だ。

ある衣料チェーンの幹部は「コロナ禍で消費者が外出しなくなり、衣料品の需要そのものが消滅してしまった」と嘆く。「今年はさすがにコロナ影響が後退するだろうとにらみ、春夏製品を多く仕込んでいたが、完全に空振りに終わった」(同)。現在はその在庫処分に追われる毎日だ。

こうした状況は衣料店だけでなく、そこに商品を仕入れるアパレルメーカーや卸にも波及する。今年5月から7月にかけて、愛知県と岐阜県のアパレル関連企業で連鎖倒産が起きた。

「駆け込み寺」の破綻が発端

5月14日、名古屋市中区に本社を構えるコイケが民事再生法を申請した。負債総額は73億円。同社は婦人服やニット製品など幅広いアパレル製品を取り扱ってきたが、コロナ禍で取引先であるカジュアル衣料店の需要が急減、資金繰りに行き詰まった。

「まさかあのコイケがつぶれるとは」。その倒産は業界で驚きを持って受け止められた。コイケはアパレル製品の企画・販売よりも、アパレル製品の輸入代行が主力の業務で、信用力のない中小アパレルの輸入代金の支払いを一時的に肩代わりすることも少なくなかった。いわば、このエリアの中小アパレルにとって、駆け込み寺のような存在だった。

同社は直近まで売上高100億円台を維持しており、「他社の借金を肩代わりするぐらいだから、資金繰りには問題ないと捉えていた」(業界関係者)。まさに”突然死”だった。

「駆け込み寺」の倒産の影響は大きかった。7月までに名古屋と岐阜に本社のあるアパレル関連企業が4社倒産。いずれもコイケとの取引があり、連鎖倒産とみられている。倒産に名を連ねたのは小さいアパレル企業だけでなく、業界では有数の小売りチェーンと取引実績がある企業も含まれていた。岐阜県羽島郡に本社を置くガゼールだ。

同社は1948年創業のアパレルメーカー。岐阜地域のメーカーでは珍しく、レディースは扱わずメンズカジュアルに特化して商品企画を行ってきた。信用調査会社によると1992年度には売上高90億円を超えていたが、その後減少傾向が続き、直近の売上高は20億円強にとどまっていたという。

ガゼールはしまむらやライトオン、ジーンズメイトなど低価格カジュアルチェーンが主販路で、量販店向けに広くプライベートブランドも手掛けていた。商品提案力には定評があり、「流行に流されない、存在感のある製品を作るのに長けていた」(業界関係者)。しかし、コロナ禍での衣料離れによる売り上げ減少が直撃、6月29日に民事再生法の適用を申請した。

コイケは、アパレル製品を中心に扱う岐阜県の物流会社がスポンサーに名乗りを上げ、7月に再生計画が裁判所に認可された。他方、ガゼールはいまだスポンサーが決まらないままだ。「2社程度のスポンサー候補がいるが、いずれも異業種と聞いている」(業界関係者)。スポンサーが決まらないまま、破産手続きへの移行を余儀なくされる可能性も少なくない。

栄枯盛衰の「名岐アパレル」

あまりイメージはないかもしれないが、愛知県と岐阜県は歴史的なアパレル関連企業の集積地だ。愛知県は毛織物由来のメーカーのほか、繊維商社も多い。岐阜県には商業の街・岐阜市を中心に戦後アパレル卸が集積、ダイエーやイトーヨーカ堂など総合スーパー(GMS)向けに急成長した。

業界では名古屋と岐阜の頭文字をとって「名岐アパレル」と呼ばれる。かつて展示会が開かれるシーズンには、多数の小売り関係者が泊まり込みで集まり、2〜3日かけて「名岐アパレル詣で」が行われたという。

名岐アパレル、特に岐阜のアパレルの特徴は、GMSなど量販店向けに大量の製品を手掛けるものの、自社の名前はほとんど表に出ない「黒子役」だったことだ。多くの消費者は、一度は名岐アパレルの製品を手に取ったことがあるはずだ。だが、その製品を製造した会社の存在は、ほとんど意識されなかったといえるだろう。

そんな名岐アパレルは、かつても危機的状況に陥ったことがある。1990年代に起きた、GMS各社の経営危機だ。そのあおりを受け、名岐アパレルの多くが淘汰された。

荒波を乗り越えた企業は、GMSに代わって台頭した低価格衣料チェーンや紳士服チェーンとの取引を増やした。その後は、市場が縮小する中でも、各社は自社の取引先との取り組みを強化、棲み分けるようにして生き残ってきた。

しかし、そうして何とか生き残ってきた名岐アパレルを、新型コロナが一気に追い詰めた。名岐アパレルには、ガゼールのようにピーク比で大幅に売り上げを落としていた企業は少なくなく、新型コロナが構造的な問題をあぶり出したともいえる。業界関係者は「名古屋のアパレルは商社機能が中心で、資金力もある企業が多い。だが、岐阜のアパレルはどこも厳しいのではないか」と指摘する。

そんなギリギリの状況下でも、岐阜のアパレルで存在感を見せる企業がある。1949年に岐阜県で創業した、カジュアルファッションメーカーの「水甚」だ。アメリカのスポーツブランド「ファーストダウン」や、2020年10月には倒産したレナウンが手放した「アーノルドパーマー」の販売権を取得するなど、日本国内で海外ブランドの商品を製造・販売するブランドビジネスを積極展開する。

ダウンジャケットが主力の「ファーストダウン」は1997年から取り扱いを始め、主にGMS向けに展開してきた。だが、今から3年前、あるセレクトショップが同ブランドを紹介。それが大きな転機となり、セレクトショップでの取り扱いが増えた。GMS向けは5000円台が主流だが、いまやセレクトショップ向けは3万円台を中心に展開する。

「買ってもらえる自信があった」

こんな”大変身”が可能となったのも、商品力があるからだ。そもそも縫製工場から始まった水甚は、工場でのものづくりに重点を置いてきた。現在も中国とミャンマーに合弁工場をもつ。

商社を通さずに、資材調達から企画、製造まですべて自前で行えるのも強みだ。ダウン原料の取扱量は「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングに続いて国内で2番目。ダウンジャケットとしてはそれほど高価ではないのに、軽くて包み込まれるような着心地が人気になった。同社の中村好成社長は「袖を通せば、買ってもらえる自信があった。ものづくりの背景があればこその転換だった」と振り返る。

コロナ禍の昨年も、ファーストダウンは前年の売り上げを確保した。ダウンブームが落ち着いた面はあるが、今後も拡大の余地があるとみる。2019年にはブランドの発祥地であるアメリカで展示会も行っており、今後は海外市場を視野に入れ、アメリカや中国、韓国での展開を目指す。

「百貨店に比べて量販店は品質や価格に厳しい。その中でうちは生き残ってきたし、そこに自信をもっている」(中村社長)。昨年の「アーノルドパーマー」の販売権取得も、自ら店舗を持ち、消費者との接点を直接持つため。新しいブランドとの契約には、当たり外れや自社で在庫を抱えるなどのリスクもつきまとうが、そこに迷いはまったくなかったという。「いまは大きなチャンスでしょ」。中村社長はそう言って笑う。

新型コロナ感染の長期化で、アパレル企業を取り巻く環境は一段と厳しさを増している。そんな逆風下、自ら動かなければ、生き残りの可能性は閉ざされてしまう。今こそ、チャレンジが必要な時だ。