企業は経営が安定したらしたでコスト削減の自助努力を怠りがちになります(東洋経済オンライン編集部撮影)

今一流の企業でも、大きな危機に直面し、それを乗り越えてきた過去がある。日米20社の「危機の乗り越え方」事例を分析した新著『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』を上梓した杉浦泰氏が全3回で3社のケースを読み解きます。

第2回は「カルビー」編。主力商品である「ポテトチップス」の国内のシェアは70%(2019年時点)、売上高営業利益率も10%を超えるなど、日本の食品メーカーとしては非常に高い水準にあります。しかし、少しさかのぼった2009年時点のカルビーは、シェアこそ高いものの売上高営業利益率は3.2%にすぎませんでした。

カルビーはどのようにして「競争力はあるが、儲からない会社」から、「競争力があって、儲かる会社」に転身したのか? そのV字回復から学ぶべき教訓とは? 危機突破の本質を探ります。(本稿は杉浦泰著『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』の一部を抜粋・再編集したものです。参考文献は本書に掲載)

カルビーが圧倒的なシェアを握った理由

カルビーの歴史は、終戦直後の1949年に松尾孝氏が「水あめ」や「キャラメル」などのお菓子を広島で販売したことに始まります。当初は、ローカルな中小企業にすぎませんでしたが、1960年代の「かっぱえびせん」、1970年代の「ポテトチップス」というロングセラーを生み出したことで、日本を代表するスナック菓子メーカーへと発展しました。

1980年代までのカルビーは日本の人口増加とともに、売上高を拡大します。カルビーは「かっぱえびせん」や「ポテトチップス」といった大型製品で圧倒的なシェアを維持していました。この頃のカルビーのポテトチップスの国内シェアは推定75%という驚異的な水準で、日本国内の人口増加とともにポテトチップスの販売数量も拡大していったのです。いわば、ポテトチップスという急成長市場で、圧倒的な成果を出しました。

1980年代までのカルビーが、ここまで圧倒的なシェアを握れた理由は、ロジスティクスにおける戦略の巧みさです。当時、ポテトチップスにとって「鮮度」が命で、ジャガイモを加工してポテトチップスとなった商品は、すぐに袋詰めされ、すぐに消費者の口に入らなければ、ポテトチップスの酸化によって品質が低下するという問題を抱えていたのです。カルビーも、ポテトチップスに参入したばかりの頃は「品質がイマイチ」と悪い評判がつきまとっていました。それほどに、ポテトチップスでは「鮮度」が重要だったのです。

ポテトチップスの鮮度という問題を克服するためにカルビーが繰り出したのが、北は北海道の千歳、南は九州の鹿児島に至る、全国を縦断する工場群でした。日本の消費者に「新鮮なポテトチップス」を供給するための工場を新設することで、ロジスティクスの面でカルビーはポテトチップス業界の競争で優位に立ちます。

競合他社がポテトチップスに参入しようとしても、カルビーのような莫大な設備投資を行うことは難しく、結果としてポテトチップスではカルビーの独壇場となったのです。

ところが、ポテトチップスのシェア75%という快挙を成し遂げたカルビーは、1990年代以降にジワジワとシェアを低下させ、2010年前後には国内シェア60%を割り込んでしまいました。2009年3月期のカルビーの業績は、売上高営業利益率3.2%という水準に低迷します。一体、かつての急成長企業・カルビーに何が起こっていたのでしょうか?

「過去の強み」が逆に低収益体質へと陥らせた

1990年代を通じてカルビーに襲い掛かったのは、食品包装パッケージの技術革新と、国内の人口減少でした。

1980年代に食品包装である重要な技術革新が起きます。それは、最先端の包装技術を駆使することによって、ポテトチップスの酸化による劣化を防ぐことが可能になったからです。つまり、従来は「ポテトチップスの劣化」という問題が存在し、カルビーは「設備投資」によってこの問題を克服することで圧倒的なシェアを握る原動力になっていましたが、このシナリオが崩れることを意味しました。

このため、カルビーが全国津々浦々に設けた製造物流拠点は、ポテトチップス業界での競争において、その重要性が低下してしまいました。つまり、カルビーにとって競争優位の源泉であった強みが、強みではなくなってしまったのです。

加えて追い討ちをかけるように、カルビーに国内の人口減少という変化が襲い掛かります。人口減少というトレンドの中では、たとえトップシェアを同じ水準で維持していたとしても、売上高は減少してしまいます。

カルビーにとっての不幸は、かつて、ポテトチップスの鮮度を維持するために全国に分散配置した製造物流拠点が、逆に、重い固定費になってしまったことです。人口が増加する前提で全国に配置された工場は、人口が減少する中では「不要不急」な存在となり、カルビーは重たい固定費に悩む会社へと変化してしまったのです。

ところが、カルビーの社内には危機感は薄く、抜本的な解決策はとられないままでした。1990年代から2000年代にかけてのカルビーは、ポテトチップスではシェアトップを確保するものの、収益性の改善が先送りされました。当時のカルビーは非上場企業だったという事情もありますが、解決策が講じられないまま時間が経過し、シェアトップにも関わらず低い利益率という、不思議な会社になってしまいました。

この結果、カルビーは、かつての強みであった「全国に分散配置された製造物流拠点」が、逆に弱みになってしまい、危機的な状況に陥ります。2009年3月期の売上高営業利益率3.2%という低い水準も、工場の稼働率が低すぎることが根本的な要因でした。

数値経営に徹することで、戦略シナリオを再構築

そんなカルビーに代表取締役会長兼CEOとして迎えられたのが、医療機器メーカー・ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人の社長であった松本晃氏です。

松本会長がカルビーの改革に着手した時点で、カルビーは粗利率が低いという問題を抱えていました。

ポテトチップス2社の2009年時点でのコスト構造を比較すると、カルビーは粗利率が35.1%であるのに対し、湖池屋の粗利率は42.4%。カルビーの粗利率35.1%は食品の一般的な上場企業の水準と比べても「劣った水準」であり、早急な対処が必要でした。

そこで、松本会長が取り組んだのは、粗利率を改善するために工場稼働率を上げることでした。当時のカルビーの工場稼働率は低い水準にとどまっており、これがカルビーの粗利率を低下させる大きな要因だったため、松本会長は「工場稼働率の向上」に取り組みます。

その上で、稼働率をあげたことで増産されたポテトチップスの売れ行きを伸ばすために、カルビーはポテトチップスの値下げを決断します。この結果、カルビーはポテトチップスでのシェアを湖池屋などの同業他社から奪うことに成功しました。

この間のカルビーの具体的な打ち手は、拙著『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』で詳しく解説していますが、カルビーは松本会長による「数値経営」によって、カルビーの経営再建を推し進めます。

この結果、カルビーは営業利益率を大きく改善し、2015年3月期には売上高2221億円、売上高営業利益率10.9%を記録。大手食品メーカーとしてグローバル優良企業の水準である10%超えを達成しました。特に、粗利率の改善成果は顕著で、2009年3月期の35.1%から、6年後の2015年3月期には43.9%を達成し、約9%ものコスト改善に成功したのです。

シェアトップだからこそ必要な危機感

カルビーのケースは、市場が横ばいになる「成熟期」において、すでに高シェア商品を持つ企業が組織の危機を突破する際の典型的な例といえます。

ITなどの変化の激しい業界とは違い、食品業界などでは、顧客の嗜好が急激に変わることは滅多にありません。そのため、最初に「ロングセラー」を生み出した大手食品メーカーが、その後も優位性を構築することが多いのです。結果として、一度獲得したシェアが崩れることは滅多になく、企業としては「高シェア商品」という盤石な基盤によって、経営は安定します。

このような状況下で起こりがちなのが、企業の慢心の結果として生じる固定費の増加です。


まず、経営が安定していると、多くの企業はコスト削減という自助努力を怠りがちになります。長期的に高いシェアを持続していれば、社内にはいつしか「この状態がいつまでも続く」という慢心が生まれ、工場や本社などに「投資対効果」に見合わないお金が注ぎ込まれてしまうのです。

では、「高コスト体質」に陥らないためにはどうしたらよいでしょうか。

それはひとえに、長期的に高いシェアを確保する商品を持っていたとしても、そこに安住しないことに尽きます。固定費の中には、事業の利益に直結しないものが多くあります。それを削ぎ落とすという基本動作を、愚直に繰り返すことが欠かせないのです。