J復帰は都落ちか? 苦戦中の海外組が見習える先人の「出戻り」成功例
かつては特別だった海外移籍が、すでに当たり前のものになって久しい。
今夏も、FC東京の橋本拳人がロストフ(ロシア)へ、横浜F・マリノスの遠藤渓太がウニオン・ベルリン(ドイツ)へ、シーズン途中にして移籍を決めた。優勝を狙うJクラブにとっては手痛い戦力流出だが、こうした自体ももはや驚くことではない。
加えて、近年では海外移籍の低年齢化が進み、Jリーグでの活躍をステップに海を渡る、という"段取り"すら踏まない選手も増えている。
とはいえ、海を渡るすべての選手が成功を手にできるわけではない。海外組増加の一方で、思ったような出場機会を得られず、悶々とした日々を送る選手も少なくない。
武藤嘉紀(ニューカッスル/イングランド)、堂安律(PSV/オランダ)、中島翔哉(ポルト/ポルトガル)など、日本代表での実績がある選手でさえも、厳しい現実を突きつけられている。
もちろん、少々の挫折を味わおうと、それもまた成長の糧ではある。気が済むまで、海外に身を置き続けるのもひとつの選択だろう。
しかし、国を越えて移籍することがこれだけ一般化したのである。ならば同時に、海外組のJリーグ復帰を"都落ち"と見なしたりせず、もっと当たり前に受け入れられていいのではないだろうか。
実際、過去の歴史を振り返れば、海外移籍を経験した選手が、Jリーグ復帰後に目覚しい活躍を見せた例は少なくない。
海外を経験してJに復帰したあと、ひと回りスケールが大きくなった名波浩(写真右)
たとえば、名波浩。
ジュビロ磐田の黄金期を支えた左利きのプレーメイカーは、1999年夏にイタリア・セリエAのベネチアへ移籍した。
在籍は1シーズンのみ。リーグ戦出場は24試合と悪くない数字を残したが、出場時間が短い試合も多く、このイタリア挑戦は必ずしも成功裏に終わったとは言い難い。
しかし、イタリアで辛苦を味わった名波は、自身の特長を発揮しながらも、周囲の選手を自在に操るプレーに磨きをかけていた。
復帰した磐田では、2002年のJ1完全優勝(2ステージ制覇)をはじめ、多くのタイトル獲得に貢献。日本代表でも、優勝した2000年アジアカップでは出色の働きを見せ、大会MVPに選ばれている。
当時のフィリップ・トルシエ日本代表監督からは、1999年コパ・アメリカで惨敗を喫した際には「一生リーダーになれない」と酷評されたにもかかわらず、2002年日韓共催ワールドカップでは、右膝のケガを抱えていながらメンバー入りの可能性が探られるなど、絶大な信頼を寄せられるまでになっていた。
あるいは、小笠原満男。
鹿島アントラーズでは2000年の三冠達成に貢献するなど、チームの大黒柱でもあったボランチは、2006年夏にイタリア・セリエAのメッシーナへ移籍。名波同様、在籍したのは1シーズンのみでリーグ戦出場はわずか6試合と、名波以上に成功したとは言い難い。
しかし、鹿島復帰後は、攻守に力強さが増したプレーぶりだけでなく、卓越したリーダーシップも発揮。クラブ通算20冠目となるAFCチャンピオンズリーグ初制覇(2018年)を置き土産に39歳で引退するまで、常勝軍団を引っ張り続けた。
海外移籍を経験した彼らふたりに共通するのは、リーダーシップ。周囲の力を引き出す術が卓越していたという点である。選手として、だけでなく、人間としてひと回り大きくなって帰ってきた、と言えばいいだろうか。
もともと技術に優れ、選手としての能力は高かった。だが、日本に戻った彼らに見られた変化は、技術的なことよりも、むしろ精神的なことだった。だからこそ、彼らは周囲にも好影響をもたらすことができ、再び彼らを迎えたチームは強かったのである。
当然、20歳前後で日本を離れた選手と彼らでは、同じ海外移籍をするにしても事情は異なる。
名波と小笠原はいずれも27歳になる年にイタリアへ渡っており、Jリーグにいた時点で、彼らはすでにリーダーと呼ばれる立場の選手だった。仮に20歳の選手が海外で1年だけプレーして日本に戻っても、彼らと同じ役割を求められることはないかもしれない。
だが、海外で経験してきたことを自身のプレーに生かし、チームに還元するということに関しては、何ら違いはないだろう。ふたりの他にも、大久保嘉人、阿部勇樹、槙野智章など、先人を参考にできる点は大いにある。
サッカー選手として、よりレベルが高い舞台で活躍できるか否かは、もちろん重要な問題だ。野心を持って海を渡るとき、気持ちのうえでは片道切符だけを握りしめている状態なのかもしれない。
しかし、そこには選手としての単純な能力だけでなく、適性や相性も間違いなく影響してくる。身もふたもないことを言えば、運もまた成功のためには不可欠な要素なのだ。
実際、世界的な名選手であろうとも、ある国のリーグでは成功したが、別の国のリーグに移ったらまったく活躍できなかった。あるいは、同じクラブにいても、監督が変わったらまったく試合に出られなくなった、などという話は珍しいものではない。
ましてプロとしての選手寿命は、それほど長いものではない。たとえ1、2年であろうとも、貴重な時間をほとんど試合にも出られずに過ごすとしたら、あまりにもったいない話だ。海外で成功しなければならないという使命感が強くなりすぎれば、成長の妨げになりかねない。
だからこそ、ときには割り切りや柔軟性も大切だ。
重要なのは、自分に合ったクラブ、自分を必要としてくれるクラブでプレーすること。海外で成功するか否かではない、ということだ。
海外と日本とを特別に分けて考えるのではなく、当たり前に互いを行き来する。そうなることが選手の成長につながり、ひいては、Jリーグの活性化にもつながるのではないだろうか。