新型コロナウイルスの感染拡大で、マスクや紙類が不足している。転売サイトなどを避けて定価で購入するには、開店前の行列に並ばなければいけない。米国発の経済学書『不道徳な経済学 転売屋は社会に役立つ』(早川書房)を翻訳した作家の橘玲氏は「価格の引き上げを認めれば、このバカげた行列はすぐになくすことができる」という――。
写真=AFP/時事通信フォト
マスクを買うために並んでいる人たち=2020年3月4日(韓国・ソウル) - 写真=AFP/時事通信フォト

■SNSで拡張される「不安と同調のフィードバック」

世の中には一定数の「強い不安を感じるひと(日本人は生得的に多いとされる)」がいて、このひとたちはなにかしないと不安を抑えられないので、SNSで訴えたり、マスクやトイレットペーパーを買い占めたり、目の前にある機会に飛びついて積極的かつ衝動的に行動します。

やはり世の中には「同調圧力に弱いひと」が、こちらはかなりの割合いて(やはり日本人は生得的に多いとされる)、「不安感が強いひと」に引きずられて同じ行動をします。この同調性は、「群れる」ことがもっとも効果的な生存戦略だったことから進化論的に説明できます。

こうして多くのひとが同調するようになると、冷静で知的なひとも、自分も同調しないと不利になると合理的に判断して大衆に追随するようになります。これが「全体主義(ファシズム)の起源」です。これは社会心理学の基本ですが、感染症はこの構図を誰でもわかるように可視化します。SNSにはこうした「不安と同調のフィードバック」を拡張する機能があるので、より対処を難しくしています。

■人は想定外の状況で合理的に行動できない

トイレットペーパーは感染防止に役に立たないので買い占めてもなんの役にも立ちませんが、「不安なひと」問題で難しいのは、ほんとうの極限状況ではこの戦略が正しいことです。

たとえばシリア内戦では、真っ先に国外に脱出してヨーロッパに向かった「不安なひと」がもっとも生存確率が高かったでしょう。ナチス台頭のときのユダヤ人も同じで、ホロコーストを逃れたのはドイツに留まった楽観主義者ではなく、アメリカに脱出した悲観主義者でした。進化論的には、これが社会に「不安なひと」が一定数いる理由です。

「不安なひと」は、主観的には生存の危機(このままでは死んでしまう)にあるので、生き延びるためにどんなことでもします。当然、他人のことなど気にしません。

リベラルの理念は「社会を変えれば人間性も変わる」ですが、これは幻想で、社会がリベラル化するのはゆたかで平和で自由な世の中になったからです。ちょっと圧力がかかると、たちまち人間性のグロテスクな面が表に出てきます。

私は一貫して、「ヒトが理性的な存在だとする前提は幻想だ」と述べてきましたが、そのことがいま世界規模で証明されつつあります。古典派経済学が想定する「合理的経済人」は、平時であれば人間の行動をある程度近似できますが、ブラックスワン(想定外の状況)ではなんの役にも立ちません。

フラクタル理論のベノワ・マンデルブロと、そのエバンジェリスト(伝道者)であるナシム・ニコラス・タレブがこのことを強調しましたが、リーマンショックや3.11に続いて、その正しさが証明されました。それなりに理性的に行動できるひともおそらくは2割程度いるでしょうが、「愚者の暴動」に巻き込まれるとなす術がありません。

■定価販売という「差別」

マスクの高額転売が禁止されましたが、ドラッグストアの行列に「自粛」をお願いするだけではなんの効果もありません。朝6時から行列できる「ヒマなひと」が、すべてのマスクを買い占めて自宅の部屋に積み上げるだけです。

買い占め行為に対して「ほんとうに必要としているひとがいる」との道徳的批判はまったく効果がありません。ドラッグストアの長蛇の行列に並ぶひとは、「ほんとうに必要としている」と思っているのですから。

「貧乏人はどうなるんだ」と定価販売を主張するひとは、それがドラッグストアに行列できるヒマなひとを不当に優遇し、働いている、子育てや介護をしている、病気で外出できない、などの事情がある「ヒマのないひと」を徹底して差別していることを理解しません。

買い占めは膨大な需要に対して供給が限られ、なおかつ定価販売することで発生します。これに対するもっとも効果的な対応は受給が均衡するまで価格を引き上げることです。

供給に対して需要がとてつもなく多い時に定価販売を強制すると、「将来、希少になる(値上がりする)ものが格安に手に入る」と考えて、(それなりに)合理的なひとたちが殺到するのは当然です。こうした事態を避けるにはダイナミックプライシングを導入し、ティッシュペーパーを1箱1000円とか2000円に値上げしたうえで、メディアが「これはデマです」と報じれば異常な行動は止まるでしょう。

■値上げは「不道徳」なのか

転売を「不正」と考えるなら、小売り価格を値上げしたうえで、値上げによって生じた利益は税で回収して、「愚か者への税金」にすればいいでしょう。これで買い占めは止まるし、転売業者も消滅します。これがウォルター・ブロックが『不道徳な経済学』で展開する論理で、転売が「不道徳」になるのは市場を規制するからです。

ウォルター ブロック(著),橘 玲(翻訳)『不道徳な経済学 転売屋は社会に役立つ』(早川書房)

マスクや消毒液などは医療機関など必要なところに優先的に配給すべきかもしれませんが、トイレットペーパー、ティッシュ、キッチンペーパー(!)は感染防止になんの役にも立たない(※)のだから、さっさと値上げして、このバカげた行列を終わらせるべきです。

そんなことをしたら、「行列できるけどお金がないひとが差別される」との反論があるかもしれません。それならタイムセールのように、既定の量を先着順で販売し、そのあとは受給に合わせた市場価格にすればいいでしょう。これなら「行列できるひと」と「お金のあるひと」が必要なものを入手できます。「行列もできないしお金もないひとはどうするんだ?」との意見もあるでしょうが、そのひとは値上げしてもしなくても入手できないのですから同じことです。

こうした手法を「不道徳」と考えるひともいるかもしれません。転売を道徳的に非難し、値上げもいっさい認めないというのなら、ほかにどういう実効性のある方法があるのか具体策を提示すべきです。政府や行政を批判するだけならネットでじゅうぶんです。

※家庭用品としての使用を前提とした場合

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橘 玲(たちばな・あきら)
作家
『マネーロンダリング』などの国際金融小説のほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など、金融・人生設計に関する著書多数。近著に『上級国民/下級国民』。
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(作家 橘 玲)