若者たちの間で「モチベーション」という言葉は死語になりつつあるようです(写真:metamorworks/PIXTA)

「なかなかモチベーションが上がらなくて……」

そう答える34歳の営業パーソンに対して、私はどうしようもない時代錯誤を感じた。私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントで、彼の会社と戦略を練るセッションの最中だった。

34歳の営業パーソンにとって、新規開拓で6000万円の売り上げをつくることが、その年の目標であった。そのための戦略、行動計画はすでに本人と一緒に作りあげていた。なのに、その計画どおりに行動しなかった。不測の事態があったわけでもない。

そこで、上司の課長から「どうしたんだ」と問い詰められたので、彼は「なかなかモチベーションが上がらなくて」と答えた。さすがに上司も、ほかの部課長も、そして彼の後輩の若い営業2人も、呆気にとられていた。

セッション終了後、自動販売機の前で缶コーヒーを飲みながら、2人の若者たちと意見交換をした。私は彼らに「モチベーションって言葉、今も使うのかな」と問いかけると、「使います」と、すぐさま返ってきた。

しかし、そのうちの1人はこの言葉を足すのを忘れなかった。「やるべきことをやるのと、モチベーションは関係がないです」。そのとき、私はとくに若い世代から「モチベーション」という言葉を聞かなくなってきた、とふと考え始めた。

モチベーション」は01年以降に登場

そもそも「モチベーション」という言葉が頻繁に日本のメディアで取り沙汰されるようになったのは、2001年以降だ。私が年間150回以上のセミナーや講演をするようになった2005年以降でも、アンケートに書かれる「組織の課題」では、圧倒的に「どうすれば社員のモチベーションを上げられるか」が多かった。

ただし東日本大震災の直後はその流れも沈静化した。モチベーションなど、どうでもよく「できることをやろう」と励まし合った時期でもあったからだ。しかし、しばらくしてまた「モチベーション」という言葉がアンケートに書かれ始めたのである。

そもそもモチベーションという言葉を使う人ほど、言葉の意味を正しく理解していない。どういうときに使うことがふさわしいのか、わからずに「ノリ」で口にしている人が大半だ。

同様に多くの人が「うざい」と感じるカタカナ用語はほかにも多数ある。その筆頭が「エビデンス」だ。あまり意味もわからずに使っている人を見ると、誰もが「イタい」と思ってしまう。「モチベーション」もそういう言葉の1つになりつつあるのだ。

私は15年以上にわたり合計1万人以上の経営者や管理者たちに、「モチベーション」の定義について語ってきた。自著にも繰り返し「モチベーションとは当たり前のことを、当たり前にやり、それ以上の行動するために必要な心の動き、意欲、動機づけ」であるということを記してきた。

この言葉の定義に異論を唱える人など当然いなかった。その人にとって仕事上、「朝9時に出勤する」「お客様と約束した時間に訪問する」などといった事柄が、もし「当たり前」になっているのであれば、モチベーションは関係ない。毎日歯を磨くように、何の葛藤もなくやることだろう。このように、毎日の生活や仕事の中で「当たり前」だと認識していることは、モチベーションに左右されないのだ。

若者にとって「モチベーション」は死語

前出の若手2人とこんな話もした。「モチベーションが上がらないから、なかなか行動に移せないという言い訳には慣れているのだけど」。こう私が言うと、「自分で約束したのに、なかなか行動できないことってありますよ。でもモチベーションという言葉は使わないかな」との答えが返ってきた。

自分で決めたことなのに、上司と約束したことなのに、なかなかその通りにできないことは誰だってある。ただ今時「モチベーション」という表現を使ってその言い訳はしない。若者にとって「モチベーション」は、「写メ」とか「ハナキン」と同じようなビジネス死語になりつつあるということなのだろう。

繰り返すが当たり前のことであっても、なかなか行動できないときはある。ただし「モチベーション」の意味を正しくとらえられないと、感謝の気持ちがなくなっていく。「当たり前」の反意語は「ありがたい」である。モチベーションばかりを口にしている人は、謙虚さがなくなっていく。「他責」の癖が抜けないのだ。

平成は確かに「モチベーション」が経営における重要課題だった。いまだに、「社員のモチベーションをどう上げていくか」を、経営課題に上げる企業もある。だが、そういう言葉を口にする人は、古い世代の人たちで、もう感度が鈍っていると言っていい。

ミレニアル世代や、さらにその下の世代は、デジタルネイティブで、物欲に乏しいという特徴がある。SNSによる情報発信や情報共有を活発に行い、社会問題への関心が高い。現在の30〜40代と比べ、10〜20代は、あまり「自分視点」で物事を考えない。「自分視点」より「他者視点」を持っているからだ。

若者たちは、自分がどうしたいかではなく、所属するチームがどうしたいのか、今の社会はなにを求めているのかを意識している。「君はなにをやりたいのか?」と質問する上司に対し、「部長はどうしたいのですか?」と聞きたい世代なのだ。部長や社長が目指したい先(ゴール)があり、それに共感するならついていく。

令和は「エンゲージメント」の時代

自分は何をやりたいのかと自問自答を繰り返し、迷い続けた平成の時代は終わった。令和の時代になって「モチベーション」は、別の言葉に取って代わられた印象がある。その言葉とは、「エンゲージメント」だ。この言葉には、絆や愛着心という意味がある。

昨年のラグビーワールドカップ(W杯)が、最高にわかりやすい例だ。自分のためではなく、どんなに傷ついても立ち上がり、仲間のために汗をかくラガーたち。私たちは、彼らが目指すゴールに強く共感した。声を張り上げて応援した。私たちが関心を向けたのは、自分がなにをしたいかではなく、彼らがなにをしたいのか、であったのだ。2019年の流行語大賞が、見事に「ONE TEAM(ワンチーム)」になったのは、当然だろう。

これからの企業は、社会視点のゴールを明確に決めるべきだ。そして、そのゴール実現を一緒に目指してくれる仲間(人手などと表現しないほうがいい)を採用し、共に進むべきだ。

たとえ傷ついても、前に進むのだ。そうすれば組織エンゲージメントは、確実に高まるだろう。令和の時代に、まだ「モチベーション」などと口にし、自分の内側に「動機づけ」を探している人の末路は、もうわかるはずだ。もっと視座を高め、目線を社会に向けるべき時代がやってきた。