モバイルライターとしての2020年の抱負をまとめてみた!

新年あけましておめでとうございます。みなさま、お正月はのんびりできましたでしょうか。筆者は大晦日にTwitterへ書き込んだ何気ないツイートが軽くバズり、その拡散の様子と人々の反応を興味深く見守りながら正月を過ごしました。

バズったツイートは某氏がツイートした日本におけるiPhone 3G発売日のニュースについて当時を思い出して引用RTしたものでした。iPhone 3G発売当時、みなさんはiPhoneにどの程度関心を持っていたでしょうか。かく言う筆者も実はあまり興味がなく、「iPhoneねぇ……あれって凄いの?」と、モバイルギークの友人に尋ねる程度だったのを覚えています。

しかし、その曖昧な認識はiPhoneに触れた瞬間に一変します。本当に、携帯電話のみならずモバイルガジェットに対する何もかもの認識が変わってしまった瞬間でした。そして、その自身の興奮度と世間やメーカー、通信キャリアなどの反応との温度差に「早くみんなも気がつくんだ!」とばかりに、自身のブログやニュースサイトへの寄稿で、事あるごとにiPhoneの凄さと日本の危機について書き続けていました。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はiPhone 3Gの国内販売開始から現在までのモバイル業界の変遷を振り返りつつ、2020年への期待と抱負などを書き留めたいと思います。


件のツイート。そこに付けられたリプライを読み、人々なりに何かを感じ取ってもらえていたことを嬉しく思う


■遥か「未来」を進んでいたiPhone 3G
まずは、筆者とiPhone 3Gの邂逅についてお話ししましょう。

iPhone 3Gが発売されたのは2008年7月。北米や欧州、オーストラリアなど世界22地域で同時発売され、日本でもソフトバンクから発売されました。前身となる初代iPhoneは世界で600万台を売り上げたとされており、iPhone 3Gは鳴り物入りでの登場でした。

とは言え、冒頭でも書いたように筆者はiPhoneに当初ほとんど関心を示していませんでした。日本での発売後もとくに注目することなく半年ほどが過ぎ、12月に入ってモバイルギークの友人たちと忘年会を兼ねた夕食を楽しんでいた時のことです。

「あるかでぃあさん(当時の筆者のPN)もiPhone買っちゃいなよ」

そう言われて唐突にiPhoneを見せられ、こちらが何も言わないうちに、画面を見せながら指先でスルスルとホーム画面をスワイプしたり、ウェブサイトを開いてスクロールやピンチ操作をしてみせたのです。

当時はまだモバイルライターとして本格的に仕事をしていたわけでもなく、単なるモバイルガジェット好きが副業的に端末のレビューを書いていた程度だったため、店頭などでiPhoneを触ることすらしていませんでした。しかし、その友人が見せてくれたほんの数十秒のデモンストレーションだけでも、自分の中の「ケータイ」への価値観が音を立ててひっくり返るほどの衝撃だったのです。


モバイルギークたちとの飲み会の様子(画像は2009年の忘年会)。左が筆者。最新の機種やお気に入りの端末を持ち寄ってはモバイル談義に花を咲かせていた


「なんだこれ!?ぺろんぺろんだ!」
「そうだよあるかでぃあさん!ぺろんぺろんだよ!You!買っちゃいなYO!」

場の勢いがあったとは言え、指でぺろんぺろんとめくるように操作するだけでヌルヌルと動くiPhoneのUIから受けた衝撃は、今の時代では語り尽くせないでしょう。

それまでの携帯電話のUIと言えば、ボタンを押してパッと画面が切り替わるだけの「静的」なUIであり、ホーム画面がなめらかにページ遷移する、というだけでも驚くべき動作だったからです。

何より、「画面を指先でタップ&スワイプして操作する」という「作法」と、静電式タッチパネルの精度に度肝を抜かされました。それまでタッチパネルと言えばスタイラスなどで操作する「感圧式」が主流であり、指で操作する静電式タッチパネルは接地面積の大きさから感知精度が悪く、UI操作には向かないというのが一般的だったからです。

しかしiPhoneのタッチパネルは「どうしてこれでちゃんと認識されるんだ」と不思議に思うほどに精度が高く、ほぼタッチミスをしませんでした。わずか3.5インチという小さな画面にもかかわらず(それでも当時のフィーチャーフォンよりは遥かに大きな画面だったが)、QWERTYキーボードすら問題なく打てたのです。それはそれまでの静電式タッチパネルへの一般的な認識を完全に覆すものでした。

あまりの衝撃に、興奮しすぎてiPhoneを触る指先が震えていたのを覚えています。そしてその脳天を雷で打たれたような感覚のまま、次の日にはソフトバンクショップに行ってiPhoneを契約していたのです。


衝動買いしたiPhone 3G。ここから11年、毎年iPhoneを買い替え続けることになる


タッチパネルの尋常ならざる精度、タッチ操作に特化したUI、PC向けサイトも見られる「スマートフォン」(スマホ)なのに多機能性ではなくシンプルさにこだわった使い心地、そしてiTunes Storeというアプリマーケット(プラットフォーム)の完成度。黒い板のようなパッケージに包まれていたものは完全に「未来」でした。それまで日本の携帯電話技術が世界一であると信じて疑わなかった筆者にとって、それは「黒船」だったのです。

そして同時に、強い脅威と危機感も覚えました。日本人には発想すら追いつかなかった代物がすでに全世界で発売されていて、しかももう2代目になっている。初めて触った人間ですら5分で使い方を理解できるほど簡単なiPhoneが流行らないわけがない。このままでは完全に日本が孤立する……。

当時、日本の携帯電話技術は独自の進化によって先鋭化しており、「ガラパゴスケータイ」(ガラケー)などと呼ばれるほどでした。それまではその進化を「世界をリードする先端技術」だと思っていたのに、実は「日本だけが世界から取り残された証拠」になりかねないものであることに気がついたのです。

そんな思いを胸に、NTTドコモやKDDIの新端末発表会へ取材で赴いた際の出来事が、冒頭で紹介したツイートだったというわけです。


iPhone 3Gでワイヤレスリスニングを楽しんでいた筆者は、世間からは奇異の目で見られていたことだろう


■冷ややかだった端末メーカーの反応
件のツイートに書いたことは紛れもない事実です。当時の移動体通信事業者(MNO)の新端末発表会にはMNOの担当スタッフのほか、メーカーからも営業スタッフが数名配置され、端末の機能説明や技術解説を行っていました。

そのメーカーからの出向スタッフと業界談義をする中で、当然ながら「黒船」の話題にもなります。しかしメーカーの反応は常に冷ややかで、単に冷静に状況を見ているという感じではなく、「あんなモノが日本で売れるわけがない」という雰囲気を、どのメーカーのスタッフも一様に醸し出していたのです。

確かに、当時の日本のケータイはiPhoneに対して遥かに高機能でした。iPhoneにはワンセグもなく、防水・防塵機能もなく、Felica(おサイフケータイ)機能もありませんでした。そういった先進技術とサービスが存在しないiPhoneが売れるわけがない、所詮は見た目だけの流行り物だ、というのがメーカー各社の視点だったのです。


auの2009年春モデル。この頃になっても日本の端末メーカーや通信キャリアは日本の携帯電話の優位性を信じて疑わなかった


筆者はその感覚に失望していました。その後GoogleがAndroid OSを発表し、タッチUIによるスマホを世界展開するとなった時、慌てて日本のメーカーもその流れに乗りましたが、基礎研究の足りない技術など付け焼き刃に過ぎません。

そもそも完成度の低かった当時のAndroid OS(Android 1.6〜2.1)の評判の悪さも含め、端末としての完成度も低かった日本メーカーのスマートフォンは「欠陥品」とすら言われる状況で、一般人に最悪な印象を植え付けるのに十分過ぎるほどでした。そして人々は言い放ったのです。

「iPhoneでいいや」

一度根付いてしまったネガティブな印象は簡単には拭えません。日本だけがずっとiPhoneの天下で有り続けた理由の一端が、日本メーカー製スマホの完成度の低さにあったことは間違いないでしょう(海外でもAndroid端末の完成度は同様だったが、日本ほどiPhoneを安価に購入できなかったことと、そもそもガラケーのような高機能携帯電話と完結したエコシステムやサービスが少なかったため、Androidスマホがシェアを広げた)。

歴史に「もし」は禁句ですが、もしiPhone 3Gが日本で発売された時、各メーカーが本気で危機感を持ち、タッチセンサーの精度やソフトウェアの重要性に気づいていたら、その後のiPhoneの圧倒的シェアと日本メーカーの相次ぐ携帯電話(スマホ)市場撤退は回避できていたかもしれません。

少なくとも、日本でiPhoneがキャズムを超え、大ブレイクしたのはiPhone 4からです。それまではまだ一部のイノベーターやアーリーアダプターが「これはヤバい」と騒いでいる程度だったわけで、その時代のうちに危機感を共有できていたら、と今でも思わざるを得ないのです。

例のツイートにも何件か当時の端末メーカーの開発者だった方々からリプライをもらいましたが、やはり開発者は当時から同様の危機感や衝撃を感じ取っていたようです。しかしそれはメーカーの経営陣に封殺されていました。メーカーとして、今売れているものや売らなければいけないものに注力するのは当然ですが、ほぼすべてのメーカーで開発者の危機感や意見が蔑ろにされてしまっていたという事実に、なんともやりきれない思いがします。


2011年発売の「INFOBAR A01」。この頃になるとAndroid端末も十分に使える性能になり、デザインなどでも評価の高い端末が揃い始めていたが、時すでに遅し。iPhoneの大ブレイクを押し返す力は日本の端末メーカーに残っていなかった


■絶望に近い無力感
もちろん、これらの出来事を現在の視点から振り返り「あの時こうしていなかったから」と、したり顔で書くことはとても簡単です。その意味では、今このように書くことは卑怯な行為でしょう。誰だって結果を知っていたら何とでも書けます。

しかし、筆者のような無名のウェブライターだけであればいざ知らず、著名なモバイルジャーナリストの面々ですら、当時から同じように業界へ警告を発し続けていたのです。

それどころか、iモードの生みの親とも言われる元NTTドコモの夏野剛氏は2009年に「超ガラパゴス研究会」という研究会を発足させ、日本の端末メーカーが世界に進出するための提言すら行っています。研究会が始まる直前、夏野氏が「これからはiPhoneだよ。もうガラケーなんて古い。これじゃ世界に勝てない」と語気を強めて語っていたのを鮮明に覚えています。

iモードの生みの親がガラケーを否定し、スティーブ・ジョブズ氏自らが「iモードを模倣して創った」と公言したiTunes Storeを称賛する。そんな風景が2009年にはすでにあったのです。超ガラパゴス研究会の委員には、当時のソフトバンクモバイルの副社長だった松本徹三氏やチームラボの猪子寿之氏、そして経産省の室長や慶應義塾大学の教授なども顔を並べています。

当時の通信業界やテクノロジー関連企業のトップが数十名も名を連ね、iPhoneという危機について議論を重ねていたのです。しかし変われませんでした。日本は世界に打って出なかった(出られなかった)のです。


2009年2月に行われた「超ガラパゴス研究会」より。普段は飄々とした表情を見せる夏野氏も、このときばかりは真剣な顔つきになる場面が多かった


大晦日につぶやいたツイートへの大きな反響と、今まで知ることのなかった人々の意見や思いを今更ながらに知る中、筆者は強い無力感に襲われていました。それは通信キャリアに対しても、端末メーカーに対しても、そしてユーザーに対してもです。

コラムやレポートに書き連ねた考察や意見はどれだけ人々に伝わっているのでしょうか。人々に何かを考えさせるきっかけになりさえすればそれで良いと、いつもそれだけを考えながら執筆していますが、その小さな望みに対してすらもあまりに無力すぎると、胸を締め付けられる思いになることがあります。

しかしそれでも、この仕事を続ける限りは書き続けるしかありません。人々が記事を読み、何かを考え、モバイル業界に関心を持ってもらうことが「物書き」に与えられた使命であり、唯一の手段だからです。極論、筆者が書いた記事ではなくとも良いのです。人々が業界に関心を持ち盛り上げてくれるのなら、誰の記事でも良いのです。


業界を盛り上げるのはライターではない。業界自身とユーザーの力だ


■それでも取材へ走り続ける
2019年は端末代金と通信料金の完全分離化をめぐり、大激動の年となりました。2020年はどうでしょうか。

春には第5世代通信システム「5G」が正式にスタートしますが、5G端末が高価となる懸念や5G向け通信料金プランが高額になることも予想され、動きが低迷する可能性を帯び始めています。

業界としては、これは非常に望ましくない状況です。商品の流通的には「激動」であってほしいタイミングなのです。オリンピックイヤーでもある今年、日本の通信業界が大きく動けなかったとしたら、恐らくその後の展開は非常に暗いものとなるでしょう。


CEATEC 2019でNTTドコモブースに展示された5Gプレサービス対応機種。これらがそのまま今年の正式サービスで販売されるわけではないが、端末の開発は着々と進んでいる


iPhone 3G発売から12年。ついに干支も一巡しました。次期iPhoneも5G対応が噂される中、世界の通信技術は新しい時代へと突入します。

5Gは単なる高速通信規格ではありません。あらゆる通信網を取り込み、シームレスに繋ぐためのマルチレイヤーネットワークです。つまりそれは、5G技術を掌握したメーカーや通信キャリアが社会経済をも掌握するのと同義なのです。

そこに日本のメーカーはどこまで食い込めるでしょうか。かつてiPhoneに対して無関心を決め込んだように、ファーウェイやOPPOといった中国企業を無視して独自技術や製品を誇れるほど、日本のメーカーには余力もないでしょう。それどころか、はやくも勝ち目がないと白旗を上げそうな勢いです。

それではいけません。日本のテクノロジー産業に起死回生のチャンスがあるとすれば、今年しかないのです。通信、AI、IoT、ロボット技術。あらゆるところにそのチャンスは眠っています。少なくとも、筆者にはそれらを追いかける気力が残っています。無力感と戦いながらも技術と未来を追いかけ、記事を書き続けたいと思います。


日本の未来がそこにあると信じ、今年もニュースを追いかける


記事執筆:秋吉 健


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