W杯アジア2次予選のモンゴル戦(10日)、タジキスタン戦(15日)を戦う日本代表メンバーが発表された。前回との変化は、大迫勇也(ブレーメン)と鈴木武蔵(北海道コンサドーレ札幌)に代わり、浅野拓磨(パルチザン)と鎌田大地(フランクフルト)が加わっただけだ。

 23人中21人に変化なし。しかも欠けたひとり、大迫はケガである。

「現状のベストメンバー。アジア2次予選と言えども勝利は保証されていない」と森保一監督は語った。だが、さすがに今回はハイそうですかと素直に納得する人は少ないはずだ。会見の席上でも懐疑的な質問が相次いだ。


モンゴル戦、タジキスタン選の日本代表メンバーを発表する森保一監督

「たとえばモンゴルとの間には相当チーム力に差がある。しかもホーム戦。負ける相手ではない。そういう相手とフルメンバーで戦って、代表強化にどう役立つのか?」

「いつにも増して日程がタイトな時に、欧州から選手を戻してコンディションを整えながらプレーするのはリスクがある。国内組の数をもっと増やすという考えもあったと思うが、そうしなかった理由は?」

 当然といえば当然の疑問だが、森保監督から返ってきたのらりくらりとした答えを聞かされると、違和感はさらに膨らむのだった。

「今回のモンゴル戦、タジキスタン戦もチームの活動の中でベストと考えて……。2戦とも勝ち点3を奪えるように最善の準備をして試合に臨み、勝利という結果を、支援して下さる方々にお届けできるよう、チーム一丸となって戦っていきたいと思います」と、森保監督は言う。

 だが、こちらが問いたいのは、何対何で勝とうとしているのか、だ。相手は相当な格下だ。このメンバーで負けたら大事件である。「チーム一丸」という表現も、なんだか変だ。それは監督の思いではないのか。選手は口が裂けてもそれを否定はしない。しかし、心の底ではどうだろうか。所属チームを離れるというリスクを抱えながら、モンゴルと戦うために高いモチベーションを持って欧州からはるばる帰国できるのだろうか。

 指揮官は「アジアをより確実に勝つことが、世界を勝ち抜いていくことにつながります」とも言う。

 本大会の2カ月前に監督の首をすげ替えても何とかなってしまった前回W杯は、いったい何だったのかと、問い返したくなる。

 いまは勝利を飾りながらも、多くの駒を発掘し育成することが、代表監督に求められている使命ではないのか。強化とは大勝することではない。大勝を重ねれば、自分の立場は安泰だろう。しかしそれで強化は進むのか。

「招集に関して、ここにいられる皆さんをはじめ、日本代表を見て下さっている方々がいろんな意見を持たれています。人それぞれ見方もありますし、そこは自由に主張していただければなと思っています。ミャンマー戦もそうでしたが、選んだ選手がベストだとお伝えしていますし、これまでの代表活動においても、その都度ベストだと思われる選手を選考させてもらい、活動につなげてきました」

「代表は常にベストメンバーで臨むもんや!」を口癖にしていたのは、かつての加茂周監督だが、今回もベスト、次の試合もベスト、その次の試合もベストとメンバーを固定して戦えば、チームは疲弊していく。ベストで戦った弊害は、これまでどの代表でも少なからず見て取ることができた。にもかかわらず、森保監督の「ベスト」は変わってない様子だ。
 
「欧州組にコンディションのリスクがあるということは、今回に限った話ではありません。長距離を移動し、時差、気候等々の違いがあるなかで、選手たちはそれを言い訳にすることもなく、その時のベストな状態で戦ってくれている。選手たちは覚悟をもって日本に戻って、日本代表として戦っているということを、まずは皆さんにご理解していただきたい」

 そんな言い訳をする選手はたしかにいない。口が裂けても言わないだろう。理由は簡単だ。言えないムードがあるからだ。言えない弱みを抱えていると言ってもいい。そこに「覚悟を持って戦えよ」と迫られる。選手にそうした要求をしているのは誰かと言えば、代表監督になる。

「代表は常にベストで戦うもの」を全面に出したがる代表監督は、自分の権威を主張しているも同然ではないか。この「覚悟を持って戦っている」という言い回しを、森保監督はこの会見でも何度となく用いた。筆者はそこに「怖さ」を感じる。見た目は優しそうで穏やか、ハト派のように見えるが実はタカ派。こう言ってはなんだが、その表情も、監督就任当初より心なしか厳めしくなっているように見える。

 一方で、森保監督はこう言う。

「我々は、国内外を問わず日本代表で活躍できそうな選手を常にリサーチしている。11月以降の活動に向けて、情報を収集しリサーチしていきたい」

 当然だろう。これは、現在のベストメンバーとはいえ、いつでも切る用意はありますよと言っているも同然だ。基本的に代表チームとはそういう集団なのである。循環が宿命づけられているチームなのだ。

 そうしたなかで「ベスト」を唱え続ければ、いずれ辻褄は合わなくなる。いかにメンバーを落としながら勝つか。常にテストを重ねながら、最低限の結果を求めるか。この微妙なさじ加減こそが、現代の代表監督には求められている勇気なのである。