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家にいるのに、なぜ?

ある1枚のイラストに、ネット上で共感が集まっている。人気4コマ漫画『サボり先輩』からの1コマで、部屋着のままでベッドに腰かけている女性の絵とともに、「家にいるのに帰りたい」というフレーズがデカデカと書かれている。「働きすぎるとこの状態になる」というコメントとともにツイッターに投稿されたことで、反響を呼んだようだ。

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過酷な過重労働や対人緊張を伴う感情労働による疲労によって、「家にいるのに『帰りたい』」と思うのは、矛盾しているが、確かに実在する心の動きと言えそうだ。この漫画を見て筆者も、大学病院勤務時代の、夜の当直日を迎えた朝の自分を思いだした。

ただでさえ朝、気持ちもからだも気怠いなかで、これから出勤して、タフな業務をこなしたうえで、夜間当直に入る。夜中にも相談の電話が何回か入り、場合によっては緊急の診察も入るかもしれない。寝不足にもかかわらず、次の日も50人のほど外来診察をこなさなければならない。当直明けの日くらい仕事を早く終わらせたいが、夕方から医局のカンファレンスがあり、指導医としては休むわけにもいかない。

そうして家にいるのに「早く帰りたい……」と、まだ出勤もしていない朝から、ベッドのなかで重い気持ちになっていたものだ。

実際に家にいるのに、家に帰りたくなる。ざっと調べてみたが、詳しく考察している記事はほとんどない。これを機会に、現代人のこの心の状態を、心理・精神医学的に考えてみたい。

どこにいても仕事がやってくる恐怖

2019年4月より、「働き方改革関連法」が施行された。長時間労働の是正、多様で柔軟な働き方、公正な待遇などの方向性が示されている。しかし、このような法律改正が行われた背景には、人間らしく働く条件を軽視したブラック企業の存在などが背景にあったことは事実である。

労働時間だけが、ストレスではない。サービス業などは、自分の正直な気持ちを殺して、他人の機嫌を取らなければならない。精神的なストレス、いわゆる「感情労働」の要素が、強迫的な「おもてなし」精神より、医療や教育、何気ないコミュニケーションも含めて、サービス業以外の分野でも強要されている印象がある。

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さらに現代における仕事の特徴としては、インターネットを用いるコミュニケーションツールの急速な発展のおかげで、365日24時間いつでも、しかも世界中どこにいても、瞬時にしてコミュニケーションが可能になったことである

つい先日も、海外出張中だったわたしのもとに学生からLINE経由で相談があり、その場で速やかに対応した。海外でやや羽根を伸ばしているところに、メールで仕事の依頼ももちろん届く。プライベートと仕事の境界がなくなってきているのを実感する機会が、どんどん増えてきている。さらに、早いレスポンス=スピード感も要求される。

ネットや働き方改革などが今後発展しても、仕事は平気で家やプライベート空間・時間を侵蝕してくる。このままでは家にいてゆっくりしていても、仕事のことで頭がいっぱいな人は、減らないような気がしてならない。出勤もしていないのに「家に帰りたい」と思うのは、仕事がプライベートに侵蝕して居座るストレスと見ることもできる。

ちなみに、諸外国の文化でこのような心理現象があるのかどうかは、定かではない。ただ、西洋文化は、旧約聖書による「仕事は、神から与えられた罰である」という観念から、仕事よりも家族・プライベートが優先される。もしかしたら、日本人に多い、あるいは特徴的な現象の可能性もある。外国人から見た『サボリ先輩』の感想を聞いてみたいところだ。

「予期不安」と「日内変動」

「ああ、今日も夜まで仕事終わりそうにない」

「またあの部長といっしょにいないといけないのか」

朝起きたときから、キツい仕事をイメージしてしまうことは珍しくない。単純にウンザリするのはもちろんだが、心身ともに消耗してしまう自分の姿が思い浮かんでしまう人も少なくないだろう。「仕事はちゃんとやらなければ」と考えている真面目な人は、特にそうだろう。

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待ち受ける疲れ果てた自分を想像して、「今日自分は大丈夫だろうか」「できればこのまま休んでしまいたい」という、不安が生じてはいないだろうか。パニック症のように激しいものではないが、消えることはない不安である。

「予期不安」という症状がある。主にパニック症などを持つ人に見られ、実際にまだパニック発作を起こしていなくても、発作がいつまた起こるのかという不安感が常に付きまとう現象を指す。予期不安が強くなれば、助けを求められない場所(飛行機など乗り物が多い)を、避けるようになる。

厳密には異なるかもしれないが、仕事にかかわる不快な経験、苦手な対人関係などを思いだし、「またか」という思いが生じれば、予期不安の要素が大きくなる。家を出る前から、早く安心できる場所(=家)に、帰りたくなるのも無理はないのではないだろうか。

さらに朝から「早く帰りたい」気持ちになってしまうのは、「日内変動」による影響の可能性がある。日内変動とは、体温や血圧などのバイタルサイン、ホルモンの分泌など生体機能が、一日のなかで変動することをいう。日内変動は体内時計によって支配されており、たとえば体温は夕方にピークを示す。

精神状態にも、日内変動がある。うつ病に見られる抑うつ気分が、一日のなかでも波があり、朝方は最も気分が落ち込み、午後から夕方にかけて気分が上がってくる現象は、古くから知られている。特に体内時計が夜型傾向にシフトしている若年者では、うつ病ではなくても、朝は意欲が低下し、気分、思考がネガティブになりがちなりやすいと考えられる。

ただ、「サザエさん現象」と言われるように、日曜日の夕方の時点で既に「帰りたい」と思う人もいるだろう(わたしも月曜日当直のときは、そうだった)。「日内変動」よりも、「予期不安」の要素が、「家に帰りたい」現象の要因としては優位なのかもしれない。

もっと掘り下げた議論や、異なった見方ももちろんあると思う。ただわたしはこれまで述べたように、日本ならではの労働条件の過酷さ、要求水準の高さに加えて、「予期不安」と「日内変動」という要素が、一日のスタート時点から、既に終了時点での安らぎを求めるという現象を引き起こしている可能性があると考えている。日本人の慢性的睡眠不足の傾向が、予期不安や日内変動を強めている可能性も付記しておく。

「居場所」としての家

もしかしたら、職場に通勤する必要のない職種、たとえば自営業や自宅オフィス、主婦なども、似たような経験をしている人がいるかもしれない。ずっと家にいるのに、「家に帰りたい」と思うタイプである。

その人の家が劣悪な環境であれば理解できるが、ツイッターのレスなど見るとそうでもないようだ、自宅環境は悪くないにもかかわらず、「家に帰りたい」という気持ちになる。本人も、どうしてかはっきりわからない。

心理学で、「居場所」という概念がある。自分が精神的に安定して落ち着いて過ごせる場所を意味するが、不登校=学校外の居場所と関連しているため、これまで行われた研究は、主に児童・思春期を対象としている。大人の「居場所」については、明確な定義もなく、研究も乏しい。

居場所は、「個人的居場所」と「社会的居場所」とに分けられると考える。個人的居場所は、他者との関わりから離れて自分を取り戻せる場所であり、自分の部屋、家庭をいう。対して社会的居場所とは、会社や学校であり、他者との関わりを通じて自分を確認できる場所を指す。

総じて居場所とは、精神的安定と、自分のアイデンティティが確認できる場所と言える。家にいても「家に帰りたい」と思うのは、家が上記で定義する「居場所」の条件を満たしていない可能性がある。この場合の帰りたい「家」は、自分が精神的に落ち着くことができ、存在を確かめることのできる「想像上」の家なのかもしれない。

「帰りたい」という思いを否定する必要はない

「家に帰りたい」という気持ちへの対策だが、そもそもこう思ってはいけないのだろうか。先述した近年の働く環境の目まぐるしい変化を見ると、わたしはこの気持ちを、無理に消し去る必要はないのではないかと思っている。

自分が落ち着ける「居場所」に戻りたいというのは、自然な心理である。高度成長期やバブル時代など一昔前ならば、家よりも職場が「居場所」という人も少なくなったと思う。しかし、今は時代背景が異なる。職場が自分の居場所であると感じている人は減っているだろうし、そういう人は総じて幸福度が低い。

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仕事は、誰しも好きでやっているわけではない。できれば、休みは多いほうがいい。そう考え、たとえ朝から「帰りたい」と思う自分があっても、それを否定しないことがベターである。「日内変動のせいだから行けば元気になってくる」ぐらいに思えれば、上等だろう。

もちろん、遅刻や欠勤などが増えてくれば、そうも言っていられなくなる。抑うつ状態が疑われ、医療のサポートが必要になってくる。そうならないためにも、他人としゃべる、睡眠時間を確保する、自分なりの気分転換、適度な運動といったメンタル面でのセルフケアも大切だ。

また、働き方改革関連法の改正で、会社には「年休を取らせる義務」が発生している。会社からの指示で有休を取るより、自分の意思や計画に基づいて有休を取る方が、自己効力感が高まり精神衛生上は好ましい。有休の有効な使い方を考えるのも疎かにしないことだ。

冒頭の『サボリ先輩』の主人公・沙保里先輩は、常に前向きであり自己効力感に満ちている。現実にこのような社員が大勢いたらとんでもないことだが、見習う部分は少なくない。朝に「早く帰りたい」と思えば、実際に早く帰るよう努力・工夫するというのが、理想的と揶揄されるかもしれないが、目指すべき方向だろう。