マンチェスター・Cに移籍したので、今の目標はシティでプレーすること。イングランドと同じ英国なので、スコットランドリーグはすごく勉強になるんじゃないかなと思います。
 
 ヨーロッパに行ったら、最初はどこへ行っても苦労すると思うんです。でも、スコットランドの言葉は英語。まずどこへ行くにも英語は大事だと思うので(しっかり勉強したい)。サッカーはもちろんですけど、サポーターの雰囲気やチームメート、コーチの温かさも含めて、ヨーロッパでの最初のクラブになるので馴染みやすいところに行こうと。そういうことで、ハーツに決めました」
 
 食野が入団したハーツには、強力なサポート役がいる。アシスタント・コーチを務めるオースティン・マクフィー氏だ。同氏は2003〜06年まで刈谷FCでプレー。3年間滞在した日本で言葉を覚え、流暢な日本語を話すのだ。食野の英労働ビザ申請の際にも通訳として出席し、「類まれなる才能を持った若手選手」として、特例でのビザ発給に尽力した。
 
「ことわざが大好き。谷あり山あり、十人十色。それぞれに深い意味がある」と日本語で説明するマクフィー氏。日本語を忘れないようにするため、携帯アプリを使って勉強を続けている努力家だ。
 
 
 まだ英語を話さない食野に対し、このマクフィー氏が更衣室で監督の指示を日本語で伝え、練習場でも戦術を詳しく説明することになる。渡英したばかりの食野にとって、これほどありがたいサポートはない。
 
 しかも、マクフィー氏は「自分には3人の子どもがいるが、リョウタロウを4人目の子どもだと思っている。リョウタロウにはすごい才能がある」と温かい眼差しを向ける。食野も「オースティン(マクフィー)が、日本語を話せるので助かる。オースティンもそうだし、監督もすごく人が良くて温かい」と感謝しきりだった。
 
 その食野が、海外移籍にあたり大きな刺激を受けた人物がいる。小学生の頃から知る堂安律(現PSV)だ。ふたりは、21歳で同い年。実は、誕生日も2日しか変わらない。
 
 食野はガンバ大阪のアカデミー時代に、スペインでバルセロナと対戦した。欧州での海外試合はそれしか経験がないが、堂安がオランダのフローニンヘンに移籍してフル代表に呼ばれるようになると、食野の視線は自然と海外に向けられるようになった。
 
「最近周りの選手が、海外に出て行ってますし、特に(堂安)律からはすごく刺激を受けています。『自分も行きたい』という気持ちがすごく芽生えた。やっぱり、海外に対して強い思いを持ったのは、律が代表に行ってからですね。
 
 小学校の頃からずっと一緒にやって来た選手なので、刺激しかなかったですね。特に焦りはなかったですが、いい刺激をもらえた。自分にもそういうチャンス(=マンチェスター・Cからオファー)があったので、逃すわけにはいかなかった」
 
 このふたりの共通点は、東京五輪世代であること。ただ、食野はユース年代も含めて日本代表に招集されたことがない。本人は「そこに入りたいから海外移籍したわけではない」と強調しながらも、「五輪に絡めるチャンスがあるという意味では、そこも多少は意識している」と胸の内を明かす。
 
 もちろん、本人は「まずハーツで結果を残すことが大事」と語気を強める。そして、「マンチェスター・Cに移籍したので、プレミアリーグでプレーすることが一番の目標です。シティで輝けるように」と力を込めた。
 
 ここから、いかに飛躍していくか――。様々な思いや夢を胸に、食野はスコットランドで第一歩を踏み出した。

取材・文●田嶋コウスケ