夏の甲子園を目指して各地で熱戦が繰り広げられている。出場校の陰には、毎年惜しいところで涙をのむ地元の強豪「悲願校」が存在する。全国47都道府県の「悲願校」の物語には、高校野球ファンならずとも胸が熱くなるドラマが秘められている――。

※本稿は、田澤健一郎『あと一歩! 逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Drew Bloksberg)

■悲願校の悔しさを知ってもらいたい

「悲願校」とは高校野球界で「甲子園出場の一歩手前で何度も敗退」「秋春は強いのに、甲子園がかかる夏には弱い」「地元では強豪として知られているが、甲子園には縁がない」といった甲子園未出場校のこと。「甲子園出場が悲願」であり続ける高校を指す、私が名づけた造語です。いくら各都道府県で結果を残しても、甲子園に出ない限り、どんなにいい試合をしても、野球ファンの間でも知名度は上がらない。私はそんな実力がありながら悲運に泣いてきたチームを全国の皆さんに知っていただきたいと思ったのです。

甲子園で敗戦し涙にくれる球児の姿はおなじみだが、彼らはまだ恵まれています。甲子園の土を踏めたのだから。それよりも、甲子園を目前に地方大会の決勝や準決勝で敗れたチームのほうが、悔しさは数倍のはず。そんな経験を幾度となく繰り返してきたのが「悲願校」なのです。勝者の陰には敗者が必ず存在する。彼らの姿もぜひ知っていただきたいと願います。

■悲願校の代表的なタイプは2つある

第一に挙げられるのが「甲子園出場の一歩手前で何度も敗退」する高校。次に挙げられるのは「秋と春は強いのに、甲子園がかかる夏になると弱い」タイプ。春季大会は、勝ち進んでも都道府県大会の次にある地区大会までで、ここで勝ち残っても甲子園にはつながりません。また、センバツにつながる秋季大会も、都道府県大会で優勝したからといって、甲子園に直結するわけではありません。その先の地区大会で相応の結果を残すことが求められます。

一方、秋や春は序盤で敗退して強そうに見えなくても、夏の予選に入ると俄然上位進出を果たし、時には甲子園出場も決める「夏将軍」的な高校も存在します。こうした高校は、甲子園出場経験が豊富な強豪校に多く見られます。「悲願校」の場合、戦力的に優れていても、準備や試合運び、メンタル等の面で、秋や春のように実力が発揮できず、夏には勝ちきれない。経験の差が、「悲願校」から脱出できない大きな理由といえるのです。

■3度の決勝で3度サヨナラ負け「稚内大谷」に注目

では、具体的に高校を挙げてお話しします。北海道を代表する悲願校といえば、北北海道大会を戦う稚内大谷。学校が属する名寄支部は、北海道で唯一甲子園出場校がない地区です。支部内どの学校が出ても「日本最北地区」出場記録更新となります。野球が盛んな土地柄にあって、稚内大谷が北北海道大会で8強以上まで進出した回数は10回以上。名寄支部では無敵を誇っていました。

田澤健一郎『あと一歩! 逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)

彼らがもっとも甲子園に近づいたのは、1980年、81年、93年の3回です。いずれも北北海道大会で決勝に進出したときのことでした。「夏に3度の決勝敗退」はほかの地区でもある話ですが、彼らの悲運は、3度がすべてサヨナラ負けだったこと。80年は、旭川大高と激突しました。稚内大谷は2点を先制されるも8回に追いつきます。しかし、9回にサヨナラ打を浴び1点差の敗戦。7回以外の全イニングで走者を出しながら、あと一本が出なかったのです。

続く81年の相手は帯広工。前年同様、先制されるも追いつき、延長戦にまでもつれ込んだ11回裏、一死満塁のピンチを迎えます。ここで帯広工がスクイズを仕掛けるも、バッテリーが見抜いて投手がウエストします。三塁走者を三本間で挟みピンチ脱出かと思われましたが、なんとキャッチャーが走者にタッチしたはずみで落球し、走者がホームインしてサヨナラ負け。まさに地獄から天国、また地獄。

■いつか聖地を踏む日は来るのか

三度目の正直を期して臨んだ93年夏の相手は、80年に苦汁をなめさせられた旭川大高。8回裏に稚内大谷が1点を先制し、9回裏を迎えます。この回を抑えれば初の甲子園。走者を二塁まで進めましたが、2死まで旭川大高を追い込みます。あと1人で甲子園。相手打者の打球がセカンドへ飛ぶ。ついに悲願達成かと思われた瞬間、歓喜の声は悲鳴へと変わりました。セカンドがゴロを弾き、焦ってサードへ送球した球が逸れて二塁走者が生還。試合は振り出しに戻ったのです。10回裏、1死から出した走者を二塁に進められた後、相手打者のショートゴロが内野安打となる間に二塁走者がホームイン。決勝3度目のサヨナラ負けとなったのでした。

あと少し、あと1球で目の前から遠ざかり消えていく甲子園。これならば、まだ大差で負けたほうがあきらめがつくと思うような決勝敗退。これ以降、稚内大谷に夏の北北海道大会での決勝進出はありません。しかし、いつか聖地を踏む日が訪れたならば、最果ての街には計り知れない歓喜の涙が流れるはずでしょう。

■雌伏を続ける全国の「悲願校」にズームイン!

47都道府県には、なかなか甲子園に届かない強豪がたくさんいます。なかでも注目の地区の悲願校をピックアップしました。

【東東京】出場校132校

真っ先に名前が挙がるのは東海大高輪台。東海大の付属校には野球の強豪校が多いのですが、実は、野球部のある付属校で甲子園未経験は東海大高輪台のみなのです。2008年夏には初の決勝進出。関東一に破れ準優勝に終わるも、15年秋はベスト4、16年のセンバツでは21世紀枠の都推薦に選出されています。17年夏には2度目の決勝進出。二松学舎大付に敗れましたが、上昇カーブは続いています。甲子園出場を決めて、他の付属校と肩を並べる日も近いはずです。

【埼玉】出場校158校

まず挙げたいのが川越東。プロ野球出身の阿井英二郎監督(元・ヤクルトほか)の就任後着々と力をつけ、あとを継いだ野中祐之監督も熱心に指導しています。県上位の力をキープし続けています。また、爆発力こそないものの、30年近く継続して8強、4強クラスの成績を残し続けている浦和実も堂々たる悲願校です。また近年、山村学園が優勝候補に成長してきており、現在の力と実績をキープし続ければ、前述の2校を抜き去る可能性もあります。

【神奈川】出場校186校

筆頭に挙げたいのが、横浜創学館。旧校名である横浜商工時代から優勝候補に名前が挙げられており、上位進出および秋山翔吾(西武)や望月惇志(阪神)など、プロ野球選手輩出実績も豊富です。続いては、向上高校。こちらも1976年夏に準優勝するなど40年以上前から神奈川県の有力校として歩んできました。84年夏には“デカ”の愛称でプロでも活躍した高橋智(元・オリックスほか)が投打に活躍して準優勝。その後の低迷期を経て14年夏には30年ぶりに決勝進出を果たすも、またしても敗退。悲願度は横浜創学館に勝るとも劣りません。

【愛知】出場校186校

かつては豊川が代表的な悲願校でしたが、2014年春にめでたく卒業。初のセンバツではいきなりベスト4に進出し、宮城の利府とともに悲願校の力を見せつけました。現在は中部大春日丘が悲願校の代表格です。1980年代から明治神宮大会に出場したり、プロ野球選手を輩出したりと、県内では実力校として知られ、90年代には優勝候補の一角に挙げられました。その後成績を落とした時期もありましたが、2010年代から上位進出が目立ち始め、18年秋も県3位で東海大会に出場と、復調を見せています。

■全国で唯一私立高の甲子園出場がない県

【徳島】出場校32校

私立優勢の時代になって久しい高校球界。しかし、徳島はそんな流れとは無縁の県です。全国で唯一、私立校の甲子園出場がない県なのです。そもそも野球部のある私立校が1校のみなので、そんな記録が生まれやすい背景はあります。しかし、その唯一の私立である生光学園は、いつ甲子園に出てもおかしくない強豪なのです。私のランキングでは全国No.1の「悲願校」です。初参加となった1981年の夏の徳島大会でいきなりのベスト8。85年にはベスト4入りを果たし、以後上位の上位常連になりました。

95年夏、ついに決勝進出し、プロで活躍する武田久(元・日本ハム)が2年生エースとして奮闘しましたが、鳴門に大敗。新チームで臨んだ秋には優勝し、四国大会に進出するものの、岩村明憲(元・ヤクルトほか)が主砲を打つ宇和島東に敗れ、センバツには手が届きませんでした。

以降、夏はベスト4が10回、春も3度優勝、秋春ともに県内ベスト8、ベスト4に入ったことは数多くありました。なのに、勝ちきれない。公立校が「生光にだけは負けられない」と意地をむき出しにしてくるなか、気迫に押されるのではないかという見方もあります。しかし、「“徳島初の私学の甲子園出場”を達成できるのは自分たちだけ。歴史をつくれるぞ」と悲願校脱出をかけた戦いは続きます。

甲子園出場校だけが強豪というわけではないことが、おわかりいただけたでしょうか。全国に散らばる「悲願校」の勝ち上がりに注目して、各地で繰り広げられている予選の結果に目を凝らしてみるのも、高校野球を楽しむもう一つの見方なのです。

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田澤 健一郎(たざわ・けんいちろう)
編集者・ライター
1975年生まれ。山形県出身。高校時代は山形の強豪校、鶴商学園(当時・現在の鶴岡南)で、ブルペン捕手と三塁コーチャーを務める。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターに。野球などのスポーツ、住宅、歴史などのジャンルを中心に活躍中。マニアックな切り口の企画を得意としている。共著に『永遠の一球〜甲子園優勝投手のその後』(河出書房新社)など。

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(編集者・ライター 田澤 健一郎 写真=iStock.com)