デモ隊と対峙する香港の警察(2019年6月12日、写真:AP/アフロ)


(福島 香織:ジャーナリスト)

 香港でとうとう恐れていた事態が発生した。

 6月9日に香港で「逃犯条例」(犯罪人引渡条例)改正に反対する大規模デモが起きたことは、世界中のメディアにトップで報じられた。主催者発表103万人、警察発表24万人という規模は、1997年に香港が中国に引き渡されて以来、最大規模だ。香港人口を約748万人とすると、およそ7人に1人がデモに参加したということになる。2003年には、香港基本法(香港ミニ憲法)23条に基づいて国家安全条例(治安維持条例、中国に対する国家分裂活動や政権転覆扇動なども取り締まることができる法律)が議会に提出されようとしたことに反対するデモが起きた。このときは50万人デモだったので、今回は倍の規模である。

 続いて、この条例の審議が再開される予定だった6月12日、香港立法会(議会)を数千人のデモ隊が未明から包囲。香港政府は5000人の警官隊を投入し、睨み合う状況が続いていた。それは2014年の雨傘運動(民主化を求めた反政府デモ)の再来の様相ではあるが、雨傘運動よりもずっと緊張感があり、一触即発の気配が漂っていた。香港議会は12日午前の審議を午後に延期することを決めたが、デモ隊は、条例改正案撤回を香港政府が決定するまで、解散しないと表明。そして現地時間午後3時、ついに警察が催涙スプレー、催涙弾、ビーンバック弾でデモの武力鎮圧に乗り出した。

 逃犯条例改正の背景と抵抗については、5月31日に本コラム(「香港に激震、中国政府が思想犯を捕まえ放題に」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56548)でも報じているが、その時点から事態は急転直下の混乱激化にみまわれているので、改めて香港が直面している危機的な状況を伝えたい。

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香港から失われる「司法の独立」

 催涙弾の白煙がもうもうと立ちこめる中、デモ隊の青年が警官隊からぼこぼこにされていた。催涙弾やゴム弾の直撃を受けて倒れる人の姿があった。デモ参加者たちがスマホで撮影し、ネットに次々あげる映像の激しさに息をのんだ。

 雨傘運動のときは、もう少し躊躇を見せたのに、今回は無抵抗の秩序だったデモ隊に警告なしのいきなり発砲。過去、香港警察が市民に対して、ここまで暴力的であったことがあっただろうか。

 現場からの情報では、日本時間午後9時の段階で病院に9人の負傷者が搬送されたという。その中には香港公共ラジオ(RTHK)の運転手が、催涙弾の直撃を受け意識不明の状況で病院に運び込まれたとの情報もあった。また、デモに参加していた学生が顔面にゴム弾を受け右目を負傷した映像が流れている。立法会周辺のデモ隊はとりあえず撤退し、セントラルに移動。セントラルの公道を占拠し夜を過ごす模様だ。香港警察署はデモ隊に解散を命じ「解散しなければ一生後悔することになる」と不吉な恫喝を行っている。香港政府は6月14日から3日間の日程で予定されていたドラゴンボートレースの開催の中止を発表し、警察はデモ隊を「暴動」と形容した。予断を許さない状況が続いている。

 だが香港の行政長官キャリー・ラムは、いかに大規模デモが起きようと、香港が混乱しようと、改正逃犯条例の絶対成立を譲らない姿勢を示している。

 デモは、犯罪人を中国に引き渡すことができるように現行の逃犯条例改正を阻止することが目的であり、香港では「反送中」(中国に人を送ることを反対する)行動と呼ばれている。この条例改正案が成立すれば、デモ首謀者や民主活動家までが国家分裂や政権転覆扇動容疑者として中国に引き渡されかねない。だから今年(2019年)が最後の香港での大規模デモになるかもしれない。そういう強い懸念が、7人に1人の市民を6月9日のデモへと足を運ばせた。私の香港人の若い友人たちも、悲愴な思いで、9日のデモ、そして12日の立法会包囲デモに参加している。今、警察の暴力に対峙しながら、、香港で何がおきているかを逐一フェイスブックやツイッターで発信し続けている。

 これまでの香港は一国二制度で司法の独立が存在する建前があった。中国は西側の価値観を全面的に否定しており、三権分立も司法の独立もなく、司法は共産党の指導に従うものとされている。そういう司法システムの違う両地域で本来、犯罪人の引き渡しなど不可能なはずだ。

 この条例改正が成立するということは、香港が司法の独立を捨て、中国共産党支配の司法の枠組みに入ると宣言するに等しい。

 そうすれば、これまで共通の司法システムを維持しているという立場で香港と逃犯条例、犯罪人引渡協定を結んでいる米国やカナダ、オーストラリアなど約20カ国の民主主義国家らも影響を受ける。また香港にいる外国人も対象となるとすれば、香港に拠点をおく外国企業、ビジネスマンたちも安心して仕事ができなくなる。このため、条例反対デモは香港のみならず国際社会でも強い関心が寄せられ、9日には香港大規模デモに呼応する形で、ニューヨークやロンドン、パリ、台北、東京と全世界29都市に広がった。

 この条例改正案は、もともと台北で発生した香港人同士の殺人事件がきっかけだ。香港に逃亡した容疑者が台湾に引き渡されなければ、台湾司法当局として殺人事件が立件できないので、事件解決のために香港が急いで条例を改正しようとしているという事情があった。だが、事件の当事国でもある台湾の蔡英文政権は、この条例改正案成立に対する反対の立場をはっきりと表明しており、事件をダシにして、中国が香港の司法の独立を完全に捨てさせようとすることに対しては台湾人も反対の民意を形成している。香港の今は明日の台湾になりかねないとの懸念が深まっているのだ。

 ただ、中国の習近平政権は、普通選挙を求めて70日間以上公道を占拠していた2014年の雨傘運動に対して一切妥協せずに終息させた経験があり、それを成功体験として今回も強硬姿勢を貫くつもりでいるようだ。

 中国では、香港のこの大規模デモに関する自由な論評はSNS上でも厳格に統制されている。微信では「香港がんばれ」と書き込むだけでアカウントが凍結されたという報告もあった。中国メディアの報道は、中国外交部が香港政府の条例修正を支持していることと、「香港事務は中国内政なので、外国のいかなる勢力も干渉する権利はない。特に米国が無責任な誤った言論、でたらめを言い続けることに対しては強烈な不満と断固した反対を表明する」という公式発言の引用以外今のところ見当たらない。実際、中国国内の若者で、香港でこれだけの大規模デモを起こしている事実やその背景を把握している人は私の知っている限りほとんどいない。

「香港の生死」をかけた最後の抵抗

 振り返れば胡錦濤政権は、2003年の50万人の国家安全条例(香港ミニ憲法23条に基づく治安維持条例)反対デモに象徴される香港の民意を目の当たりにして、これが党内権力闘争にも利用されて政権転覆のきっかけになりかねないと恐れたため、国家安全条例成立を棚上げし、今なおこの条例の成立のめどは立っていない。

 これを胡錦濤政権の対香港政策の失敗だとした習近平政権は、反政府運動に対して絶対妥協しない姿勢を香港当局に伝え、2014年9月28日には雨傘運動のきっかけとなった学生デモに対し、催涙スプレー、胡椒スプレーなどを使った警察力を動員した。この暴力行為が香港人の怒りを招いて、その後の長期公道占拠の抵抗運動につながったのだが、長期戦によってデモ隊が疲弊してきたのを見計らって強制排除し、中国側の勝利となった。この結果、行政長官選挙の普通選挙が実現不可能になっただけでなく、香港の民主的選挙で選ばれた民主派・本土派議員も不条理な方法で議員資格を剥奪され、企業家が香港地域内で中国公安警察に白昼拉致されるなど、香港の一国二制度、司法の独立を蔑ろにする中国の姿勢がエスカレートしていた。

 こうした経緯から考えると、今回の103万人デモと、現在進行中の立法会周辺のデモ隊と香港警察の衝突は、香港人にとっては「香港の生死」をかけた最後の抵抗、といっても過言ではないだろう。

 逃犯条例改正が現実味を帯びてきた4月の段階で、香港から逃亡できる人脈と資金がある香港人は次々と香港を引き払って、台湾などに移住していた。今、デモに参加している人たちは、香港を捨てることもできず、このまま中国に言論や集会の自由を奪われてしまう前に、自分たちのできることを精一杯やろうと覚悟を決めている人たちだ。だからこそ、ちょっとしたきっかけで暴力的な衝突が生じかねない緊張の中にあるのだ。

中国側の工作員が暴徒化を扇動?

 6月9日のデモでは一部流血の衝突もおき、警察、市民双方に負傷者が出た。少なくとも中文大学学生4人の身柄拘束が確認されている。12日の拘束者数は午後9時の段階で確認がとれていないが、学生が複数の警官に取り押さえられている映像は流れている。

 9日のデモの混乱は一部にとどまったが、12日の立法会周辺のデモは混乱は拡大中だ。このままデモ隊がおとなしく解散するとも思えない。抵抗運動は、香港の学校、企業、商店、工場、一部交通機関職員のストライキとも連動しており、長引く可能性がある。同時に、中国習近平政権の意向を受けて一切の容赦ない方法で、デモ隊の完全排除に出る可能性もある。

 心配なのは、中国・香港政府サイドが、そういう野蛮な方法をとるために、デモを“暴徒化させる”可能性だ。警察サイドには広東語ではなく、マンダリン(北京官話)を話すものも混じっているという証言があちこちで聞かれ、中国側が送り込んだ“工作員”が平和デモ隊を“暴徒化”に煽動しようとしているのではないか、という噂もながれている。そうすれば警察が暴力的でも、“暴徒”を鎮圧し、香港の治安を守った、という大義名分が立つ。

 9日の大規模デモがおきる2日前の7日、香港の警察車両に火炎瓶を投げつけた男性4人が逮捕される事件があった。だが、多くの香港人は、この事件自体が中国が裏で糸を引く「やらせ」ではないか、と疑っている。ある香港のセルフメディア運営者は言う。「9日に大規模デモを慎重に計画しているときに、警察にデモ実行阻止の口実を与えるようなこうした行動を、香港を守ろうとしている香港人が起こすわけがない。これは香港人が火炎瓶を使いかねないという危険なイメージを国際社会に植え付け、いざとなればデモを暴徒化させて武力鎮圧しようという中国側の罠じゃないか」。

 もちろん彼の言葉も根拠のない憶測である。だが、少なくとも12日の警察の暴力は100%、中国と香港政府サイドに責任があると考えてほしい、と彼らは話している。

 香港は私の海外特派員としての初任地であり、愛着のある自由都市である。だから今、香港のために何かしたいのだが、結局、原稿を書く以外のことは大してできないのだ。

G20で、中国の異様な人権弾圧を取り上げよ

 一つじっくり聞いてほしい演説がある。香港の雨傘運動で主導的な立場で参加していた周庭(アグネス・チョウ)が6月10日に来日し、日本記者クラブで会見したときの発言だ。Youtubeで全部見ることができる。逃犯条例についてこう訴えていた。「香港人だけでなく、みなさま(日本人)が香港にきてビジネスや観光するとしても、移民としてきても、将来中国に引き渡されるかもしれません。・・・日本は民主的国家で自由と法治を大切にする国。日本が中国から軍事的圧力を受けているように、香港は人権的弾圧を受けています。日本政府はもっとこの危険な条例改正に注目してください」・・・。

 流暢な日本語を独学でマスターするほどの日本通の彼女の認識では、日本人も香港人も同様に中国からの暴力的圧力に非暴力で対峙している同志だ。この認識を多くの日本人が共有し、国際社会の中で発言していけば、暴力にさらされ絶望の淵にある香港にも希望が見えてくるのではないだろうか。

 そしてかすかだが、期待を寄せているのは、大阪G20直前の6月24日にペンス副大統領がウッドロー・ウィルソン・センターで中国問題について演説の中に、ウイグル問題などとともに香港の逃犯条例についても触れられることだ。その流れを受けてG20で中国の人権弾圧問題をクローズアップするように、ホスト国の日本の安倍晋三首相が“外交の安倍”の手腕を発揮してほしい。軍事でも経済圧力でもない方法で、香港逃犯条例改正を含む今の中国の異様な圧力政治を思いとどまらせるような国際世論を形成する、そういう外交こそ、今の日本に求められているものではないだろうか。

筆者:福島 香織