慶応から慶大で世代別日本代表など、輝かしい実績を持つ谷田成吾【写真:本人提供】

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「内田聖人&谷田成吾対談第4回」―高校生に伝えたい、離れて感じる早慶の良さ

 アマチュア球界で異端の道を歩んだ2人の25歳がいる。内田聖人と谷田成吾。内田は早実、早大で甲子園出場、大学日本一、谷田は慶応から慶大で世代別日本代表など、輝かしい実績を持つ。社会人野球の名門・JX-ENEOSではチームメートとして都市対抗出場を目指し、汗を流した。そんな2人は昨年から今年にかけ、人生をかけたチャレンジに挑み、大きなターニングポイントを迎えた。

 内田は故障の影響で17年限りで社会人を戦力外になって以降、野球の道を捨てず、天然ガスの営業マンとして社業に勤しむ一方、個人でトレーニングに励んだ。結果、自身でも驚くような復調を遂げ、今年2月から1か月、米国に渡り、トライアウトに挑戦。米強豪独立リーグと契約を勝ち取り、会社を退社して今月から米国に渡る。最大の目標は、MLBもしくはNPBで成り上がることだ。

「由伸2世」の異名で知られた谷田は昨年3月にJX-ENEOSを退社。MLBトライアウトに挑戦し、複数のメジャー球団から声がかかり、テストを受けた。惜しくも契約はならず、以降は日本で四国IL徳島でプレー。NPBドラフトを目指したが、指名は叶わず。25歳で潔く現役引退を決断。今年1月から六本木のIT企業に入社し、ビジネスの世界で成功を目指して第二の人生をスタートさせた。

 2人が対談したら面白いのでは? そんな経緯から、米国挑戦の背景から2人が育った早慶野球部の秘話、現在の野球界に思うことまで本音で語り合った。今回のテーマは「早慶の体育会」。後編となる第4回は高校から7年間過ごした2人が感じた互いの学生の特色、両校の伝統、離れて感じる良さについて明かし、早慶の体育会に関心を持つ高校生に向けてメッセージを送ってくれた。

 ◇ ◇ ◇

――早慶の体育会にいる学生の特色はあるか。

内田「早慶の体育会というプライドはあるんじゃないかな。自分たちは一番見られていると思っているし、どうしても注目される機会が多い。野球部の自分も、それ相応の発言、対応をしないといけないと思っていたかな」

谷田「野球だけって思われたくないという感覚はみんな持っていたよね」

内田「その枠にはしっかりとハマっていた(笑)。グラウンドに出たら早稲田としてあるまじき振る舞いはしない。それは伝統だし、カッコイイとも思っていた。早稲田は少し泥臭いけど、慶応は少しすかしてるよね」

谷田「みんな、すかしてると思わせるようにしてたよね、絶対。すかしてるって思わせて勝つのが一番いいという感じ。でも、実際はがむしゃらにやろうと言われていた。“練習は厳しく、試合は楽しく”が慶応の『エンジョイベースボール』。練習は一生懸命やっていたら、試合は思い切り楽しくやる」

――慶応は「エンジョイベースボール」のイメージが強いが、早稲田も野球部のカラーは強かったのか。

内田「凄くあった。入部すると紙を渡され、早稲田野球は何ぞやを学ぶ。すべての学生の模範であること、立ち居振る舞いについてもそう。ガッツポーズはあまりしなかったし、感情はあまり表に出さない風潮かな。あくまで教育の一環という感じだった」

人脈も強さ? 内田「本気を出せば誰とでもつながれるんじゃないかと」

――早大野球部は伝統的に練習着は上下白、女子マネージャーが六大学で唯一いない。独自の伝統を築いている。

内田「うちは真っ白じゃないといけなかったし、全体練習の最後は全員で足を揃えてランニング。マネージャーも選手から出すという決まり。1年生から2年生になる時に学年から1人を選んで必ず出す。だから、女子マネージャーになるとしたら1年間選手をするしかないから、今のところいない」

――特徴的なものに早慶戦がある。各部活がライバルとして対抗戦を確立している。最も代表的なものが東京六大学野球。プロ野球より観客が入ることもある環境は選手にとってどんな位置づけか。

内田「自分は高校から早実だったので、より染みついている部分はあるけど、大学選手権で優勝するより六大学で優勝することが一番の目標だった。その次に早慶戦で勝つこと、その下に全日本という感じ。刷り込まれたライバル関係だったかな」

谷田「でも、ありがたいよね。あんなに大舞台を用意してくれている。野球部は(第2戦が)NHKで中継される。それは自分たちで用意したわけじゃない。そこは勘違いしちゃいけない。昔から先輩たちがいいものを提供し続けたから、今もあれだけ人が集まる。いい舞台を用意してもらって、凄くありがたい」

内田「個人的にはいつも優勝決定戦にしたかった。早慶戦で優勝を争うことは見ている人への恩返し。六大学もかなり取り上げてもらえるけど、あの舞台は六大学の華だし、特別なもの。当時はどの試合も一生懸命やって、早慶戦はお客さん入って楽しいくらいの感覚だったけど、今思うとあの舞台を作り出した伝統は半端じゃない」

――競技を離れて早慶の体育会出身で良かったと感じる点はあるか。

内田「嫌らしい話だけど、何か情報を集める時、ポンポンと人につながるイメージは他大学の友達よりあった。自分でやるには限界があるから人に頼らないといけない。この人の話を聞きたいと思えば、本気を出せば誰とでもつながれるんじゃないかという」

谷田「後輩思いの先輩が多い文化なので、困った時に助けてくれたり、話聞きたいと言ったらいいよと快諾してくれたり。そういうところはいいところかな」

内田「情報は集めやすいって感じない? その専門的な情報が欲しい時に2人くらい挟めばつながれる感じ。そういうのは普通はないんじゃないかなと思う」

谷田「そういう面はあるかもしれないね」

高校生に伝えたい魅力、谷田「入らない方がいいということは絶対ない」

内田「大学くらいまでは人に頼ることしなかったけど、大学3年で怪我してから自分でやるには限界あるなと思い始めた。野球のことも怪我のこともそれ以外のことも。人に頼んなきゃなと思って、当たり前のように頼っていたけど、もしかしたらそういう人に出会うのも大変かなと思う。そういう環境ではあったのかな」

谷田「それはあると思う。でも、勘違いする人もいる。自分が凄いって」

――早慶体育会は伝統的に就職に強いイメージ。同級生も大手企業に勤めている人は多いか。

内田「ほとんど行っている。いわゆる大企業には」

谷田「もちろん多い。でも、大手に行く人もみんな就活を一生懸命やっていた。就職浪人も珍しくないし。だから、早慶の野球部だから採ってくれるのは違うと思う。自分が社長だとしたら野球部だから採るかといってもならなくない? ある程度、頑張ってくれるのかな程度には思うけど。イメージしやすく、何かを頑張っている人が来たという目に見えやすさはあるかな」

内田「アドバンテージはあるかもしれないね。ただ、みんな就活頑張っていたよね」

谷田「神宮で試合後に面接受けに行ったりしている人もいたし」

内田「一番大変そうなのはリーグ戦に出ていて、社会人野球で続けたいけど、まだ声がかからず、やれるかやれないかわからない状況で、野球も就活もしなきゃいけないという選手も当時はいたかな」

――早慶の体育会に興味を持っている中高生に何が良かったと伝えたいか。

谷田「前提として、早慶だから無条件についてくることは何もないということ。その上で良いところはいくつかある。まずは頑張れる環境が整っていること。勉強したかったら勉強できるし、野球を頑張りたかったら頑張れる、いい環境がある。もう一つはいい仲間、いろんな人がいる。一生懸命に勉強してきた人もいれば、野球をやってきた人もいるし、両立してきている人もいる。学校には文系、理系さまざまいて、医者を目指している人もいた。周りに引き上げられる部分もあるし、自分が頑張っていれば周りからも評価してもらえる。それも環境のうちかな。慶応も早稲田も、いい仲間がいるし、いい環境があるし、いい先輩もいる。すべて自分の頑張り次第だけど、入らない方がいいということは絶対ない」

内田「早慶に行っても入ってから次第じゃない? 差といえば、早稲田は医学部がないくらいかな」

谷田「入ってから次第。決めるにあたってはフィーリングが大事。しっかりと情報を集めて、自分で決断してほしいね」

(24日掲載の第5回に続く)

◇内田 聖人(うちだ・きよひと)

 1994年3月1日、静岡・伊東市生まれ。25歳。伊東シニアで日本一を経験。早実高2年夏に甲子園出場し、背番号1を着けた3年夏は西東京大会で高山俊(現阪神)、横尾俊建(現日本ハム)らを擁する日大三に2失点完投も準V。早大では1年春に大学日本一を経験したが、3年時に右肘を故障。社会人野球JX-ENEOSに進んだが、故障の影響もあり2年で戦力外に。以降は社業に就き、天然ガスの営業マンを務める傍ら、個人で1年間トレーニングに励んで復調。今年2月から1か月間、米国でトライアウトに挑戦し、2Aクラスの独立リーグ・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約。会社を退社し、NPB、MLBに挑戦する。右投右打。

◇谷田 成吾(やだ・せいご)

 1993年5月25日、埼玉・川口市生まれ。25歳。東練馬リトルシニアから慶応高に進学。通算76本塁打を放った。甲子園出場なし。慶大ではリーグ戦通算15本塁打をマーク。4年秋にドラフト指名漏れを味わい、社会人野球のJX-ENEOS入り。高校、大学、社会人すべてのカテゴリーで日本代表を経験した。社会人3年目の18年3月に退社し、MLBトライアウトに挑戦。複数球団の調査を受けたが、契約に至らず。帰国後は四国IL徳島でプレー。昨秋のドラフト会議で指名ならず、引退した。一般企業20社以上から興味を示されたが、今年1月にIT企業「ショーケース・ティービー(現ショーケース)」入社。WEBマーケティングを担う。右投左打。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)