栃木ゴールデンブレーブス・若松駿太【写真:小西亮】

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忘れられない戦力外通告の衝撃「なんで、オレ?」 明け方まで呑んだくれた

 恵まれているとは言えない環境を、むしろ楽しんでいるように見える。「変化の1年だと思う」。独立リーグでのデビュー登板を2日後に控えた4月5日の夜、若松駿太投手は大衆居酒屋にいた。昨季限りで中日を戦力外となり、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに求めた新天地。NPB復帰への再出発を語った元10勝投手の隣には、ひとりの女性の姿もあった。

「なんで、オレ?」。今でも衝撃は忘れない。2018年10月1日。名古屋市内の球団事務所に呼ばれ、球団代表から「来季の戦力としては考えていない」と告げられた。1軍登板がなかったその年の成績だけ見れば納得はできるが、積み重ねてきた実績も無下にされたようだった。プロ3年目の15年に10勝4敗の成績を残し、一気にブレーク。代名詞となったチェンジアップは、球界の一流打者たちに「分かっていても打てない」と言わしめた。

 16年は7勝、17年は1勝と成績は下降したが、まだ20代前半。右肩痛で出遅れた18年シーズンも、春過ぎには臨戦態勢は整っていた。だが、1軍から声がかかる気配はない。それどころか、2軍のメンバーにさえ入れない日もあった。「投げられるのに……」。首脳陣に理由を問うても、納得する答えは返ってこない。明け透けなく物言う性格が煙たがられることもあり、精神的なストレスがつい態度に表れると周囲には「生意気だ」と映った。心にしこりを抱えたまま、告げられたクビの宣告。ヤケになるなという方が無理だった。

 それから4日間、名古屋の繁華街に毎晩繰り出して明け方まで呑んだくれた。野球をやめることも考えた。「家にいると、嫌なことばっかり考えちゃうから。どういう選択をするにしても、1回リセットする時間が必要だと思った」。人前で涙は見せまいと堪えられたのは、自分以上に悲しんでくれる存在がいたからだ。1歳下で交際中の沙苗さんが、目の前で号泣している。「体が元気なうちに野球を諦めるのは違うんじゃないかな」。そう背中を押され、12球団合同トライアウトに参加。NPBから声は掛からず、真っ先に話をくれた栃木への入団を決めた。

独立リーグで戦うこと以外にももう一つの大きな決断「結婚してほしい」

 中日時代の最高年俸3600万円から考えると、年収ベースで15分の1以下になった。加えて、縁もゆかりもない栃木の地。練習場まで車で1時間かかることもある。NPBに戻れる保証も全くない。そんな逆境でも、若松は「オレっぽい場所」だと言う。無名の福岡・祐誠高からドラフト7位入団で始まったプロ人生。さして周囲の期待を感じない環境で、その右腕だけでのし上がってきた。「全てを覚悟してやるしかない」。男としてのけじめをつけるのも、当然だと思った。

 19年が明けて間もなく。婚姻届を入れた封筒を手渡し「結婚してほしい」とプロポーズした。沙苗さんは冷静になって1か月考えた末、仕事を辞めて栃木にやって来た。「苦労するかもしれないけど、そばで支えたいなって」。2人で始めた慎ましい新生活。10万円単位の買い物でさえ値札を見ることがなかった若松が、今ではスーパーの安売りの日を狙って買い物に行く。賞味期限は必ずチェック。外食するときも食べ放題の店を好んで選び、腹を満たす。「欲しいものはありますけど、今じゃないかなって」。我慢も覚悟のひとつ。生活が落ち着けば、婚姻届を提出する。

 4月7日。群馬ダイヤモンドペガサス戦で独立リーグ初先発し、7回5安打3失点で初白星を挙げた。夕日に照らされるバックネット裏のスタンドには、もちろん沙苗さんの姿がある。二人三脚で、またあの華やかな場所へ―。若松の目は、2桁勝利を挙げた時のようにギラついてきた。「意識しすぎず、結果を積み重ねた先にNPBがあるはず。いつか、さな(沙苗さん)に楽をさせてあげたい」。背負ったものが大きい方が、きっと強くなれると信じている。(小西亮 / Ryo Konishi)