"Old doctors never die, they simply fade away..."

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先日、過去に東京医科大学を受験し不合格となった女性33人が同大に対して総額1億3千万円弱の損害賠償訴訟を起こしたというニュースが報じられた。女性や多浪の受験生に対する差別として社会問題化した一連の医学部不正入試問題での新たな展開。この問題は昨年7月に発覚した文部科学省汚職事件に端を発する。自分の子供を東京医科大学に合格させることを見返りとして同大に便宜を図った文科省の局長が受託収賄の疑いで逮捕された事件だ。

医学部入試ではないが海の向こうアメリカでは2週間前、違法な方法でエール大学をはじめとする名門大学への裏口入学を仲介していたコンサルタントとその依頼人になった親たちや大学関係者など50人ほどが贈収賄容疑で逮捕された。逮捕された親の中にハリウッドの人気女優など著名人が含まれていたことや、謝礼の合計が日本円にして27億円余りと高額だったこともあり騒ぎに拍車がかかったようだ。

これら事件が純粋に子の人生を慮る親心から起きたものだったのかは知る由もないが、ニュースを聞きながらふと、医師だった親父は同じ医師になった僕のキャリアをどのような思いで見ていたのだろうと思った。

僕の親父に関しては先日も書いたが、この3月14日が11回目の命日で昨日24日は誕生日だった。「俺は120歳まで生きてみせる」が口癖だった親父が今も健在だったら117歳。

親父とは大学こそ同じだったが、親父は内科医で僕は外科医。親父は開業医で僕は大学病院の勤務医。僕の医学部在籍中だっただろうか。親父が僕に内科医院を将来手伝うつもりがあるか尋ねたことがあった。当時は医院の改築を検討していたのか、僕の意志表示によって親父の計画が何かしら左右される状況だったというおぼろげな記憶しかない。結局僕は卒業後の1年間を当時米軍に接収され米軍極東中央病院となっていた現在の聖路加国際病院でインターンとして過ごしたのちに渡米。8年間、ニューヨーク州立大学オールバニー校の大学病院で形成外科医として働いた。親子関係は良好だったが、日本を留守にした期間が長く専門分野も異なったためか、医師としての親子の会話は少なかったように思う。

形成外科の場合、他の外科領域や皮膚科との関わりに比べると内科との関わりは一般的に少なめだ。僕は22年前に定年退職し、その後アンチエイジング医学や医療に深く関わるようになり、内科医との関わりや内科領域の興味・知識が深まるようになった。遥か昔に親父から聞いた内科系の話や親父が書き残したものなど、今になってなるほどと思うものもある。「お前さんもようやく分かるようになったか」と言う親父の声が聞こえてきそうだ。

西洋医学は僕が医者になってからの60余年の間に急速な進歩を遂げた。それとともに専門化や細分化も進んだ。一方、20年ほど前から本格化したアンチエイジング医学・医療では身体のあらゆる部位が対象となり、縦割りの専門領域を横断する形で行う研究や診療も多い。僕の専門である「見た目のアンチエイジング」の形成外科・美容外科領域でも内科領域に深く関わるものもある。専門化や細分化が進むととかく「木を見て森を見ず」に陥りがち。アンチエイジングに関わる身だからこそそうならぬよう、今後も「木を見て森も見よう」の精神で取り組んでいきたい。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」