岩手県立不来方(こずかた)高校生徒の自死について、県教育委員会も調書を作るが…(写真:筆者撮影)

バレーボールのU18代表候補に選ばれるほどの才能を持った17歳の生徒が、自ら命を絶った。

岩手県立不来方高校(紫波郡矢巾町)の男子バレーボール部に所属していた3年生の生徒が、7月3日に自死した。そのわずか半年前には春高バレーに出場。中学では日本選抜(12人)入りし、この3月には高校日本選抜を決める最終合宿まで残るほどの逸材だった。

なぜ生徒は自死を選んだのか。前回記事(岩手17歳バレー部員は「遺書」に何を書いたか)では生徒が残した遺書と、県教育委員会が作成した調書について紹介した。続く今回記事では、生徒に厳しい指導を行っていたバレーボール部顧問(41)の不可解な行動と、校長はじめ学校側の対応について取り上げる。

数カ月前からの違和感

不穏な空気は、生徒が亡くなる数カ月前から漂っていた。

両親が振り返って、強い違和感を覚える出来事がある。生徒は今年3月、日本バレーボール協会が全国の有望な高校生を集め、高校日本代表を選ぶための最終合宿に呼ばれ、参加している。20数人の候補から12人に絞られるのだが、生徒はその選考からは漏れてしまった。

ところが両親と息子が落選という重要な事実を知るのは、それから数カ月も経ってからのことだ。

「振り返ると、その合宿の後から、それまで頻繁にあった顧問からのメールがぱったり来なくなったんです。しかも、最終選考に残ったかどうかの結果も知らせてはもらえませんでした」(母親)

顧問と母親はそれまで息子の活動について、密に連絡を取り合ってきた。息子が亡くなった直後、母親が顧問にすぐ連絡したのも、それだけ近い関係だったからだ。

生徒は他の候補選手のSNSを見て、母親はバレーボール雑誌を見て、落選の事実を知ったという。

驚いた母親は、顧問に会った際に「落ちちゃいましたね」と自分から声をかけた。すると、「僕も雑誌を見て知った」と答えたそうだ。しかし、日本バレーボール協会が部活動の責任者である顧問に対し、合否を知らせていないとは考えづらい。顧問に何らかの思いがあり、あえて結果を連絡しなかったと考えるのが自然だ。


岩手県立不来方高校の外観(写真:筆者提供)

県教委の調書にも、今年の春くらいから顧問の生徒への当たりがきつくなったと答えた部員がいた。

母親も「(代表から)漏れてしまってから、(うちの子への)当たりがきつくなったのかもしれない」と振り返る。

両親によると、顧問はもともと、カッとなりやすいタイプだったという。怒ると何を言っているかわからないほど、早口でまくしたてる。試合後の説教も長かった。汗に濡れたユニホーム姿の選手を1時間以上立たせたまま話し続けることもあった。

体罰で係争中の顧問を、なぜ県と学校は配置したのか

もうひとつ不可解な点がある。一部報道でも明らかになっているが、この顧問は前任校での体罰を元バレー部員に訴えられ、係争中だ。しかし、そうした事実を両親を含む部員の保護者が知ったのは、生徒が亡くなってからのことだ。そもそもなぜそうした人物を、県教委と学校側は平然とバレーボール部の顧問にしていたのか。

「顧問が元部員に訴えられていることなど、僕らはまったく知らされていなかった。そんな教員だとわかっていれば、任せたりしなかった」と父親は憤りを隠さない。

そうした両親に対し、不来方高校の校長の対応はそっけない。新聞報道などでも紹介されているが、校長は問題発覚当初から「顧問の指導に問題はなかった」の一点張りだ。亡くなった生徒の遺書、また県教委の調書にも、顧問による度を超えた指導の様子が書かれているにもかかわらずだ。

母親は息子の私物を受け取りに学校へ行った際、校長と教頭、担任に遺書のコピーを渡している。そして、「先生(顧問)のことが書いてあるので、先生に見せますよね?」と促した。ところが校長らの反応は、「見せません。いま、(顧問は)精神的に弱っているので」と断られたという。

「驚きしかなかったです」(母親)

人が亡くなっているのに、その原因究明よりも身内である顧問を守ることを優先していると言われてもおかしくない対応ではないだろうか。

納得のいかない母親はその後、「見せないのはおかしいのでは?」「なぜ見せないんですか?」と学校側に食い下がった。その数日後、校長から「見せました」と報告を受けたが、それだけだった。校長も顧問も、現在まで説明や謝罪などには訪れていない。

両親と兄に宛てた遺書は、A4の紙に丁寧な字で500文字ほど書かれていた。しかし、その遺書を校長は「メモ紙のようなもの」と地元メディアに説明している。校長らにとって、遺書はそれほど軽いものだったのだろうか。

生徒が亡くなっても、顧問は指導を続けた

さらに腑に落ちないのは、生徒が亡くなった後も顧問は活動を自粛することもなく、それまでどおりバレーボール部の指導を続けていたのだ。

両親は「自粛するべきではないか?」と校長に問うた。そうしてはじめて、「では、自粛するように言います」となったという。その後は、顧問は学校の授業はしているものの、バレーボール部の活動には参加していないと、両親は聞いているという。

校長は、顧問を姓ではなく下の名前で呼んでいる。「私は○○を信じています。前任校からは、彼なりに成長しているんです。やり直す機会を与えてやってください」と両親に願い出たという。さらに、「(顧問は当校在籍が)もう6年なので、次はバレーが強くない学校に異動させますから」とも話したという。

はたしてそれは、子どもを亡くした親に対して発してもよい言葉なのだろうか。

「息子の遺書をメモ紙と言ったり、顧問を信じていると言ったり。亡くなった生徒よりも、自分の部下(を守ること)ありきに見えてしかたがなかった」(父親)

こういった言動は、問題が起きた学校の長としていかにも不適切だ。

2012年12月に大阪市立桜宮高校バスケットボール部で顧問の暴力やパワハラを苦に17歳の男子部員が命を絶った事件を機に、スポーツ界と教育界は暴力根絶に舵を切った。昨今続くスポーツ界の問題に鑑みれば改革は道半ばと言わざるをえないが、その一方で、選手が次々と告発する姿に大きな変化を見る。

彼らが立ち上がれたのは、何よりも日本の社会全体が指導者のパワハラに敏感に反応し始めたからだ。選手の尊厳を傷つける暴力や暴言に、人々ははっきりと「NO」を突き付けている。

デジタルでつながるこの情報化社会に、地方と中央の温度差など言い訳にならない。しかも、ここ数年で中学生のいじめ自殺が連続した同県は、多くを学んでいるはずだ。

さらにいえば、文科省が各都道府県教委へ通達している「子供の自殺が起きたときの背景調査の指針(改定版)」の【遺族との関わり】には、「遺族が背景調査に切実な心情を持つことを理解し、その要望・意見を十分に聴き取るとともに、できる限りの配慮と説明を行う」と明記されている。

こうした中、両親は、足元の不穏な動きに危機感を募らせている。学校側がこの顧問をバレーボール部に復帰させたうえで、春高バレー予選会に出場させようとする動きがあるというのだ。

両親は「息子のチームメートたちには春高に出てほしいが、顧問を再び部活動にかかわらせるのは、やめてほしい」と学校に申し出ている。しかし、学校側が代替の指導者を県バレー協会に要請したというような報告は受けていないという。

パワハラ死ではないのか

両親をサポートする草場裕之弁護士はこう指摘する。

「この事件は、17歳の高校生が部活動でパワハラによって自殺に追い込まれた指導死であり、パワハラ死だと思います。県教委対応にも問題があります。県教委は、前任校での体罰を元バレー部員に訴えられて係争中であることについて、裁判で結果が出ていない処分保留の状態だと言っています。しかし、暴行の嫌疑がある以上は部活現場からは隔離すべきでしたし、一審判決で暴行の一部が認定された時点で部活指導を停止させるべきだった。適切な人事が行われていれば、彼の人生は続いていたはずだ」

このような事態にもかかわらず、学校側、校長は危機感のない対応に終始している。

学校における体罰やパワハラを長年取材してきた筆者には、校長がこう考えているように思えてならない。「かつて、確かに顧問は体罰をしていたが、今は言葉で指導しているだけであり、手は出していないじゃないか。成長しているではないか」と。

しかし、「いじめ自殺」は、肉体的な傷を負ったというだけでなく、心に傷を負った末に起きている。激しい体罰が介在しなくても、少年たちは死を選ぶ。「パワハラ」には人から生きるエネルギーを奪い、正しい判断力を奪う恐ろしい力がある。そしてスポーツ界がパワハラの温床になりやすいことは、レスリングや日大アメフト問題など、昨今続く不祥事も教えてくれていたのではなかったか。

桜宮事件から5年が経つ。あのとき「二度とこのような痛ましい事件を起こしてはならない」と学校現場とスポーツ界は誓ったはずだ。そのときの経験が、活かされるときは来るのだろうか。