戦場カメラマン・渡部陽一さんが人生初の映像作品に挑戦。山形県ものづくりPR動画「ものの婦」を公開
――山形の「ものの婦」を実際に撮影して、どんなことが印象に残っていますか?
「一番は目の動きですね。最初、カメラを脇に置いて話し出すと、優しいお母さんの目になるんです。でも、いざカメラを回し出すと、職人さんの目になる。僕は個人的に接近型の撮影が好きなんですけど、目を撮影する中で気付いたのは、一点に集中しつつも、わずか1センチぐらいの瞳の中で、カチャカチャ細かくフォーカスが動いているんですよ。その目の動きに、どの職人さんのお話の中でも出ていた、山形の『ものの婦』がその地で継承してきた、作ったものを使う人への“気配り”というキーワードが現れている気がしました」。
「職人さんを何よりもリスペクトするのは、毎日コツコツ何十年もかけて磨き続けた技を、そこに根付かせていくことなんですね。そういう自分が決断した道をぶれずに極めていく気持ちというものは、一体どこから生まれてきて、今も整え、保っているのか。継続の力、不動の力を知りたいと、職種を問わず感じていました。お話する中で、山形の「ものの婦」は厳しさもあり、職人として向き合って行く考え方も根付いていると感じましたが、特に印象に残っているのは、私はモノを作りたかった、という非常にシンプルな言葉です。モノを作りたいから、私はここで暮らして、家族の時間を大切にしていると。僕だけでなく、日本のどの地域の方も、日常の中で本当に大切なことってなんだろう、大切にしたいと思っていることってなんだろうって考えることがあると思います。そんな不安を取り払い、温かい期待を抱かせる魅力が、山形にはたくさんあると感じました」。
――今回の撮影を通じて、山形にはどんなイメージをお持ちになりましたか?
「オリエンタルカーペットの森谷さんのような百戦錬磨の年配の方から、若くして蔵元を切り盛りする長沼合名会社の真知子さん、生まれ育った東京を飛び出して剪定鋏職人の道を選んだ飛塚製鋏所の千鶴さん、そして社内で2人しかいないマイスターとして各現場を統括し、若手の育成も担う山形カシオ株式会社の松枝さんと土井さん。山形で出会ったこの5人をはじめとする『ものの婦』たちは、“気配り”というキーワードから、しっかりと自分の技をその地に根付かせて、技の継承をけん引していました。今、日本各地で大切にしようとしている技の継承が、この山形には完全に根付いていますよね。自分が生まれ育ったニッポン、そして山形を見ることで、そうした『ものの婦』の思いや言葉、姿勢を、シンプルに伝えていきたいと思いました」。