ジュビロ磐田
名波浩監督インタビュー(前編)

ジュビロ磐田は昨季、J1に復帰した2016年シーズンの年間13位から大きくジャンプアップ。6位という成績で2017年シーズンを終えた。リーグ戦中盤に6連勝して快進撃を見せるなど、残留争いに加わった2016年シーズンとは明らかに違った。その戦いぶりは、指揮官である名波浩監督にどう映っていたのか、直撃した――。

――まずお聞きしたいのは、昨季最終節の鹿島アントラーズ戦のことです。相手が勝利すれば、目の前でリーグ優勝が決まる状況。どのような思いで試合に臨みましたか。

「個人的な思いとしては、鹿島の監督が(大岩)剛である、ということがひとつあります。彼とは同級生で、出会ったのは小学生の頃。当初は同じようなポジションで、お互いに珍しい苗字ということもあって、すぐに(その存在を)覚え合った仲で、そこから中学校の県選抜や清水市商高(現・清水桜が丘高)で一緒にプレーをしてきた。

 もちろんプロになってからも、その存在を意識して、日本代表では一緒に切磋琢磨してきた間柄。いわば、大親友みたいなものですよね。その彼が率いているチームだからこそ、全力でぶつかって、倒しにいきたい思いは強かった。

 加えてジュビロにとっては、鹿島というクラブには強い思い入れがあるというか、とても意識する存在。過去を振り返れば、ともに(ライバルとして)タイトルを争ってきた歴史がある。そういう背景もあって、クラブ全体として、より強い気持ちで鹿島戦には向かっていけた。

 あと、これは付加価値というか、おまけみたいなものだったけど、我々が勝てば、(2018年シーズンの)AFCチャンピオンズリーグ出場の可能性が少しだけ残っていた。こうしたことをプラスにして、何よりホームのヤマハスタジアムで、この(大一番となる)最終戦を迎えられたことは大きかった」



最終節では優勝を狙う鹿島相手にも互角以上の戦いを見せたジュビロ

――選手たちの目の色も違っていましたか。

「試合前の最後のミーティングでも選手たちに伝えたのですが、我々は2014年のJ1昇格プレーオフで、(相手の)ゴールキーパーに得点を許して昇格を逃した。ある意味、世界中に恥ずかしい姿をさらしたわけですよ。そこから這い上がってきて、(国内トップリーグの)優勝を目前にした相手と戦えるような、大舞台に立つまでになった。それは自他ともに認める、これまでの積み上げであり、成長の証(あかし)だぞ、と。

 ボードに『世界に恥をさらしたクラブ』と書いて、そこから矢印を引っ張って、『大舞台を経験できるクラブ』と書き込み、(選手たちの)視覚にも訴えた。当時を知る選手たちは感慨深かっただろうし、知らない選手にしても(中村)俊輔ら、いろいろな経験をしてきている選手たちも思うところはあったはず。ここまで来るまでの経緯も話しましたから」

――結果、試合は0-0の引き分け。鹿島の優勝を阻止しました。白熱した試合内容からは選手たちの闘争心を感じましたし、昨季の集大成を見るかのような戦いぶりでした。

「鹿島に対して引くことなく、自分たちから積極的に仕掛けていった。アグレッシブに守備をして、ボールを奪ったその勢いのまま攻勢に展開。後ろから選手たちが(ボールを持った選手を)追い越していく動きを見せるなど、迫力のある攻撃を披露してくれた。後半は押し込まれる時間帯も増えたけど、前半の45分間はゲーム内容を含めて、とてもよかったと思います。

 それと、これは余談ですけど、(期限付き移籍で3年在籍していた)川辺駿の存在。彼の成長を感じることもできました。実はあの試合の時点で、(川辺は)今季からサンフレッチェ広島に復帰することが決まっていたんですね。それで、メンバー外の選手たちとハイタッチしているときから駿は泣いていて、山田(大記)からは『おまえ、なんで試合前に泣くんだよ』って突っ込まれていたんですけど、(ジュビロでの)最後の試合でよくやってくれました。

 彼は、僕らクラブにとっては息子みたいなもの。だからといって、ただかわいがってきたわけではなく、時にはライオンの親子で言う、崖から落として(指導して)きたことが何度もありました。最終戦の3週間前くらいにも、練習に身が入っていなかったので、『おまえ、(練習から)抜けろ!』と言って、ひとりで練習場の外を走らせていましたから。いずれ、日本代表や欧州のクラブでプレーすることを目指していくならば、と本当に厳しく育ててきました。

 また、昨季は俊輔が加入して、代表レベルの選手はこういうものなんだ、ということも肌で感じられたはず。なにしろ、40歳近い選手が果敢にスライディングして、体を張っている姿を目の前で見ているわけですからね、『自分もやらなければいけない』という気持ちにもなっただろうし、さらなる向上心が芽生えたんじゃないでしょうか」

――昨季を振り返ると、リーグ戦では一昨季の(年間)13位から一気に躍進して6位。その成績について、率直な感想を聞かせてください。

「正直、出来すぎ。シーズン16勝(昨季は8勝)ですからね。(第14節〜19節の)6連勝がその象徴ではあるんですが、(飛躍した)その要因としては連勝する前の2試合、(第11節の)川崎フロンターレ戦、(第12節の)柏レイソル戦と連敗を喫した。実はあそこが、チームにとっては大きかった。

 2016年シーズンのことを言えば、うちはまったくボールがつなげなかったわけですよ。それで、昨季はボールを奪う位置をより高く設定して、そこに(新たに)俊輔が加わった。そうした状況の中で、連敗した2試合ではスコアこそ0-2だったんですけど、しっかりと守れるというところを見せながら、攻撃にもいろいろなアクセントを散りばめて、フィニッシュまでいくことができていた。

 スコアだけ見れば、完敗のように見えますけど、失点は本当にちょっとしたミスによるもので、内容は決して悪いものではなかったんです。あの2試合で、『俺たちはやれる』という手応えを選手たちも感じていた。その後、(第13節の)広島戦も引き分けてしまったんですけど、(第14節の)ガンバ大阪戦で3-0と勝利して、完全に自信を得た。そこで勢いに乗って6連勝を飾って、それが昨季の好成績につながった。

 あとは、うまく3バックと4バックを組み合わせて、選手たちを気持ちよく泳がせてきましたから(笑)。システムの併用は、選手たちの順応性を提示することにもつながったと思います」

――3バックと4バックを用いることで、選手起用のバリエーションも増えるのではないでしょうか。

「そういうことです。それによって、チームの引き出しが増える、ということがひとつあります。加えて、選手たちの組み合わせによるバリエーションも増える。

 さらに、選手個々のポテンシャルも磨かれる。7〜8mのアングルと(ラインの)高さ、3〜4mの幅を意識しておけば、(3バックでも、4バックでも対応)できるという感覚と自信が(選手に)つきます。

 3バックと4バックを併用して、選手たちがプレーする景色を変えることによって、ストレスを解消してあげたり、前に出ていける状況を作ってあげたり、ということもできました」

――最終節の鹿島戦でもそうでしたが、3バック時でもDFラインの設定が高かったのが印象的でした。

「(鹿島戦も)高く設定していましたね。疲れてきた時間帯でも、僕に怒られると思ったら、(選手たちが)自然と3mぐらいはラインを上げるようになりましたから(笑)。それは、シーズンを通して口酸っぱく言ってきたからこそ。あとは、横幅も意識させました。コンパクトにしろ、と」

――DFラインだけでなく、前線のシステムもいくつかのバリエーションを試されたのでしょうか。

「紅白戦では、アダイウトンと川又(堅碁)の2トップに、俊輔のトップ下という形も試しました。これがものすごくよくて、守備もハマッていて、ヒデ(鈴木秀人)やマコ(田中誠)らコーチ陣に聞いても、同じ見解だった。

 同時に、(昨季の基本形だった)川又を1トップにしたアダイウトンと俊輔の2シャドーという形もやって、選手たちにも意見を聞いたんですね。そうしたら、外から見ている僕らスタッフ陣は断然前者がいいと思っていたんですが、選手たちは満場一致で1トップ2シャドーの後者でした。

 それも、選手全員を集めて聞いたわけではないんですよ。俊輔あたりが『こっちがいい』と言ったら、みんながそれに賛同してしまう可能性があるので、俊輔や駿、ムサエフに、(大井)健太郎、あと(高橋)祥平とか、選手ひとりずつ呼び止めて話を聞いたんですけど、全員同じ答えでした。

 外から見ているのと、ピッチ内で実際にプレーしている選手(の感覚)とでは、違うものなんですね。聞いてみないとわからないことだな、と思いました。それで、1トップ2シャドーに固定したことで、このメンバーでのサッカーが完成形に近づいていきました」

(つづく)

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