横綱の推薦を主な任務とする横綱審議委員会が20日の会見で、異例の「貴乃花批判」を行ったことが話題になっている昨今、前回掲載の記事「日馬富士事件、法律より強い「横綱の正義」なんてあるのだろうか」で、連日報じられている日馬富士事件を「単純な暴行事件」と一喝したメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の著者で中部大学教授の武田先生。今回は、同席していた白鵬・鶴竜以下、相撲関係者を厳しく糾弾するとともに、相撲協会の聴取に応じない貴乃花親方ばかりをクローズアップするマスコミの姿勢に疑問を呈しています。

日馬富士事件と日本(2) 同席していた白鵬と鶴竜はどうするべきだったか?

相撲の世界に「人情」は存在するのか?事件当時の傍観者たち

民主主義でなくても先進国でなくても、さらに古代の国家でも、「人情の厚い社会」は昔からありました。そして日本もその一つでしたし、フィリピンなどの多くの国も私が知っている限りではほぼ同じような人情を感じます。

ここでいう人情とは、たとえば、お腹が痛い(癪)と蹲っている道端のご婦人を助ける(江戸時代)、日本から遠いトルコの軍艦が荒れた海で遭難したら日本の漁民が命懸けで助ける(エルトゥールル号事件、明治23年)、などのことで、苦しんでいる人が誰であれ、そんな人が目の前にいたら手を差し伸べるのが「人情」であって、格別「法治国家」とか「日本社会」などを持ち出す必要もありません。

白鵬と鶴竜は、日馬富士が貴ノ岩を殴っているときに傍観していたようです。そして、傷ついた貴ノ岩が痛がっているのに救急車を呼びませんでした。このことは、先進国とか遅れている国とか、さらには日本の文化とかモンゴルの社会などの違いの問題ではなく、「白鵬と鶴竜は人間の情を持っている人物か」という人間として基本的な疑問に関係するものです。

つまり、横綱というのは綱を締めているということから、人間より高貴な神様に近いと擬するわけですから、綱を張っている白鵬と鶴竜はみずからの行為を恥じて相撲協会に進退伺を出すのは当然のことです。それよりまずは「自分がとった行為は本当に恥ずかしかった」と公言して、そのような態度をとるべきでしょう。

また、もちろん、ある場所に同席している人が複数の場合、その中でもっとも社会的に地位があったり、年長だったりする人が、その場でなすべきことを決めるのが普通ですが、その決定が不適切だった場合(つまり今回のように横綱がいても、暴行を止めなかったり、傷ついた貴ノ岩を助けなかったりした場合)、より地位が低かったり、若い人が「暴行を止めるべきではないか、病院に連れていくべきではないか」と叫ぶのもまた人情と言えます。

日馬富士が暴行を働いている間、傍観していた力士や救急車を呼ばなかった力士は、まず「反省の弁」を公表し、次に横綱に続いて相撲協会に対して引退伺いを出すべきでしょう。それは「社会人として人間としてするべきことをしなかった」ということを自覚していることになるからです。

なぜテレビや報道は「非協力的な貴乃花親方」に焦点をあてたのか

第二の問題は、スポーツが文科省に所属しているように、スポーツというのはボールを追いかけたり、槍を遠くに投げるという一見して意味のないことを競争として行うものですが、それでも成績の良いスポーツマンは尊敬され、時には国民栄誉賞に輝くのは、「スポーツそのものではなく、スポーツが人間を立派にする」ということで社会が尊敬の念を持っているからです。

今回の事件は、このような意味でスポーツの価値を貶め、一般人より人情の劣る人たちということになったという点で社会的な打撃が大きかったといえます。

しかし、現実には事件の直後から「協会に協力しない貴乃花親方」に焦点があたり、事件そのものの整理や評価が遅れたのは、なぜでしょうか?特に相撲関係者で横綱審議会や危機管理委員会などの人たちがほぼ一斉に貴乃花を非難し、日馬富士の引退を評価したり、同席していた白鵬の発言を咎めなかった理由を考えてみる必要があります。

私は長く相撲を見てきましたし、年に一度開かれる名古屋場所に毎年行っていますが、私が相撲を見たいのは、裏に暴力があったりお金のやり取りをしたり、国や郷里のことで相撲を汚したりするような相撲ではありません。インタビューにはうまく応じられないけれど、黙々と修業を積み、人格を磨き上げていくお相撲取りの姿に感激するからです。

またスポーツに原則として国境はありませんが、それぞれに国には国技ともいえる特有のスポーツがあり、その国の伝統を表しているのも事実です。相撲は神事であり、日本の文化でもあります。他の国の力士は必ずしもすべてにおいて日本の伝統に従う必要はありませんが、少なくとも人間として尊重されるような言動が必要なことは万国共通です。

その意味で、もっとも相撲ファンであるべき相撲協会の関係者が、日馬富士および同席者に対して処罰の議論を進めないのは理解できないことです。また、テレビ、新聞もどちらかというと被害者の貴ノ岩関係者に厳しく、加害者に甘い姿勢が見られました。その中には「相撲には暴力が伴うのだ」とか、「協会に逆らうなんてとんでもない」などの意見があるとともに、「社会の規律より相撲の社会の悪癖を大切にするべきだ」という思想が見え隠れしたのは残念なことです。

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