レースも開催されシビックは「走り」のイメージが強かった

  7月27日、新型シビックが正式発表された。ワールドワイドでは10代目で、今や世界戦略モデルとしてホンダの販売台数を支える重要なモデルに成長しているが、国内投入は7年ぶりとなる。ここではそんなシビックの波乱万丈な歴史を振り返ってみよう。

  1972年に登場した初代シビックは、世界の名だたる自動車メーカーをもってして「クリアは不可能」と呼ばれたマスキー法を世界ではじめてクリアしたモデルとしても有名だが、当時の日本車では珍しい2ボックススタイルとFF駆動を採用するなど、パッケージングでも革新的な試みが盛り込まれた一台だった。

  1979年に登場した2代目(通称:スーパーシビック)はキープコンセプトながらも、インテリアはスピードメーターとタコメーターを同軸上に配置する「集中ターゲットメーター」を採用。ホンダ初のステーションワゴン「シビック・カントリー」の追加やワンメイクレース「シビックレース」が開催されるなど、話題は多かったが初代ほどの人気を集めることはなかった。

  1983年に登場した3代目(通称:ワンダーシビック)は初代から掲げていた「MM思想(マン・マキシマム・メカ・ミニマム)」を継承しながらデザインやメカニズムを大きく刷新。ボディバリーションは3ドアハッチバック/4ドアに加え、5ドアハッチバックのシャトル(3ドアとは別ボディ)とラインアップも拡大。1984年に1.6リッターDOHC搭載の「Si」が追加、全日本ツーリングカー選手権では好成績を収めるなど走りの良さもアピール。シビック=スポーティを根付かせる源流となったモデルで、販売的にも大ヒットした。

  1987年に登場した4代目(通称:グランドシビック)は、ワイド&ローを強調させたデザインに加え、内装質感の大幅向上や4輪ダブルウイッシュボーンサス採用など、このクラスでは贅沢なメカニズムや装備なども多数採用された。1989年に1.6リッタークラス最高の160馬力を誇るDOHC VTECエンジン「B16A」を搭載した「SiR」が登場。走りの良さに加えて上級モデルを超えるパフォーマンスを誇った。

  1991年に登場した5代目(通称:スポーツシビック)は、先代同様にロー&ワイドのプロポーションを継承したが、ブラジルのサンバをイメージしたデザインを採用。4ドアセダンは「シビックフェリオ」とサブネームが付き、ハッチバックの「おまけ」ではない独自の販売戦略が取られた。また、北米専売モデルだった2ドアクーペモデルも逆輸入で導入された。幅広いパワートレインも特徴で、1.3リッターSOHC、1.5リッターSOHC(シングルキャブ/VTEC/VTEC-E)、1.6リッターDOHC VTECなどをラインアップ。シャーシやサスペンションの進化により、走りとハンドリングのバランスも高く、今でいうVWゴルフのような存在として高い人気を博した。

  1995年に登場した6代目(通称:ミラクルシビック)は、キープコンセプトながらも3ドアはCピラーを寝かせたよりスポーティなスタイルを採用。ボディサイズの拡大や3ドアはフェリオと同じホイールベースを採用することにより居住性もアップされた。

パワートレインは、1.5リッターが従来のVTECとVTEC-Eを統合した3ステージVTECに進化。トランスミッションは初となるCVT(ホンダマルチマチック)を採用。

1.6リッターDOHC VTECも継続採用されたが、1997年にNSX、インテグラに続く「タイプR」を追加。1.6リッターで185馬力のパフォーマンスにサーキットベストで仕立てらたフットワーク、更にはリーズナブルな値段も特徴で人気を博すが、逆にストリートベストのSiRを陰に埋もれさせる原因になったとも言えるだろう。

タイプRはあるがシビックからスポーティモデルのイメージは消えた

  2000年に登場した7代目は、ハッチバックとセダン(フェリオ)のバリエーションは変わりがないが、ハッチバックは5ドアのみで、従来のワイド&ローのスタイルからトールワゴンに近いモデルへと大変貌。当時の欧州ハッチバックのトレンドに合わせたのだろう。

フラットフロアな高効率パッケージングにより広大な室内空間が特徴。一方、セダンはキープコンセプトながらハイブリッドモデルが追加されたが、その一方でスポーツグレードは姿を消し、スポーティイメージは消えたが、2001年にタイプRが登場。

 タイプRは欧州モデルのみに設定される3ドアボディをベースに開発、イギリスで生産し日本に輸入された。パワートレインは2リッターDOHC i-VTEC「K20A」+6速MTの組み合わせ。サスペンションはサーキットベストながら欧州テイストが盛り込まれ、ステージによっては兄貴分のインテグラ・タイプRよりもパフォーマンスが高かった。

  2005年に登場した8代目は、「仕向け地のニーズに合わせ最適なモデルを開発する」という考え方から、北米向けはセダンとクーペ、欧州向けはハッチバックのみの設定で、これらは同じシビックを名乗りながらもプラットフォームは別物。

北米向けは7代目のキャリーオーバー、欧州向けはフィット譲りのセンタータンクレイアウトを採用。日本仕様は「ハッチバックはフィットで賄える」と言う判断からセダンのみの設定と言う戦略に出た。ユーザーからは魅力的なデザインを持つハッチバックを、日本に導入してほしいというラブコールも出たが、ホンダは首を縦に振らず……。シビックのブランドバリューは一気に下がる。

 2007年にタイプRが登場。重く、大きくなったセダンボディながらも、限界までチューニングされたK20Aエンジンに車体/サスペンションの徹底チューニングによりサーキットでのパフォーマンスは大きくレベルアップ。しかし、サーキットベストのハードなセットアップは街乗り領域では苦行であった。

 セダン一本の路線は完全に失敗で販売は低迷、ホンダは2010年にシビックの国内販売終了を発表した。日本からシビックの名が消えることにガッカリしたファンも多かったが、それと同時に、欧州向け3ドアをベースにしうた欧州タイプRこと「タイプRユーロ」が限定販売。同じサーキットベストながら欧州の路面で鍛えたしなやかさがウリで初回に導入された2010台は完売。しかしそれを受けて1500台を追加販売すると在庫過多となってしまったと言う。

 北米向けは2011年、欧州向けは2012年に9代目が登場。日本向けは通常モデルは設定されなかったが、2015年に登場したタイプRは日本向けも限定ながら設定された。しかし、タイプRの反省からか750台と僅か。転売目的の人も多く、本当に欲しい人が手を入れられなかったなど反省点も残した。

ついに日本で復活する10代目はセダン・ハッチ・タイプRの3モデル

 カタログモデルとしての国内販売を終了してから、日本では一般の人にとっては「シビック」と言う言葉は死語もしくは「あの頃は良かった」と言う懐古主義のキーワードとなった。では、なぜ今シビックが日本で復活したのはなぜか? じつはシビックの属するCセグメントクラスの日本市場での販売台数は、日本車よりもVWゴルフやメルセデスベンツAを筆頭とする輸入車勢のほうが高い。

 日本のメーカーは「日本ではこのクラスのハッチバックの人気が……」と言うが、一番の理由は商品力の問題である。じつは10代目を開発した際、あまりのポテンシャルの高さに「こんなにいいなら日本でも!!」と言う流れになったと聞く。また、ハッチバックはイギリスからの輸入車となるが、セダンは日本の寄居工場で生産のため、流通もしやすいのだろう。

 もう一つは、ホンダのラインアップの変化である。10代目は世界共通のグローバルプラットフォームを採用するが、8・9代目ハッチバックが採用していたセンタータンクレイアウトをやめたことで、トールワゴンからワイド&ローのスポーティなスタイルを手に入れた。

 これにより、弟分のフィットと差別化ができると判断したのだろう。また、フィット卒業生でミニバンを必要としないユーザーの受け皿がなく、他メーカーにユーザーを奪われていたこともやっと理解してくれたようだ。ただ、「かつてのアコード並みのサイズにしなくても」と思う部分もあるが、やはり海外メインのモデルであることを感じてしまうのも事実だが、輸入車だと思えば……。

 とは言え、シビックの国内再導入を待ち望む既販車ユーザーも多いと聞く。今までのシビックとは立ち位置やコンセプトは若干異なるので賛否はあると思うが、セダンはともかくハッチバックは、欧州ハッチバック勢に負けないポテンシャルも備えているので、意外とスマッシュヒットしそうな気がしている。