漫画家×ミュージシャン×俳優=漫画兄弟快進撃、こいつらの正体は?

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「××兄弟」という名前から想起されるものを考えてみる。宇宙、ウルトラ、だんご、堂本、吉田、下町……。

だが「漫画兄弟」はどんな「兄弟」とも違う。血縁関係もなく、それぞれ違う生業を持っている。そんな3人がユニットを組むだけでも異色なのに、もう7年に渡って活動を続けている。この6月にはユニット名義の新刊が発売された。7月には、企画した演劇が東京と大阪で舞台化され、全16公演すべて満員御礼となった。

漫画兄弟=漫画家×ミュージシャン×俳優


"長男"は漫画家の古屋兎丸。「鬼才」と評され、代表作に『ライチ☆光クラブ』、『彼女を守る51の方法』、『π(パイ)』などがある。現在『ジャンプSQ』誌上で連載中の『帝一の國』は、この7月には東京と大阪で舞台化され、連日超満員の大盛況。『ライチ☆光クラブ』は数度の舞台化を経て、映画化が決定した。"長男"だけあって、「漫画兄弟」という名前にピタリと符合するキャリアを築いている。


"次男"はヴィジュアルロックバンドのヴォーカリスト。それもジャンル黎明期から活躍する「PENICILLIN」のカリスマとして知られるHAKUEIだ。7月31日には強烈な肉体美の表紙(腹筋がバッキバキに割れている)の『月刊 HAKUEI × nirvana.black』という写真集も発売された。でも「漫画兄弟」の"次男"である。


そして"三男"は俳優である。数々の舞台のほか、無数の映画やドラマで活躍する平沼紀久。『ライチ☆光クラブ』の舞台や映画ではプロデュースも手がけ、前出の舞台『帝一の國』では本職の俳優として出演。他方、EXILEの所属事務所であるLDHの中核を担うビジネスパーソンでもあり、「事務所の総力を挙げての新メディアミックスコンテンツ」(本人談)だという『HiGH&LOW』でプロデュースと脚本を手がけるマルチタレントだ。が、「漫画兄弟」の"三男"でもある。


漫画家だけでなく、畑違いのはずのロックミュージシャンと俳優による三兄弟、それが「漫画兄弟」というユニットだ。もっとも「畑違い」というのは少々失礼かもしれない。"次男"のHAKUEIは「マンガ大賞」の選考委員に名を連ねるほど、大の漫画マニアであり、マンガ批評の連載も持っている。その上、HAKUEI自身も『すすめ!! とのさま』というコミックスを出版している"漫画家"だったりもする。

"三男"の平沼紀久も漫画好きなのは言うに及ばずだが、俳優として漫画原作作品への出演も多い。『アストロ球団』『ろくでなしBLUES』などのほか、実写版の『荒川アンダーザブリッジ』では「ビリー」という役でドラマ、映画双方に出演している。ちなみに作品を知る人ならわかるだろうが、「ビリー」は全編通してオウムのマスクをかぶっている。つまり、作中で本人の顔は一切見えない……。

食育絵本を刊行し続ける、漫画兄弟


3人にとって「漫画兄弟」というユニットはもはやライフワークと言ってもいい活動になっている。その象徴が「なっとうざむらい」シリーズだ。2008年に第一作の『納豆侍 まめ太郎でござる』を発売して以来、地道なペースで刊行を続け、この6月にシリーズ4作目となる新刊、『れいぞうこのなかのなっとうざむらい カチンコチンをとりもどせ』(ポプラ社)を出版した。


「なっとうざむらい」シリーズの主役は納豆だ。正確に言うと納豆を擬人化させたキャラクター「まめたろう」を主人公としてシリーズは展開されている。そのほか長ネギやごはんなどの食べ物が擬人化されたキャラクター「ねぎの新」や「ごはん犬のメッシー」といった「しんせんぐみ」が力を合わせて、食材を腐らせようとする「くさり丸」とたたかうという設定だが、刊を重ねるたびに新しい物語が展開されている。

定番化していないユニットによる創作活動を長く続けるのは難しい。アイデア出し/ブラッシュアップ/決定、といった製作過程における役割分担があいまいになりがちで、絶対的な正しい形がないからだ。聞けば、漫画兄弟の作品づくりは次のようなステップを踏むことが多いという。

1.主に次男(HAKUEI)と三男(平沼紀久)による、プロット(テーマとあらすじ)づくり。

2.全員で共有。長男(古屋兎丸)が下描き。

3.三男が全体のセリフの流れや方向性を確認・調整。

4.次男が言葉ひとつひとつを精査してブラッシュアップ。

5.出版社担当者の確認・承認。

6.長男が再度下描き。

という作業を繰り返す。漫画家である長男、作詞家でもある次男、舞台の脚本・演出も手がける三男という、それぞれのプロフェッショナリズムに応じた責任が分担されながら、兄弟間でのキャッチボールは続く。

大切なことを語るのは、あくまで作品


ユニットというものは、いつ結びつきが希薄になってもおかしくない。少しの意識の齟齬でいともかんたんに離散してしまう。だからこそ、期間や目的を限定したユニットも多い。だが「漫画兄弟」の佇まいは、非常に強固に見える。その理由を"三男"は(ビール片手に)こう語った。

「俺、普段あまりこういうこと言わないんですけど、一番デカいのは、ニイちゃんたちってすげえ尊敬できる人間なんですよ。それぞれの持ち場で飛び道具のような才能を持っていながら、人としてものすごくチャーミング。だから俺も一生懸命、連絡係なんかの雑用に汗をかくことができるんです。ふたつめは、みんな紆余曲折がありながらも、それぞれの業界で長く仕事を続けているプロであるということ。3人とも浮き沈みの激しい業界で、10年20年と生き抜いてきている。だから『仕事』で外しちゃいけないツボをよくわかってるんです。あと、最後のひとつは"三男"の俺が、ニイちゃんたちを立てること! もう、チョー立ててますよ。あ、でも、作品の内容について納得が行かないときは、その限りじゃありませんけど(笑)。でも、俺、本当にニイちゃんたちのこと、大好きなんですよ!」

言い換えれば「善き人たちが」「決定に至る基本的なプロセスは持ちながら」「仕組みだけにとらわれずに」「プロとしての姿勢をまっとうする」というところか。しなやかさと強靭さを兼ね備えた互いの結びつきを、酔いの回ってきた三男は「ここだけの話っすよ」と耳打ちしながら教えてくれた。

めざしたのは確かに「食育」なのだろう。だが、大切なことは作品に語らせる。思いはそっとそこに忍ばせる。

そういえば、ポプラ社から刊行されている「なっとうざむらい」シリーズの直近3冊には、いずれも導入にノスタルジックなタッチで冷蔵庫が描かれ、そこには2枚の紙が貼られている。

1枚はゴミの収集曜日を記した紙。そしてもう1枚、子どもが描いたであろうクレヨン画には「おかあさんありがとう」という一言と、母親と子ども自身が手をつないでいる光景が描かれている。

食べ物はどこからやってきて、どこに行くのか。その冷蔵庫に貼られているのは、誰もが想像できるはずの「食卓の前と後」である。

ぎゅうぎゅうとつめ込むばかりがいいわけではない。それはごはんも物語も同じである。
(松浦達也)