過酷なマイナー契約 メジャーを勝ち取った日本人選手たち

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またひとり、日本人選手がメジャーデビューを果たした。
その選手の名は村田透。
6月29日にメジャー初登板・初先発を果たした。結果は5失点とほろ苦いものになってしまったが、間違いなく大きな一歩だ。

だが、この村田のメジャーまでの道のりは厳しいものだった。村田は2007年に巨人のドラフト1位で入団するが、1軍登板のないまま2010年に戦力外通告を受ける。その年の2010年にインディアンスとマイナー契約を結んだ後、マイナーでの努力が実を結び、メジャーの切符をつかんだのである。

実際、マイナー契約からのメジャー昇格はかなり厳しい道のりだ。メジャーにいる選手は「マイナーに落としてはならぬ」という条件の契約を結んでいる選手も多く枠がなかなか空かないし、マイナーは長距離のバス移動・低賃金など劣悪な環境だ。
そのため、中島裕之のようにメジャー契約で入団してもケガでマイナー落ちした後、マイナーでくすぶり一回もメジャーに昇格できなかったというケースもある。
しかし、調べてみると今回の村田のように、マイナー契約からメジャーの切符をつかみ取った日本人選手は意外と多い。そこで今回はそんな選手たちを紹介していこう。

【マイナー契約からはい上がった日本人選手たち】


野茂英雄
意外にも、野茂も初めはマイナー契約であった。というもの、当時は日本からアメリカへ渡るルートが確立されていなかったためだ。この契約での年俸は約980万円(日本球団からの提示は1億4千万円)であり、野茂はこのような悪条件にも関わらずに挑戦して結果を出した。それによって後発の選手たちのメジャーへの道を切り開いたからこそ、今でもパイオニアと呼ばれているのだ。

マック鈴木
クワバタオハラの小原正子と結婚したことでも有名になったマック。彼は傷害事件などを起こして高校を退学した後に渡米した。1992年1Aの球団職員兼練習生からスタートした後、努力が実って1996年にメジャーデビューを果たした。これによってマックは日本プロ野球界を経由しない初の日本人メジャーリーガーとなった。
2000年には先発ローテーションの一角として8勝を挙げる活躍をしている。

大家友和
横浜ベイスターズに5年間在籍するもわずか1勝止まり。その後、メジャー挑戦のため渡米し、1998年にレッドソックスとマイナー契約を結んだ。1999年にマイナーで米でのキャリアをスタートさせたが、その年の7月に早くもメジャー昇格を果たし、10月には初勝利を挙げた。大リーグ通算で51勝、特に2002年、2003年には10勝以上をマークするという実績を残した。

多田野数人
立教大学時代、ドラフト1位を期待されていたが、怪我などが原因でどこの球団からも指名されず。そのため渡米し、インディアンス1Aからスタートさせた。2年目にはメジャー昇格し、アレックス・ロドリゲスをスローボールで打ち取るなど見せ場をつくった。
生活が苦しかったマイナー時代、当時解説者であった栗山英樹(現・日本ハム監督)が多田野を中華料理に誘い、「何でも食べていいぞ」と言ってくれたという感動エピソードがある。

中村紀洋
マイナー契約でドジャースに入り、開幕早々メジャー昇格するが、すぐマイナー落ちに。マイナーでもエラーが多くて打率も低かったため、その後一度もメジャー昇格を果たすことはなかった。「イチローもマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」という迷言を残した。

斎藤隆
横浜ベイスターズに所属していた2005年にメジャー移籍を表明するが、36歳という高齢や不振が続いたこともあり、マイナー契約に。日本のファンもまったくと言っていいほど活躍を期待していなかった。
しかし、ドジャースの絶対的抑え投手だったガニエが故障者リスト入りしたため、4月にメジャー昇格。その後、シーズンを通してガニエに変わる抑えとしてチームをプレーオフ進出に貢献するなど、前評判を覆す働きぶりを見せた。

桑田真澄
長年在籍していた巨人ともめるような形で退団してメジャーに挑戦。マイナー契約の上に39歳という高齢、そしてオープン戦では審判とぶつかり足のじん帯を切るなど悪条件が重なったが、6月にメジャー昇格。打ち込まれる場面が多く、結局8月には解雇されたが、ひたむきな姿は多くの人に感銘を与えた。

高橋建
40歳を迎えるシーズンに海を渡る。初めはブルージェイズとのマイナー契約であったが1カ月ほどで解雇され、メッツと新たにマイナー契約を結ぶことに。メッツでは早くも5月にメジャー初登板を果たした。このとき40歳でのメジャーデビューであったが、これは史上3番目の遅さであり、まさに「オールドルーキー」だった。

高橋尚成
メッツとはマイナー契約であったが、スプリングトレーニングで好投したことで開幕直前にメジャー入り。メジャー初年度は先発にクローザーにとフル回転して10勝をマークし、期待以上の活躍を見せた。

川崎宗則
尊敬するイチローを追いかけてアメリカへ。当初はマイナー契約であったため、イチローと同じチームでプレーするという夢は不可能に思えた。しかし、“愛の力”なのか、オープン戦で打率.455と打ちまくった結果、米開幕メジャーを勝ち取り、晴れてイチローと同じチームでプレーすることになる。

田中賢介
ジャイアンツと2013年にマイナー契約。その年の7月にメジャー昇格すると、デビュー戦で守ってはHR性の打球をキャッチする超スーパープレー、打っては初ヒットを放つなど鮮烈な印象を残した。その後はそこまでの活躍を米ではできなかったが、現在は北海道日本ハムファイターズでその経験を余すことなく発揮している。

このように意外と多くの日本人選手がマイナー契約からメジャーを勝ち取ったことが分かる。しかし、またここからメジャーに生き残るか否かというさらに大きな壁が立ちはだかるのだ。
村田選手にはぜひともメジャーに定着できる活躍を期待したい。
(さのゆう)

画像:「逆境を笑え」より