19日、TBS「バース・デイ」では、「父と息子の二人三脚 宮川将 プロ野球選手へのいばら道」と題し、東北楽天ゴールデンイーグルス・宮川将投手の特集を放送した。

小学5年生の時に両親が離婚、兄と妹を母が引き取り、父と二人で生活するようになった宮川は、「親父と遊ぶのは楽しかったですし、やっぱり野球も深く面白いっていうのを教わったのも親父だったので親父を選んだ」と振り返る。

その一方で、父・欣也氏は番組のカメラに「しっかり育てんとアカンって思ったね。責任が圧し掛かってくるというか、そこから変わった」と語ったが、事実、2006年にプロ入りを目指す息子をバックアップするため務めていた会社を退社すると、一から料理を勉強し時間の融通が利く飲食店をはじめた。

「やっぱり目的持って生きてるっていうのは非常に応援し甲斐がある。自分のことは二の次、三の次でまず彼をしっかり育てる」。そう話した欣也氏は、宮川が大阪体育大学浪商高校時代に大阪No.1右腕として注目され、本人も高卒でのプロ入りを考えはじめるや、「大阪No.1って言われるのは勝手に周りが言ってるだけであって、自分には何にも実績がないと。大学行ってもう一回鍛え直してプロ目指すと。プロ行くんやったら大学行ってから行こう」と助言。父として指針を示し、当の宮川も「相談する相手も親父しかいなかったし、納得しましたね」と語っている。

その後、大阪体育大学に進み、プロ入りを視野に入れ、さらに野球に打ち込む息子を支え続けた欣也氏は、ドラフトまでの日めくりカレンダーを自作、ドラフトが近付くと「くじけても1日が終わっていく。ケガしても1日が終わっていく。一生懸命走ろうやと。俺も一生懸命サポートすると。そういうカレンダー」と話し、宮川もまた「ずっと一人で支えてくれたんでありがとうと言いたい」と答えた。

しかし、2012年ドラフト会議当日。開始から2時間半が経過するも、宮川の名前は呼ばれず、彼は目を真っ赤に腫らし涙を流した。自宅でドラフトを見守る欣也氏も「あかん、あかん、厳しい」とテレビの前に座っていられない。

結局最後までドラフトで名前が呼ばれることはなかったが、続けて行われた育成ドラフトでは、東北楽天が宮川を指名。すると、育成選手は1軍の試合に出場できないものの、2軍で奮闘した宮川は、5月まで2点台の防御率を保ち、6月2日には支配下選手登録を果たすと即1軍に昇格した。

6月5日のヤクルト戦で1軍のマウンドに立つと、その初球は極度の緊張から大暴投。それでも2回を無失点に抑えると、中継ぎ投手として出場機会が増えてくる。8月4日の日本ハム戦では中継ぎで登板すると、プロ初勝利。育成枠で入団した選手が1年目で勝利を挙げるという史上初の快挙を達成、そのヒーローインタビューでは「お父さんが一人で育ててくれたので(ボールを)贈りたいと思います」と語り、優勝決定後の10月5日、プロになった息子の試合を初めてスタジアムで観戦した欣也氏は「涙出そう」とポツリ。試合後「投げれてる姿を見せれてよかったなと思う。今日はありがとう」という宮川に「こちらこそありがとう」と答え、親子はガッチリと握手した。