2011年12月23日に78歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。今年は11月に気管支肺炎で入院されたことから体調に配慮して、この日の記者会見をとりやめ、1年を振り返る文書を寄せた。そこには「災害に明け暮れた心の重い年でした」と綴られており、今なお東日本大震災に心を痛めていることがわかる。

そんな天皇陛下と皇后・美智子さまが「3.11」のとき、数々の「異例」の行動をとられていたことがわかった。

ロウソクとランタンで「自主停電」

12月22日に放送されたテレビ朝日「2011皇室スペシャル 〜震災9か月 両殿下の祈り〜」は、天皇・皇后両陛下が東日本大震災のとき、何を思い行動したかを、当時そばにいた親しい人の証言や、被災地での慰問活動での映像から振り返った。

未曾有の震災当日、東京でも多くの帰宅困難者が歩いて自宅に向かったり会社などに泊まったりしたが、皇居内でも、皇居の清掃などを担当する勤労奉仕団が帰れなくなった。余震が続くなか、両陛下は一般参賀者の休憩所にあたる窓明館を開放して宿泊させ、その翌朝には皇后・美智子さまが泊まった人の健康を気遣って、お声をかけたという。

東京電力・福島第一原子力発電所の事故で、首都圏では「計画停電」を余儀なくされたが、両陛下は皇居内を「自主停電」して、ロウソクとランタンの灯りですごした。天皇陛下ご自身が申し出たそうだ。

3月16日には、天皇陛下が国民へのビデオメッセージで「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆がさまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」という国民目線の言葉で呼びかけ、さらには那須御用邸の職員用風呂を被災者に開放するなど、次々と「異例」の行動を起こしていた。

番組は、皇后・美智子さまの震災後のご心境の変化も追った。美智子さまが喜寿を迎えた誕生日、記者団の質問に対して文書で「当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」と語っている。

郵便配達の姿に「復興は始まっている」

皇后・美智子さまが立ち直るきっかけは3月20日のニュースで報じられた、被災地で一人ひとりに声をかけて手紙を届ける郵便配達の姿で、美智子さまはこのとき、「復興は始まっている」と、「希望」を強くもったようだ。旧知の友人や知人に連絡をとりながら、震災の状況を、自ら情報収集されたという。

4月に訪れた仙台市の宮城野体育館では、被災者が大津波に見舞われながらも花を咲かせたという自宅跡地の水仙を花束にし、「この水仙のように頑張りますから」と言って美智子さまに手渡した。

美智子さまは阪神・淡路大震災のお見舞いのとき、皇居で摘んだ水仙を焼け跡に手向けられたことがある。水仙の花が「復興の象徴」といわれる所以だ。

また、2006年に岩手県大槌町を訪れた両陛下は、宿泊したホテルから見えた、小さく可憐な自生の「浜菊」がお気に入りだったが、いまは震災による地盤沈下で海に沈んでしまって見られなくなった。

その浜菊の花言葉は、「逆境に立ち向かう」。美智子さまは喜寿のお誕生日に、浜菊を愛でる姿を「撮影してほしい」と依頼してテレビで放映。被災者へのメッセージだった。