バルサが当たり前のように勝ってしまった。メッシが活躍。チャビ、イニエスタも同様に活躍。2年前の優勝に書き加えるべきことはそう多くない。マイナーチェンジに過ぎないチームが、完勝、圧勝してしまった。

サッカーの進歩を願えば、バルサは負けた方がよかった。バルサの優勝はサッカーの停滞を意味する。もちろん、それは勝者が、バルサを超えるサッカーを披露することが前提になるが、そうして尺度でファイナルを眺めると、マンUの「負けっぷりの悪さ」について、つい一言いいたくなってしまう。

もう少しちゃんと戦えなかったものだろうか。あれが最善のプレイだっただろうか。 勝ちたい。今度こそ。リベンジに燃えるファーガソン監督の気持ちは、とりわけ立ち上がりのプレイからひしひしと伝わってきた。だが、それは10分足らずで終了する。バルサにペースが傾くと、マンUはなすすべなく陣を後退させた。そこから、中盤省略気味にしてカウンターを狙おうとした。バルサの先制ゴールはその産物に他ならない。

とはいえマンUは、0―1で迎えた前半34分、同点ゴールをルーニーが叩き込む。この試合が最も盛り上がった瞬間だ。

僕が注目したのは、この得点に至る経過になる。アビダルのフィードをカットしたマンUは、右サイドで細かなワンツーを決め、バルサゴールに向かっていった。

そのシーンを見ながら、僕の脳裏には次の言葉が浮かんだ。
「巧い選手は巧いプレイに弱い」

バルサの面々は、マンUの小技を絡ませながらのプレイを見てしまった。呆然としながら。彼らの足はその時、完全に止まっていた。時間までもが止まったかのようだった。カッとして瞬間、頭の中が空っぽになったような感じにも見えた。いずれにしても、かなりショックを受けた様子だった。

狙い目を見た気がした。目には目を。弱者の論理に則った中盤省略サッカーではなく、堂々とその感じを維持していくことが、バルサを不快な気持ちにさせる唯一の手段かと思われた。

だが、ルーニーが同点ゴールを決めると、マンUはあっさり元の状態に戻ってしまった。「僕たちはこれしかできません」と、あえて自ら可能性を否定するようなつまらないサッカーをしてしまう。

勝利への渇望はともかく、良いサッカーをしようとの気概は、残念ながら見て取れなかった。バルサに勝つには、バルサより良いサッカーをする必要がある。僕はそう思う。番狂わせは、中盤省略サッカーからは生まれないのだ。

65対35のボール支配率では、どうにもならない。事件が起きない限り、勝利は訪れない。かつてより65対35の35側が勝利するケースは激減しているとは僕の感想。ファーガソンのやり方、マンUのやり方は、そうした意味で少し古い気がした。負けてもいいから良いサッカーをすることを心掛けるべき。勝利はその先に待っている。そうした青臭い理想論が、最近のサッカーでは抱けるようになっている。

あるいは、マンUは良いサッカーをしようと最大限努力していたのかもしれない。そうした視点でこの試合を見つめると、バルサの守備、ボール奪取術にも触れる必要が出てくる。

バルサの攻撃、バルサの守備。マンUの攻撃、マンUの守備。この試合で触れるべきポイントが上記の4カ所だとすれば、バルサの守備、すなわちボールの奪い方は、最も注目されにくい側面になる。 ボールを65%支配するバルサが、ボールを奪われた瞬間、つまり、マンUの反撃が開始しようとする瞬間だ。バルサは思いのほか冷静だった。

思わず「やばい」とか「しまった」とか「大変だぁ」といった吹き出しを付けたくなる選手は、いそうでいなかった。ここでパニック症状を起こしたのが、数年前までのバルサ。勝てなかった頃のバルサだ。かつてチェルシーにそれで何度か足下をすくわれている。