2009年の育成選手として巨人軍に入団すると、今年、遂に支配下登録された星野真澄は、既に一軍公式戦での登板も経験、貴重な左のサイドスローとしてファン・関係者の期待も高い。

しかし、その野球生活は波乱万丈に満ちていた。誰よりも星野を応援していた母親を高校1年の時に亡くすと、ベンチ入りすることすらできなかった高校時代に、重度の腰痛に悩まされた大学野球時代。その後、社会人野球のバイタルネットに入団すると、徐々に結果を残しはじめ、いよいよマスコミの目に留まり、北信越大会決勝を迎えたが、そのマウンド上では気胸となり、ベンチで気を失ってしまった。

それでも、独立リーグのBCリーグの信濃グランセローズでプレーした星野は、昨年育成選手枠で巨人入り。そんな星野の特集が、27日のテレビ朝日「報道ステーション」で放送された。

「高校、大学と変化球が投げれない状態。ストレートしかストライクが入らない。すぐフォアボールを出してっていう自滅型のタイプだった」という星野。

「自分は母親を高校で亡くしているんですけど、その時からずっと父親が支えてくれてまして、どうせだったらプロ野球に行って、親父にいい想いをさせてやりたいっていうのは心の底で、どんなにダメな時も思っていた」と語ると、突然肺に穴があく気胸に見舞われた苦い思い出には、「神様がいるんだったら、“今日こういう風にするのか”みたいな感じでしたね。結構、ひどいことするなって」と、夢の舞台に辿り着いたその険しい道のりを振り返った。