(デザイン:熊谷 直美)

熱い日差しが降り注ぐ、2月のタイ・バンコク中心部。飲食店や大使館が建ち並ぶトンロー地区に、ドン・キホーテのタイ1号店「ドンドンドンキ」が完成した。海外店舗は米国、シンガポールに次ぐ3カ国目だ。

日本産の青果といった食品のほか、日本メーカーの化粧品や日用雑貨がずらりと並ぶ。ウリはやはり「安さ」である。輸出の物流網は外部委託せず自前で整え、通関などの手続きを効率的に進めるノウハウを蓄積。牛乳のような売れ筋商品は直接貿易で中間手数料を減らす。海外では日本の商品が2〜3倍の値段で売られることが一般的だが、ドンキは約1・5倍までの価格に抑えている。

2月22日の開店当日は約8000人の来店客が押しかけた。その後も入場規制が続く。

『週刊東洋経済』は3月25日発売号で「ドンキの正体」を特集。不振の小売業界で常識を打ち破る経営手法を掲げて快走するドンキの最前線を追っている。

ドンキは今後、海外事業の強化にアクセルを踏み込む。今年2月、アジアや米国展開に本腰を入れる意図を込め、パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)に社名変更した。

今夏をメドに、香港にも進出する。前期の海外売上高は650億円だったが、「中期的に1兆円を目指す」とPPIHの大原孝治社長の鼻息は荒い。

徹底した個店主義と売り場演出に熱視線

徹底した個店主義と独特の売り場演出――。業界で「異端児」と言われ続けてきたドンキの経営手法に、熱い視線が注がれている。


日本に初めてコンビニエンスストアを作ったセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文名誉顧問。昨年12月に実施した東洋経済のインタビューで、「注目する小売店」として迷いなく真っ先に挙げたのは、総合ディスカウントストアのドン・キホーテだった。

GMS(総合スーパー)最大手、イオンの岡田元也社長も3年ほど前から、「今の時代はドンキの経営を参考にしなければならない」と、周囲に語っているという。

日本では1960年代後半以降に誕生したGMSやコンビニが、店舗運営に統一性を持たせるチェーンストア理論を基盤に、高度成長期の波に乗って拡大した。が、今や消費者の好みや生活様式が細分化、画一的な店舗仕様では需要を取り込めなくなった。アメリカのアマゾンを筆頭にネット通販企業も台頭。GMSは販売不振に苦しみ、コンビニも店頭売り上げが頭打ちにある。加えてコンビニでは、24時間営業を義務づける制度に地域オーナーから不満が噴出している。

小売業の「王道」だったビジネスモデルが限界を見せつつある一方、ドンキは快進撃を続ける。第1号店が開業した1989年以来、29期連続で増収増益を達成。時価総額も大きくなり、小売業で国内6位に浮上した。

今年1月には、ユニー・ファミリーマートホールディングスから東海地方の名門GMSであるユニーの株式を追加取得し、完全子会社化した。

「大手チェーンストアのまねだけは絶対にしない」。これまでドンキの創業者・安田隆夫氏は、大手チェーンストアに対抗意識を燃やし、常識破りの経営手法を随処に取り入れてきた。

真っ先に思い浮かぶのは、ジャングルのような非効率な売り場づくりだろう。メーカーから廃番品などを安く仕入れた“訳あり品”を店頭に並べ、掘り出し物や新しい発見がある「宝探し」感を演出。安さを強調した手書きの「POP洪水」で衝動買いも促す。天井に届きそうな位置まで商品を陳列する「圧縮陳列」も展開する。

売り場の担当者にすべてを任す「権限委譲」も、非常識経営の象徴だ。社員ごとに担当売り場を決め、仕入れから陳列、値付け、販売まで大部分を任せる。

「現場で考える力こそドンキの強み」

「現場で考える力こそドンキの強み」と、PPIHの小田切正一執行役員は強調する。店舗運営のほとんどを本部が主導するGMSやコンビニと異なり、ドンキは社員の判断で品ぞろえや価格を決めるため、商圏の需要に応じた柔軟なオペレーションが可能になる。

ただ、単に権限委譲するだけではない。売り場の実績が社員の報酬にダイレクトに反映する成果主義を採用。昇格や降格も頻繁に実施する。そのため「どのような売り場をつくれば商品が売れるようになるか」を社員ひとりひとりが必死で考えなければならない。


ドン・キホーテUNY可児店。ユニー再建に向けたドンキとの共同運営店だ(撮影:遠山 綾乃)

社員の採用方針も非常識だ。学歴や経歴にはこだわらない。「学歴がなくても、とにかく野心のある人を求めていた」(30代の元ドンキ社員)。出戻りも歓迎する。複数回退職した社員を、そのたびに受け入れた例もあるほど。ホストクラブや板前修業から転身した社員もいれば、「明らかな『元ヤンキー』も多かった」(40代の元社員)。

こういった型破り集団がハングリー精神をバネに猛烈に働き、活力を生み出してきた。ただ、世間のイメージは悪かった。深夜営業で「暴走族のたまり場」と化していた店舗もあった。1990年代末〜2000年代初頭には、深夜営業に反対する住民運動が一部地域で発生したほどだ。

ところが、経営破綻した長崎屋を2007年に買収したことが転機となる。精肉や鮮魚の販売ノウハウを吸収し、雑貨や日用品に加えて生鮮食品も扱う「MEGAドン・キホーテ」の展開を始めた。すると、家族連れなどの顧客がしだいに増加。かつては男性客が6割を占めていたが、今は7割が女性客と男女比率が逆転している。

小売業界において、ドンキの存在感が増していることは確かだ。次代の流通王か。それとも永遠の異端児なのか。ドンキは今、その岐路に立っている。

『週刊東洋経済』3月30日号(3月25日発売)の特集は「ドンキの正体」です。