野球には、流れがある。

 絶体絶命、最大のピンチを脱して「さあ、攻撃だ」というときにインターバルが生まれてしまった。13回表、星稜の攻撃前のことだ。夏の甲子園では、今大会からタイブレーク制度が採用されている。この試合は2時間半を超える長時間の試合になったこともあり、12回が終わった時点で普段は5回終了時のみに行われるグラウンド整備が入り、選手たちに給水タイムが設けられた。


矢野功一郎の史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打で星稜を下した済美

 星稜にとっては、この”間”が余計だった。直前の12回裏、星稜は満塁のサヨナラのピンチを逃れていた。それも、一死満塁ではカウント3-0、二死満塁では3-1と押し出しの危機を迎えながら、いずれも見逃しの三振を奪っての無失点。甲子園の盛り上がりも最高潮に達していた。球場全体が異様な雰囲気のまま攻撃を迎えれば、ヒット1本による歓声もボリュームが上がる。星稜に有利に働くはずだった。

 ところが、”間”が入ったことにより、球場全体も小休止。連続三振で持ってきた流れはなくなってしまった。一方、済美にとってはこの”間”はプラスに働いた。嫌なムードのまま守備につくことがなくなっただけではない。選手同士で声をかけ合う時間が生まれた。一死満塁から代打で見逃し三振に倒れた背番号16の徳永幹太は言う。

「整備が入って楽になりました。(カウント3-2から見送ったときは)審判にストライクと言われたかどうかもわからなかった。どんな状況も考えられなかった。あの間があって、3年生に『気にするな』と言われて楽になりました」

 愛媛県大会で出場ゼロの2年生・徳永は、昨秋以来の公式戦出場。三振直後の精神状態で守備についていれば、無死一、二塁のピンチから始まるタイブレークで、いきなり打球が飛んできた場合、ミスをする可能性は高くなるだろう。

「整備があったので『切り替えていくぞ』という感じになった。あの間はデカいと思います」(背番号9・近藤海楓)

 守備から生まれた勢いが切れてしまった星稜は、タイブレークに入った13回表に2点を挙げたが、得点は三塁ゴロ野選とスクイズによるもの。1番・東海林航介から始まる好打順だったが、タイムリーヒットは生まれなかった。無死一、二塁から東海林は打って一塁ゴロ。進塁打となり一死二、三塁と送りバントと同じかたちになったが、済美の中矢太監督は次のように語る。

「バントしてくると思ったんですけど、いきなり打ってきてちょっと楽になりました。バント守備は心配なところもあったので。『2点なら』と思いましたね」

 中矢監督が「2点なら」と思えたのには理由がある。タイブレークは無死一、二塁から始まる。2人の走者が保証されているからだ。しかも、13回裏の済美の攻撃はラッキーボーイの9番・政吉完哉(まさよし・かんや)からだった。

 この日の政吉は本塁打を含む3安打に加え、2四死球で全5打席出塁している。だが、中矢監督に迷いはなかった。

「政吉はセーフティーバントが上手なので、セーフティーしかないなと思いました。あわよくば自分も生きるバント。最悪でも二、三塁、できたら満塁にしたいなと」

 指揮官の期待に応え、政吉はカウント2ボールからの3球目、三塁前に絶妙のセーフティーバントを決める。最高のバントだったが、ポイントはその前の2球にあった。

 無死一、二塁で相手がバントをしてくると予想した場合、守備側は一塁手をダッシュさせ、一塁側にバントさせようとする。三塁側に転がされると成功になる確率が高いため、右打者(政吉は右打者)に対して投手は三塁側にバントしにくい外角球を投じることが多い。マウンドの寺沢孝多も狙いは当然そうだった。

「外にチェンジアップを投げて弱いバントをさせようと思ったんですけど、ストライクが取れなくて……。あの場面でフォアボールが一番ダメなので、バントをやらせようと思って、真っすぐを真ん中めがけて投げました」

 外角のチェンジアップならば、三塁側に転がすのは難しい。だが、チェンジアップが2球とも外れ、ストレートを投げざるをえない状況になったことで、政吉にとってもっとも三塁側に転がしやすい球になってしまった。

 無死満塁。ピンチとはいえ、まだ点は取られていない。リードも2点ある。だが、「まずはバントさせて1アウト二、三塁」と思っていた寺沢はじめ、星稜ナインからは余裕が消えていた。

 その証拠が守備位置。次打者への投球前にはベンチからの指示で1点はOKで二塁での併殺を狙う中間守備を敷いたが、初めはホームゲッツーを狙う前進守備をしようとしていた。ショートの佐々井光希は言う。

「マウンドで集まって『点数を取られないようにしよう』と話しました。2点あるから後ろに守ろうという余裕はありませんでした」

 逆転の走者を出してしまったことで、2点リードしている優位さが消えてしまった。「2点やってもいい」と考えるどころか、「1点もやれない」と追い詰められてしまったのだ。それが、寺沢の投球にも表れる。1番・矢野功一郎をカウント1-2と追い込みながら、外角を狙ったスライダーが抜けて内側に入ってしまった。

「まだカウントは有利。ボールになってもいい」とは思えず、「なんとかして打ち取らなければいけない」と”MUST思考”になってしまったことで、いつものように腕が振れなかった。

「それまで全然合ってなかった(空振り、ファール)ので、最後はあのボール(外角カーブ)でくるだろうと思いました。しっかり(ヤマを)張れてた」

 そう言った矢野は、狙っていた球が甘く入ったところを見逃さなかった。打球はライトポールを直撃。100回の歴史を誇る大会でも史上初となる劇的な逆転サヨナラ満塁本塁打になった。

 両校ともにタイブレーク用の練習はしていない。攻め方や守り方に優劣があったわけでも、打順の巡りで幸運、不運が分かれたわけでもない。

 勝敗を分けたのは”間”。そして、心理。球場全体の空気を変え、流れを切ってしまった”間”と、バントの構えの打者に2ボールにしてしまったこと、無死満塁にしてしまったことが心理を変え、勝敗を決めた。