3月9日に開幕する平昌パラリンピックに出場する日本選手団の結団式が26日、東京都内で行なわれた。

 選手団の主将を務めるパラアイスホッケーの須藤悟(日本パラアイスホッケー協会)は、前日に閉幕した平昌五輪で日本が史上最多の13個のメダルを獲得したことに触れ、「この勢いをぜひとも引き継ぎ、私たちも多くのメダルを獲得できるよう、すばらしい大会にしたい」と決意表明。競技への意気込みについては、「直前の強化合宿で課題を修正してきた。ランキング上位チームとの対戦になるが、楽しみになってきた」と引き締まった表情で話し、活躍を誓った。


ケガから復活して2月の熊本合宿に参加したDF三澤英司

 パラアイスホッケー日本代表は、1998年長野大会でパラリンピックに初出場。ソルトレイク、トリノ大会ではそれぞれ5位となり、バンクーバー大会では銀メダルを獲得した。「次こそ悲願の金メダルを」と再スタートを切ったが、前回のソチ大会は最終予選で敗れて出場を逃し、その舞台に立つことさえ叶わなかった。それだけに、2大会ぶりの表彰台にかける思いは強い。

 日本代表は、数々のハードルを乗り越えて平昌に挑む。アイスホッケー同様「氷上の格闘技」と呼ばれるように、パラアイスホッケーはボディチェックがある激しいコンタクトスポーツだが、実は本番を前にケガ人が続出していた。

 1月のイタリア遠征の最終戦では、DF須藤が右足のくるぶしを骨折。また、同じ遠征中にDF上原大祐(NEC)も試合中に相手を止めにいった際、スレッジの刃で右手の掌を切る傷を負った。さかのぼって昨年10月の最終予選では、DF三澤英司(日本製紙)がフェンス際のパックを取りにいった際、相手選手に突っ込まれて左鎖骨を骨折する重傷を負い、緊急帰国を余儀なくされた。

 競技人口が少なく、少数精鋭で練習を重ねてきた日本チームは、正直なところ選手の追加招集も簡単ではない。メンバー離脱のダメージは想像以上に大きく、だからこそ仲間やスタッフたちは、彼らが復帰するまで必死でチームを守った。手術やリハビリを経て、ようやくメンバー全員が氷上に集結したのは、結団式の直前に行なった国内最後の長野強化合宿だった。

 ギリギリの崖っぷちだったことは、中北浩仁監督の「フルメンバーでやれるよろこびをプラスに変えないとね」というコメントからもうかがえる。

 2月中旬、熊本で行なわれた強化合宿は熱気に包まれていた。キャプテン須藤の不在をカバーするかのように、それぞれが声を出して士気を高め、全力でパックを追った。ミスがあれば動きを止め、その都度、ボードを使ってフォーメーションを再確認。氷上ではセット間で話し合う場面もたびたび見られ、本番に向け、集中力を高めている様子が伝わってきた。

 この熊本合宿で復帰し、4カ月ぶりにチームに合流した三澤は、「合宿前は5〜6割できればいいと思っていたけれど、そうも言ってられない。最大限の力を出していく」と話し、キレのある動きを見せていた。患部の左鎖骨を守るため、アメフト用の防具を改良したものを使用したり、ボディチェックの衝撃を吸収するクッションを左腕に着用するなど、さまざまな工夫を凝らして練習に取り組む姿に彼の覚悟を感じる。

 三澤は17歳の時に悪性腫瘍のため、右脚の股関節から切断。大学卒業後に競技を始め、初出場の長野パラリンピックでは5位の成績をおさめた。平昌は5度目のパラリンピックとなり、バンクーバー大会ではチームの中心メンバーとして銀メダルも獲得しているが、キャリアのなかでもっとも印象に残っているのが、20年前の長野大会だという。その理由を、以前からこう話していた。

「第1試合、ロッカー室から試合会場に入っていく時の光景が忘れられません。歓声と拍手がすごくて、鳥肌が立つくらいでした。脚を切断して5〜6年目くらい。それまで片足で歩くことを受け入れられなかったのに、苦労とかつらさを一気に忘れ、みんなの前で堂々としていられる自分がいた。自分の人生の壁をひとつ乗り越えられた瞬間でした」

 パラリンピックは、特別な場所だと三澤は言う。だからこそ、仲間や初出場の後輩たちともう一度あの時間を共有したい、そう強く思っていた。しかし、前述の通り、昨年10月の最終予選では、初戦の試合開始5分で負傷退場となった。帰国を前に、翌日には車いすで会場に姿を見せたが、観客席からチームを見守るしかなかった。この時の心境を、三澤はこう振り返る。

「この8年間、いろんなことを犠牲にしてやってきたのにプレーできず、上から試合を見ているという事実が受け入れられませんでした。その一方で、パラの切符がかかった大事な大会でチームに貢献できずに申し訳ない、何とか勝ってくれ、という気持ちが渦巻いていました」

 ディフェンスの中核を担う三澤のフォローには須藤や上原らが入り、その穴を全員で全力カバー。また、日の丸と三澤のユニフォームを掲げたベンチや宿泊先では、スタッフがフル回転で選手のケアにあたり、まさに”チーム”で死闘を戦い抜いた。

 大一番の強豪スウェーデン戦に勝利し、パラリンピック出場をほぼ手中におさめた時、選手たちは観客席を見上げて叫んだ。「エイジーー!!」。リンクの真ん中で誇らしげにこぶしを突き上げる仲間たちに、三澤が「ありがとう、必ず戻るから」と目頭を押さえてつぶやいたシーンはとても印象的だった。

「仲間には感謝の気持ちしかないし、彼らの頑張りに勇気づけられました。帰国後も地元・旭川の仲間たちが手術やリハビリのサポートをしてくれ、最短で復帰することができました。平昌では、チームの勝利につながるプレーをしたい」と話す三澤。

 多くを語るタイプではないが、平昌でもその実直かつ献身的なプレーでチームを牽引してくれることだろう。

 平昌パラリンピックのパラアイスホッケー競技は、開会式翌日の10日から始まる。日本は予選の初戦で強豪・韓国と対戦。11日に優勝候補のアメリカ、13日にライバル・チェコと対戦する。いずれも日本より格上のチームだ。今年1月の長野での国際大会、また直後のイタリア遠征でもそれぞれ対戦して日本が敗れているが、フルメンバーがそろい、初戦の韓国戦で最終予選の時のようなチーム一丸となったプレーができれば、決勝ラウンド進出も見えてくる。

 逆境を力に変え、8年ぶりのメダルへ。日の丸の誇りを胸に、日本代表が最高峰の舞台に挑む。

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