とてつもない「スーパーチャレンジ」を発表した楽天。その未来を探る

既報通り、先週モバイル・IT業界関連を震撼させたニュースと言えば、楽天の移動体通信事業者(MNO)参入発表を差し置いて他にないでしょう。筆者は今週分のコラムを書き終えて次の取材へ向かっていたところでこの一報を聞き、びっくり仰天しつつも「ああ、やっぱり何か画策していたか」という想いにも駆られました。

というのも先日取材を行った楽天モバイルの事業概況説明会の席上で、楽天 執行役員 楽天モバイル事業の大尾嘉宏人氏の表情はどこか硬く、質疑応答の場でも黒字化についての問答に強い口調で明言を避けるなど、どこか「ん?これは年明けにでも何か動くのか?」と思わせるところがあったためですが、まさか年内に発表があるとは予想もしていませんでした。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singurality」。今回は予定を変更し、楽天および楽天モバイルが見据える未来とその戦略について考察します。


記者の勘……などと言えば胡散臭くなるが、こういった場で表情や口調から何かを感じることは多々ある


■なぜ今、MNOなのか
まずは情報を整理してみましょう。今回、MNOへの参入発表を行ったのは楽天モバイルを運営する楽天本体ですが、新会社を設立して申請を行うとしています。この点は後述する考察において重要な意味を持ちます。資金調達規模は2019年のサービス開始時において約2,000億円、2025年において最大6,000億円。サービス開始時期は2019年中を予定し、獲得ユーザー数は1500万人を目標としています。

総務省関連のスケジュールでは、2017年12月下旬から2018年1月頃に電波監理審議会への諮問および答申が行われ、その後開発指針の告示や開設計画の認定申請の受付などが行われ、2018年3月末頃に開設計画の認定(周波数割当)が行われます。


楽天のニュースリリースより引用


はじめに誰もが気になるのは「なぜ今このタイミングでMNO参入なのか」という点でしょう。楽天は2015年より仮想移動体通信事業者(MVNO)サービス「楽天モバイル」を運営し、MNOに匹敵する豊富な端末ラインナップや長期契約を基としたMNOのような料金プラン、そして通信速度制限がかかっても最大1Mbpsで通信が使い放題となる「スーパーホーダイ」など、次々と特徴のある施策を打ち出し瞬く間に業界トップクラスの事業者となりました。

また今年はプラスワン・マーケティングのMVNOサービス「FREETEL SIM」の買収なども大きな話題となり、MVNOとしての今後の戦略に注目が集まっていた中でのこの発表は一見すると奇異にも映り、業界関係者やメディア関係者の間からも「流石に無謀では?」との声も少なからず聞かれるのが実状です。

しかし筆者は「楽天だからこそ」、この戦略が必要不可欠だったのではないかと考えるのです。

■イノベーター理論と「キャズム」
突然ですが、みなささんは「イノベーター理論」というものを聞いたことがあるでしょうか。米国の社会学者であるエヴェリット・ロジャースによって提唱されたもので、ある社会を構成する人々を社会性や流行への反応傾向などによって以下のように5つに分類したものです。

・イノベーター:革新者。このグループの人々は社会の価値観が自分の価値観と相容れないものと考えている。全体の2.5%

・アーリーアダプター:初期採用者。社会と価値観を共有しているものの、流行には敏感で自ら情報収集を行い判断するグループ。いわゆる「インフルエンサー」はこのグループに多く、他者に大きな影響を与える場合が多い。全体の13.5%

・アーリーマジョリティ:前期追随者。新しいものには慎重な姿勢を見せつつも流行の兆しが見えると乗っておくグループ。全体の34%

・レイトマジョリティ:後期追随者。新しいものには基本的には飛びつかず、流行り始めてから乗る傾向が強い。いわゆる「みんなが使っているから」「流行ってるから」で始めるグループ。全体の34%

・ラガード:遅滞者。最も保守的で流行りには乗らない。旧来のやり方に固執するか、新しいものが一般化した後に始めるグループ。全体の16%


このイノベーター理論は経済学や経営学でも重視される考え方で、実際に世の中の流行り廃りはほぼこの通りの人口分布を示します。

そしてもう1つ、イノベーター理論で重要視されるのが「キャズム」と呼ばれるものです。キャズムとは直訳すれば「溝」であり、この理論に横たわる「大きな隔たり」を指します。

その大きな隔たりとはアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間に存在し、割合で言えば16%を境界としています。ある革新的な物事が登場し、それを仕掛ける側に近いイノベーターや流行に敏感なアーリーアダプターが食い付いたとしても、アーリーマジョリティに位置する人々が流行の兆しを見せたと感じて利用しない限り、それはただの「流行り」で終わってしまい一般化しないのです。この「溝」こそがキャズムです。

そしてこのキャズムが今、MVNOに迫ってきているのです。


新たな物事が普及するために必ず直面する大きな溝、それがキャズムだ


■MVNOはキャズムを超えられるか
2016年8月にMVNOサービス「mineo」を運営するケイ・オプティコムは同じくMVNOサービス「IIJmio」を運営するインターネットイニシアティブ(IIJ)と合同でファンミーティングを開催しました(こちらの記事参照)。

この時、IIJmioの代表者として招かれていた堂前清隆氏は「しばらくは順調に伸びていくが(MVNOサービス同士の)差別化が難しくなってきている。欧米を中心に世界的にもMVNOサービスのユーザー比率は15%前後で頭打ちになっている」と、まさにキャズムによって世界中のMVNOサービスが伸び悩んでいる状況を語っています。そしてその打開策として「MNOから何かを勝ち取っていく必要があるだろう」とも述べています。


右がIIJの堂前清隆氏。MVNOの未来をこの時から既に予見していた


そして現在の日本です。総務省が今年6月に公開した「電気通信サービスの契約数及びシェアに関する総務省データ」によれば、2017年3月末時点でのMVNOサービスの契約数が移動系通信の契約数に占める比率は9.4%としており、先日の楽天モバイルの事業概況説明会においても大尾嘉氏が「スマホ利用者全体に占めるMVNO利用者数は8人に1人」と語るなど、日本でもまた確実にキャズムへ近づいていることが分かります。

視点を変えてみれば日本における携帯電話普及状況はすでに飽和状態となって久しく、10代やさらに低年齢の若年層以外にまったく携帯電話を持っていない消費者を新規で獲得することはほぼ不可能です。また格安を武器にブームとなったMVNOへ対抗すべくMNO各社もまた大容量プランや低価格プランを次々と打ち出しており、MVNOを「流行り」のまま押さえ込もうという流れが見て取れます。

つまり、現在の日本におけるMVNO業界は頭に蓋をされた閉塞的な状況に陥りつつあるのです。


ソフトバンクのウルトラギガモンスターやNTTドコモのdocomo withなど、MNO各社はMVNO対抗施策を強化している


■新会社設立から読み取るMNOの利用方法とは
そして今回の楽天の発表です。FREETEL SIMの買収などもあり、MVNOとしては業界トップに躍り出た楽天モバイルですが、この閉塞的な状況では結局小さなパイを奪い合うだけの泥沼となりかねません。そのため、同じリスクを取るならば大きな賭けに出てみようという戦略だったのではないでしょうか。

ここで重要になるのは前述した「新会社を設立する」という点です。もし「楽天モバイル」として事業を進め、周波数割当を申請するのであればその必要はありません。つまり楽天はMNO事業を楽天モバイルとは別の事業として考えているということです。

そう考えるならば、最大6,000億円という資金調達規模についてもある程度の推察が立ちます。仮にこれが全国規模の、NTTドコモやau、ソフトバンクといった大手MNOに匹敵する事業だと仮定するならば、あまりにも額が小さく到底事業を進められる数字ではないことは数多くのメディアからも指摘されています。

ここから導き出される答えは都市部でのMNO活用です。自社回線網を都市部に集中的に配置することで投資額を最小限に抑えつつ、MVNO事業における慢性的なトラフィック不足への回避策としたり、次世代通信規格「5G」を活用したマルティメディアコンテンツを活かせる土台を構築しようという狙いがあるように思われます。

そもそも、ここまで順調にMVNOとしての顧客数を伸ばしてきた同社がMVNO事業を捨て、高コストなMNO事業のみに転向する未来が見えません。それは現在の顧客を捨てることにもなりますし、かといってMNOで現在の料金体系を維持しつつ全国展開するのは先に述べたように資金調達規模などからも不可能であることは明らかです。


MVNO事業を辞めるつもりならFREETEL SIMの買収など行わないはずだ


■グループシナジーという「勝算」
今回の楽天のMNO参入の報道は各メディアでも速報的に取り上げられ「第4の通信キャリア」などと大きく報じられていたと思います。しかし過去を振り返ってみれば第4の通信キャリアと呼ばれていた企業はツーカーやイー・モバイルなどいくつか存在しており、それらの企業が買収や合併によって現在の3大キャリアに吸収されていったこともみなさんの知る通りです。

ここで考えてしまうのは、やはり楽天もまたMNO参入しても生き残れないのではないか、という点でしょう。これについても各メディアではネガティブな推察が多く見られますが、筆者は楽天だからこその「勝利の秘策」があると考えています。それこそが「グループシナジー」です。

楽天は当然ながらその経営主体を通信事業においていません。オンラインショッピング(EC)サイトとして始まり、現在は金融や保険、各種オンラインサービスを総合的に取り扱う巨大総合商社的な存在となっています。


楽天グループのエコシステムはここまで巨大化している


ここがかつてのツーカーやイー・モバイルなどの通信事業者とは大きく異なる点です。すでにグループ全体での収益体制やエコシステムが確立されているため、通信事業のみで無理な採算性を追う必要がないのです。

そして現在の楽天モバイルの戦略からも分かるように、楽天スーパーポイントの付与キャンペーンや料金支払でのポイント利用など、この楽天グループのエコシステムを最大限に活かした施策が打ち出されることは明白です。

つまり楽天にとってMNO事業とは、そこで最大限の収益を求める場ではなく、飽くまでもグループ全体の収益性を向上させるための「手段」でしかないのです。


MNO事業は同社の掲げる「サンドイッチ戦略」のネットワークサービスを担う重要な戦略事業となるだろう


これまでも大尾嘉氏は楽天モバイルの発表会や事業概況説明会などで、事業の採算性や収益化について「急いではいない」や「黒字化よりもシェアを獲得する段階」と何度も繰り返してきました。楽天モバイルもまたグループ全体で見ればエコシステムをつなぎ円滑に動かすための「原動力」であり、そこで無理な収益性を求める段階ではない、ということだったのだと推察されます。

極端な話、楽天にとって通信事業は不採算のインフラ投資であり利益はEC事業や金融事業で上げれば良いのです。そしてまた通信事業はそういったECサイトや金融事業へ顧客を呼び込むための導線であり、囲い込みのための施策そのものなのです。


回線契約をした顧客が楽天グループのサービスを利用する。そこが楽天の最大の狙いだ


■エコシステムのためのMNO
今回のMNO事業への参入発表は飽くまでも発表であり、周波数割当が決まったわけではありません。しかしそこに楽天が見る未来は非常に明確です。来たるべき5G時代に備え自社で通信インフラを整備し、快適で安価な通信サービスを用意することでユーザーを楽天グループのエコシステムに誘引していく。そのための参入発表だと言い切っても良いでしょう。

恐らく楽天はNTTドコモやauなどを敵として捉えていません。MNO参入後もMVNO事業はNTTドコモ回線を借り受けて継続するでしょうし、ECサイトや各種サービスで3大キャリアと提携することなども十分考えられます。逆に言えば、現在のMNOとの提携程度では楽天のエコシステムを理想通りには回せていない(もしくは今後回せなくなると考えている)からこそ、リスクを負ってでもMNOへ参入したいのです。

楽天という企業が持つ通信インフラへの認識は、間違いなく他社とは大きく異なります。例えばNTTドコモであれば「通信インフラを活かした事業を生み出す」立場ですが、楽天は「事業を動かすために通信インフラが必要」と真逆なのです。その点を常に留意しつつ、今後の動向や戦略に注目していきたいところです。


グループアイコンも統一した楽天。その先にめざす未来は超巨大エコシステムの構築だ


記事執筆:秋吉 健


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